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怒りを他人に移してはいけない

(書き下し文)
哀公(あいこう)問(と)う、弟(てい)子(し)、孰(たれ)か学(がく)を好(この)むと為(な)す。孔(こう)子(し)対(こた)えて曰(いわ)く、顔回(がんかい)なる者(もの)有(あ)り、学(がく)を好(この)む。怒(いか)りを遷(うつ)さず、過(あやま)ちを弐(ふたた)びせず。不(ふ)幸(こう)短命(たんめい)にして死(し)せり。今(いま)や則(すなわ)ち亡(な)し。未(いま)だ学(がく)を好(この)む者(もの)を聞(き)かざるなり。

(現代語訳)
哀公(あいこう)が「門人中誰(だれ)が一番学問が好きか。」とたずねたとき、孔子は「顔回と申す者がござりまして、学問が好きでありました。そして腹を立てても八つ当りせず、同じ過(あやま)ちを二度としませんでした。ところが不仕(ふし)合(あわ)せにも短命で亡くなりまして、今はこの世におりません。それ以外には本当に学問が好きと申すべき者を存じません。」とお答えした。

(私が感じたこと)
顔回の良いところは、学びを得て、日常生活で実践し、改善点があれば改善していく、そうした人間層の積み重ねを渇望していたことであろう。
私の思うカッコよさには上記のような要素も含まれていますので、この姿勢は学ぶべきものがあると感じました。
私も日々、こうした意識はしているものの、後味の悪い選択をしてしまうことが多くあります。
それは、万事が修行だと思えていないことが原因であると考えています。
選択肢を迫られたときに、頭の中では即答できるようになることが私の目指すべき境地であるとも思っています。

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