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あまりおいしくない食べ物(意味深)が増えますようにーー歪んだ味覚に万事休す。「重箱」と貧乏舌と「ばえ族」を比較にして

わたしの味覚は特異すぎる。「あまりおいしくない」物がめったにない。これは由々しきこと。

わたしの食習慣は常軌を逸している。食事は少なくて2日に1回。多いときで週5回。理由はいくつもあるが、主なものは、消化にかかる負担に体が耐えられないのが1点、もう1点は、まずくて食べられないからである。

まず消化がしんどい。食後は3時間〜5時間も横にならなくてはいけない。

さて、わたしによる味の分類には3種類ある。
「あまりおいしくない」
「まずい」
「まずくて食べられない」

この不条理がもたらす不健康は長期的にわたしを苦しめてきた。つまり、おいしい物を食べる幸せがない。まずい物でおなかを満たす不快にまみれる。それをしなければ……、わたしはおなかが空いてみじめである。目が回ってふらふらし、お手洗いに立つにも不自由している。
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わたしのしていることは、これと同類なのではないか。わたしの味覚にも、彼にも悪気はないつもり。
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引用:「義母は美味しいとは全く言いません。食事に対しての反応は、『普通』『味が落ちた』『まずくはないけど美味しくはない』のどれかです」

わたしの言い分はこの姑に似ていなくもない。それでも彼女の方が不幸度は低い。
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わたしは女性の周期の不思議な影響で、月に2日間(連続)は何もかもが「まずくて食べられない」。この2日間はビタミン剤と塩とお湯だけで生きる。まぁ地獄。

そのことを婦人科の先生に訊ねてみた。症例を聞いたことがないそう。ただ、とても為になる話をしてくれた。味を感じるのは舌だけでなく、舌と脳。たしかに、夢で物を食べると、しっかりと味がわかる。脳が味を知っている・覚えているからだ。

先述のように、わたしの感じ方によれば、口にする物のうちのほとんどが、「まずい」か「まずくて食べられない」かである。買ってきた食品は2口が限界であとは捨ててしまう。勇気とお金を出して手に入れたはいいけれど、開封できないことがある。まずいと感じる未来に耐えらずに。

「あまりおいしくない」食べ物についても、世間で体に悪いとされていれば、やはり廃品となる(他人の行為みたいに言うなって話)。飢えるよりはましと考えてお金を出したのに。「冷静になると」わたしはとんでもないことをする。外に出かけたわたしは、ごみ箱を満タンにするためにお財布を薄くしてきたものだ。ばかげている。そう、通りやお店に溢れかえる食品を前に涌いた勇気は消えて。

愚かさを自認してからは、この飽食の時代にあって手詰まりに陥った。うつろな目をして食料品店を隅々まで練り歩き、空腹とめまいのなか手ぶらで帰る。「どうせまた、まずくて捨てちゃうんだ」。自ら飢え、たびたび意識を失っては悲嘆するのだ。
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わたしは昨年2月に料理を作り始めた。4月からはレストラン巡りを。「食べ物がおいしいとはどういうことか」を知るためである。

いいお店に行けば、「あまりおいしくない」物がたまに出てくると判明した。次第に「まずい」「まずくて食べられない」物の正体が何であるかがわかってきた。そして、「あまりおいしくない」物を作る腕、および買うこと・注文することの精度が上がった。

この1年余りで、学習のための外食費は膨張したものの、買ってきて捨てる食品の量は多少減った。「まずくて食べられない」物を掴まされない目がいくらか養われた。

それは、短絡的に言うところの、「買わない・食べに行かないのが正解」なのであった。ただ1つの願いは、「あまりおいしくない」ともっともっと感じたい、これに尽きる。
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こう訊きたいだろう。
「飢えるってなに?」
「おなかが空くとみじめになるの?」
「おなかが空くのに食べないの?」
「食べてみたらおいしいかもしれないよ?」
「本当におなかが空いていたら、おいしいはずだよ?」
「どうして食べながら泣いてるの?」
そう訊く人々に返したい。
「食べ物がおいしいってどういうことなの?」
(これは、イギリス人が言うとされるエスニックジョークとして小耳に挟んだのと、一字一句同じセリフである。)

わたしは、やせているのに過度なダイエットをしていると勘違いされている。どんなにダイエットをやめるようわたしに説いても意味はない。それより、どこへ行ったら「おいしくない物」を売っているのか教えてほしいのだ。
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ばえばえ言って騒げる人種の経済寄与といったら。わたしはそっち側に行きたくさえある。彼女らは間違いなく時代に愛されている。貧乏舌にまでなる必要はないけれど、あの姑や「重箱」の側でいたくない。せめて、泣きながらまずい物を食べ、買ってきたものを捨ててばかりで、「あまりおいしくない物」を渇望する生活から救われたい。

(写真は、まずくてもがんばって食べた[食べることのできた]ラムチョップ。カメラを趣味にしているはずの友人が撮ったら、えげつない色になって)

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