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踵の高い靴とアベリア

かかとの高い靴は大人の女性の証であり、かかとの高い靴を履く、それ即ち、大人になることだと幼い頃から思っていた。ハイヒールは、大人の女性の特権だった。

地元でハイヒールはあまり馴染みがなかった。車社会なのでかかとの無い靴を重宝する大人が多かったし、お金のない学生はどこまでも徒歩移動が基本だったので、やっぱりスニーカーやかかとの無い靴、せいぜいローファーくらいが基本だった。田舎の風景に凛としたハイヒールはあまり似合わなかった。中学生の時に膝を壊してから、漠然と自分は履くことがないのだろうなと思ったけれど、そのすらりとした靴、折れてしまいそうなかかと、かつかつと鳴る音にも少し憧れていた。似合う女性になれるものだと思っていた。

それから10年弱経って履いたハイヒールは、描いていたほどいいものではなかった。5cm以下のかかと、黒のパンプス。就職活動で初めてハイヒールを履いた時、ああもう大人になるしかないのだと思った。ぐらぐらするし、つま先は窮屈だし、すごく疲れる。最初のうちはかつかつと鳴る音が楽しかったけれど、そのうち怖くなった。社会の音だ。社会で上手に生きている人の音だ。転職をして、ハイヒールを再び履くようになって、なんだかあまりにも似合わないな、と思った。到底大人の女性なんかじゃない。外見は大人になっていくのに。なんだかちぐはぐな気さえしてしまうので、ハイヒールが苦手になった。ハイヒールが似合う女性になりたい。胸を張って社会の一員です、と言えるような。

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