Life is Contents①~慟哭~

こんにちは。久しぶりのnote投稿。
何方がこの記事をご覧になられているかはわかりませんが、私自身の気持ちの整理として、そして、何があったのかを何方かに説明をする上でも一からこれを説明するのは、なかなか説明が難しいこと、時間を要することに加えて、その話をする時は私自身も治ることはないであろう傷に塩を塗ることになり辛さがあること、何より、いつか娘が何があったのか知りたいと思った時の、取っ掛かりの1つとして、記しておくことにしました。書こう、書こうと思いつつ、だいぶ胸が痛む作業で自分の中では夏休みの宿題のつもりでしたが、夜は涼しく、虫の音が聞こえるタイミングになってしまいました。

しかし、noteの投稿が本当久しぶりで、前の投稿を見たら娘が産まれた時の投稿だったんだなぁ。あの大切な時間をみんなで共有をしたのに。本当に酷い経験になってしまったな。

結論から申し上げます。
私、今年の6月に離婚を致しました。
”離婚をした”という表現は適切ではないかな…。
私の意志とは反して”離婚をせざるを得なかった”という表現の方が適切かなと思います。

そう、最愛の娘が1歳になる前に離婚。
娘が”パパ”と話せるようになる前に私は離婚を余儀なくされました。
せざるを得なかったという表現は、この離婚は私の意志でもなく、当然未だ大きくなった時に今の記憶もない歳の娘の意志でもなく、私からしたら妻の独りよがり(&妻の方の一家)によるものだからです。本当に辛いですね。やりようの無い辛さ。

私は自分の子では無いものの姉の子供が産まれた時も、本当に嬉しく、可愛く、彼らが赤ちゃんの頃から会える時には会いに行って、沢山遊んできました(ある意味、私が遊んでもらっていたのかもしれませんが(笑))そんな姪っ子、甥っ子は今もすくすく可愛く、逞しく育っていて、今も仲良くしてもらっていることにとても嬉しい気持ちです。

多分、私を昔から知る方は私のそんな姿を知っている方もいらっしゃると思うので、これが我が子ができたとなると、そのあまりある可愛さは説明せずともわかって頂けると思います。日々、成長していく娘の姿、泣いたり笑ったり、またしたの?!って笑ってしまう沢山のうんちなども、全てが愛らしく、辛いことが時にはあっても家族みんなで楽しく娘の成長を見守っていく予定でした。そんな普通の未来を信じて疑っていませんでした。

”普通”とは何か?という議論はあるかと思いますが、十中八九、普通の家庭では、こんなことで離婚を決める、しかも独断で決めてしまうということは無いのではないか…と思います。
予め申し上げておきますが、私が浮気や不倫などの不貞を働いたわけでもなく、家庭内DV(暴力、暴言)を働いたわけでもなく、経済的DVを働いたわけでもありません。(今となっては結果的に私自身がメンタル的にDVを負わされていた気もしますが)
どちらかと言えば、というよりもむしろ、しっかりと、日々、この4年半妻と娘の笑顔のために、何ができるかを考えて過ごしてきましたし、客観的に見てどうかはわかりませんが、自分の中ではやれることはやってきました。

それなのに、妻が離婚を決めた(後述しますが、本当に、私が決めたから離婚しますという感じです)理由を、私なりに解釈している、端的な書き方は、「今まで自分の言うことをなんでも聞いていたのに、聞かないんだったらもういいです」ということだと理解しています。というより、そう取らざるを得ない。
”普通”の家庭では、夫婦喧嘩もままあるでしょう。お互い、奥さんに対する不満、旦那さんに対する不満、無い家なんて99%無いと思います。一緒に暮らすとはそういうものです。

この惨事になる前に、私自身、あまりに妻の夫婦共助の無さっぷりに、これは、妻には何も期待ができない…、自分が娘のために頑張っていかないと不味いなと思うことはありましたが、それでも私は”離婚”ということが自分の頭に過ったことは一度もありませんでした。
何故なら、娘がいるから。
しっかりとこの子を両親の基で育ててあげたい。それは当然のことで、妻に不満があっても、「はい、あなたとは暮らしていけません。」なんて切り出すつもりも、思うこともありませんでした。

なのに…。

コロナウイルスが猛威をふるい、2020年からコロナ離婚なるもので、離婚が増えたというようなニュースもありました。私もある意味、コロナ禍ではなければこうなっていなかったのかもしれないと思いつつ、仮に今、こうなっていなくてもいつかは同じ道になっていたのではないか…とも思います。思いますし、沢山の方からそう言われました。普段、家のことの詳細は第三者には言わないですから、なかなかそういうことは言われませんが、でも今回、色々な方にお話を聞いて頂いて、残念ながら毎回それは言われたことでした。

今、離婚が成立し、もうすぐ3ヶ月経ちます。
成立する前から、何故こうなってしまったのか、何処かのタイミングでやりようがあったのではないか、そんな不毛なことを思わない日はありません。娘は元気に過ごしているかな?今日は何を食べているかな?沢山話せるようになったかな?そんな娘のことを思わない日もありません。
そんなちょっとした空き時間に湧き上がる不毛な想い。
でも、最終的には、やはり無理だったのだと思う。という結論になるので、そういう運命、ご縁だったのだろうと思います。

どんなに辛いことも、時間が解決してくれる。ある意味それは正解だと思います。が、多分、この傷は開きっぱなしなのだと思います。傷は開いた上で、ここからまた新しい人生を1つ1つ積み重ねて、その痛みが和らいだような気がする。けれど、ふっと何か風が吹けば、その1つ1つの網目をくぐって、傷に痛みが走る。きっとそんな感じなんだと思います。そして、それでいいとも思います。これは、やはり忘れてはいけないとも思いますし。

恨み、憎しみ、悲しみ、辛さ、悔しさ、もどかしさ、やるせなさ、人間の負の感情を全てを纏うような、説明のしようのないこのごったな感情は普段は心の奥に居ていいけれど、忘れてはいけないとも思います。妻には最愛の娘を引き剝がされるという、それだけのことをされたのですから…。

いつか娘が大きくなった時に、どうして私にはパパがいないの?お父さんがいないの?と思って、知りたいと思った時に父親の視点なりで娘に話せるように、今までの経緯は纏めています。それでも、今回、2ヶ月経ち、物理的にも精神的にも少し落ち着いたところで、少し書いておこうと思いました。

タイトルはLife is Contents。私の好きな言葉の1つです。楽しいことも、苦しいことも、辛いことも、全てはコンテンツ。お笑い芸人の皆さまではありませんが、全てをひっくるめて、自分の人生、笑えたらなと思い、タイトルにしておきました。そして、特に何を書こうということも、今、これを手を動かしながら、考えながら書いているので、どういった形になるかわかりませんが、あまり書きすぎるのもきっと辛いので(笑)、3部位で終わりにしようかなと思います。

それでは徒然なるままに。パート①、慟哭。


直接的なきっかけは1月29日。
まずはこの問題が起こる背景から。
妻の不満は私が本当にちょっとしたもの(お菓子とか、一人で出かけた時のドリンクとか)位、家族カードを使わずに、自分のお財布から出してもいいんじゃない?と言ったことや、買い物に行った時に私が家計簿を付けるのに、レシート置いておいてということ、ちょっとこれは使い過ぎ、抑えようよと言うところでした。

このこと自体の背景を言うと、娘が産まれて、家計の管理をすると言ってたはずの妻が始めないので、私がやることにしました。ただ、あまり細かくやるのもよくないので、事細かには言わず、月1で今月はこんな感じだったとスクショで共有する形だけを取っていました。(ちなみにうちは共働きで、子供を授かる前も妻からは食費(外食などは一切含まれない)のみ負担していただき、あとは私の方でマネージをする形でした)明らかに使い過ぎなので、ちょっとセーブしようというお願いはしていました。

それでも言われることはケチと言うこと。
ずっと協力してくれる素振りはありませんでした。
そんな状況なのに、自分のほんのちょっとしたものも全て家族カードを切ってくる。私はそれでもずっと言ってこなかったけれども、もうこれは言わないとなと思い、たった一度言っただけです。もちろん私も別に度が過ぎていなければそんなことは言いません。ただ、実際問題、食費や娘にかけるお金が、これは…という状況になっていたからです。

あくまで私の立場からすると、妻が不満に思うストレスに対して、それを言ったらどれだけ言っても協力してくれる素振りが無いのは何故?というストレスの方が大きいと思いましたし、正直、一緒に協力してやっていければ、そもそも妻がストレスに感じること自体が起こらない事象だったのは事実です。

”何が普通か”議論はありますが、普通は、これはどちらかというと、旦那さんよりも奥さんがしっかり厳しくやり、旦那さんがチクチク怒られる家庭も多いのかなとも思うことです。

これは私からの不満の1つ。家事に関すること。これもちょっと酷いのではないかと思っていました。(彼女は私への家事に対する不満は無いとのことでしたが。)
妻は育休中。とは言え、当たり前ですが育児は2人共にしていました。私はもともと子供も大好きですし、育児自体ありがたいことですし、やってできないことは母乳をあげられないことくらいです。

娘との2人での留守番、お出かけも全く苦では無いので、奥さんが一人で出かけたい時や、出かけないといけない時も大丈夫です。唯一の難点が、娘が母乳しか飲まないところだったので、留守番が長時間になったりすると、泣き止まなかったりして、その点だけが辛いところでした。タイミングや、ミルクの種類を変えてみたりも試したのですが、それだけは変わらなかった。コロナ禍なので、私は基本的に在宅勤務。なので、日中も少しは娘のことが見られますし、夜の沐浴は全て一緒に。
仕事は夜早く終わらないので、途中で切り上げて、妻がゆっくりお風呂に入れるように、娘と遊んで待ち、お風呂に娘を預けたら、その入っている間に、娘がいつ出てきてもいいように、湯冷めしないように直ぐに着させてあげられるように服など色々な準備をし、オムツのゴミ箱を替え(妻は一度もオムツを捨てたことがありません)、妻と娘が直ぐに眠れるように寝室の部屋を暖めたり、加湿器を移動したりとバタバタ。娘を引き取って、私は娘の全身保湿をして耳掃除やらをしてささっと。その間、妻はTV観ながら化粧水やら髪乾かしやらゆっくりと。私はちょっと早く仕事に戻りたくても、それを娘と遊びながら待って、妻が娘を寝かしつけるのに娘を預けたら仕事に戻りました。仕事が終わって、私はリビングに放置されている缶やらペットボトルやら、段ボールやらゴミやらを掃除し(ちなみに4年半の間、冗談抜きに妻はただの一度もゴミを捨てたことがありません。私が約2週間、海外出張に行っている間にも、ゴミの出し方を伝えたのに、その時も出していません。段ボールも潰したことがただの一度も無い。宛名だけはせめて剥がしてとお願いをしても、これも剥がしたことは数回のみ。放置されているから、私がやらざるを得ませんでした。)、お風呂に入って、洗濯をして、洗濯ものを干して、(時にご飯の洗い物も)リビングに戻ってきて妻がしているのは、ソファを独占してネットフリックスを観ている。

私もソファに座りたいのに独占され、寝るのも私は一人、リビングに簡易的にマットを敷いて寝るという形を取る形になっているので、妻が寝てくれないと私は寝ることもできません。(ちなみに、娘は夜泣きなどほぼ無く、たまに寝かしつけでなかなか寝ない時はありましたが、姪っ子や友人の子の話などを聞くそれと比べて、だいぶ大人しい、聞き分けの良い子でした。だから、娘は寝かして母親がTVを見られるということができていました。)

そんな毎日です。

私が仕事をしている間から夜にかけても、彼女がほぼネットフリックスを観ている姿しか私は見ていません。在宅勤務なので、トイレなどリビングに来ることもあるので、その姿が見えてしまうんですね。
ちょっと観すぎではないかと思ったので、私も「あまり観すぎると目に良くないよ」位は言っていましたが、直接的には言っていませんでした。
察する…ということが、本当無い。
ただ、この件があって、後から視聴履歴を見てみたら、9月から2月の間で、ネットフリックスで300本、アマゾンプライムで200本観ていて、それ以外にもTVのプログラムも見ているので、ちょっと頼まれてもそんなに観られる?という量を観ていたことになるなと。確かに観過ぎではと気になるほど観てはいたけど、こんなに?!とビックリしました。

休みの日は私が一人でスーパーに買い出しに。
スーパーも赤ちゃんを抱っこ紐で背負いながら一人で来ているママも入れば、パパとママで赤ちゃん連れてきて、一緒に買い出ししている姿を私は一人で何度も見て、比較してはいけないけど、助け合うってこういうことよなぁとも思っていました。
妻は(自己満足としか思えない)娘のためのぬいぐるみなどを買いに行くのは遠く、新宿やらどこやらに行くのに、こういったところには来ないのもちょっと理解ができなかった。
私が買い出しから帰ってきても、観ているのはネットフリックス。
せめて娘が寝ているのだから買ってきたものを冷蔵庫に一緒に入れてくれてもいいのに、基本はやってくれない。
友達や知人からは、休日、旦那が一日中寝てて何もしてくれない…というようなことをよく聞いたりもしていましたが、うちの場合はおよそそれとは程遠い感じでした。

私は何も、家事をきっちり分担してくれなどとも思っていませんでした。
育児の面で、ママにしかわからない辛さはあると、男性にではどうしてもわからないところもあるとは思っていたので。
ただ、せめて、具体的に動く家事ができなくても、娘の書類を整理するだとか、寝ている娘を起こさない形でのやれることはあると思いますし、「ありがとう」の一言や感謝の気持ちがあってもいいのではと、ただ、それだけでした。

子供を授かる前も、あまりに平然と積まれた段ボールの山などを私が片付けても、特に何も無し。そんな時、私は「親しき仲にも礼儀アリ。夫婦と言えども、お互いありがとうや感謝の気持ちを伝えられなくなったら終わりだよ」や、「仮にこの今の状況、動画で撮っておいて、オレがtwitterとかで流したら確実に炎上するやつだよ」ということは話していました。
そんな時も妻には何も響いていませんでしたが。

たまの出社の時(多分、旦那が仕事で帰って来ないママも多いと思いますが)、それでもそういう一日は一人で育児大変だったろうなという気持ちはいつもあったので、そういう時は妻にお土産を持参して帰っていたりしました(もちろん、私のお小遣いの範疇で。)

ちなみに、料理は妻に作っていただいていました。ただ、これも年末位に友達のドイツ人の旦那は料理も作ってくれるというような話もしてきたので、(その友達はドイツ在住で、旦那さんは育休を取っているので、私とは環境としてもだいぶ違うのですが)私も年末からは食費を抑えたい気持ちもありましたし、週末は私が食事の用意もするようにしていました。妻が平日少しでも楽になるかなと思って作り置きもしたりしましたが、何が理由かはわからないけど、あまり食べなかったりしました。(私は料理も人並み以上に一通りできるので、料理自体作ることも苦ではありませんし、味が不味いということも妻にも言われたことはありません。)

話は1月29日に戻ります。
日中に、急に妻が3月に1ヶ月、実家の北海道に帰ると言い出しました。
もともと年末に年が明けたら、実家に1週間~10日位帰って、両親に娘を見せたいと言っていたので、私も、ご両親も孫が見たいだろうしいいんじゃない?行っておいでよ。と言っていました。(ちなみに、お産前後で5か月近く里帰りをしていましたし、こちらで生活をするようになってからも、北海道から妻の両親は旅行がてら私の家に来たので、私の実家の両親よりも遥かに妻方の両親の方が娘と会っています。)

それが、急に1ヶ月とのこと。しかも3月。
私はそれは嫌だと言いました。理由は2つ。1つは当然、娘の成長が見られなくなること。日々本当に成長していくので、何故、そんな成長の最中に、出産里帰りでもないのに帰らないといけないのかということ。
もう1つは3月は私が急に辞令で転勤になる可能性があり、そうすると、赤ちゃんの娘がいる身重な状態で直ぐに引っ越し手続きなどをしないといけないのに、何故その時に妻がわざわざ不在にするのかというのが理解できなかったからです。しかもそれは毎年あり得ることで、彼女もわかっている筈なのに。
理由を聞いてみると、実家に帰れば、「お母さんのサポートが得られるから」ということでした。私もさすがにそれは無いよ…と思って言いました。

育児が毎日大変なのはわかる。けれど、私自身も在宅勤務ということもあり、最大限サポートしているつもりだし、家事の大部分も私がしている。
それに、娘はお利巧で殆ど手がかからない。今はハイハイもしないから、行動だって限られていて、時期的にも未だ楽な方。他と比較してはいけないけれど、うちは子供が一人だけど、複数人一気に見なければいけないママさんだってたくさんいる。
それなのに、それは無いんじゃないか?と言いました。
すると、泣かれてしまいましたが、泣きたかったのはこっちです。

それから私は予約していた医者に行かなければならなかったので、不在にしていましたが、途中、LINEで「2週間帰ることにした」という連絡が来ました。私が家に帰ると、出かけてくると、娘と出かけていきましたが、私はそんな中でも、買い出しに。
夜、また家で一緒になり、彼女から話し合いする?と言われたので、私はもうそんな気分ではなかったので、言いたいことは普段言っているからいいと言い、その日は話し合いをする気分にもなれませんでした。

いつもの通り、娘をお風呂に入れて、娘が寝た後の夜、何かごそごそと音がする。妻が荷造りをしていました。ああ、家を出るつもりかなと察して、何をしているの?と。案の定、明日から帰ると言い出したので、娘だけは関係ないから置いていってくれと言い、娘の荷物は取り出しました。
何で帰るのか?と聞いたら、話を聞かないからだと。
なので、話合いをすることにしました。

私も、ここ1ヶ月間くらいずっと妻が不機嫌そうだったので、色々不満があるのだろうと思い、この際だから不満に思っていることを言ってくれと言いました。それが冒頭に背景で書いた、彼女の不満でした。正直、それだけ?という気持ちでした。
機嫌がかなり悪かったので、私はもっとあるのかと想像はしていました。私からも背景に書いた不満を思っていることは伝えました。

兎に角、妻が明日から帰る気持ちは変わらないというのと、私は娘だけは置いていって欲しい気持ちでしたが、前述したミルク問題があるので、現実的にはママがいないと厳しいというのは私も理解していました。

なので、彼女の方から「2週間後に帰ってくる」と期限を切ったので、私からも、「明日から2週間後に帰ってくるということで、わかった。ただ、本当に2週間後に帰って来なかったら、娘だけ迎えに北海道にいくからね」という約束をして。

その日は全く眠れず、早朝から娘と遊んでいましたが、出発の時になったので、娘を渡しました。実質、殆ど、娘と触れ合うのがこれが最後になってしまいました。本当に悲しいことです。

私は、2週間後、きっと空港に迎えに来て欲しいと言うだろうし、2人で帰ってくるのも大変だろうから、羽田空港の駐車場、2週間後に予約を直ぐに入れていました。その後、彼女からは一切連絡はありませんでした。娘の状況もわかりませんでした。

帰って来る約束の日の3日前に、来週の木曜日に帰りますというLINEだけ来ました。私は帰りを心待ちにしていましたし、何故、自分から2週間と明言していて、固く約束していたのに、それをわざわざ約束を破るのか、理解に苦しみました。なので、「何故、約束した日に帰ってこないの?」とLINEをしても返事が無い。

帰って来るはずの2日前になっても返事が無いので、妻の親も入ったLINEに、「娘が2週間お世話になったこと、約束の日に何故帰って来ないのかわからないけれど、帰ってこないのなら、約束通り娘を迎えにいきます」という主旨のことを連絡しました。すると、夜にお義母さんの名から電話があったので、電話に出ると、出たのは妻でした。

何故怒っているのか?のようなことを改めて聞かれましたが、自分で言い出した約束を破っておきながら、理由を聞いても無視しておきながら、怒らない人がいるのかは私にはわかりませんが、妻から言われたのは、この間のケンカ、録音をして家族にも聞かせたから状況は知っている、お互い、家族も交えて聞いてもらった方がいいのではないか?ということ。

そもそも、夫婦の断片的なケンカを録音までして、それを聞かせているということに、私はびっくりしましたし、多分、何故こうなったのかということをちゃんと理解はされていないだろうなとは思ったので、そんな修羅場のような家族会議、嫌でしたが、わかったということと、自分の家族にも状況を伝えて、大変申し訳ないけれど、参加をお願いしました。

最初に申し上げておきますと、私は妻不在の2週間、どうしたら共助でやっていけるかの方法、家計にしてももう少し、定量化して世の中と比べたり、貯金のことを考えて示さないとわからないなということもあって、帰ってきて話す準備をしていたので、不満やストレス、何故こうなってしまったのかということはあるものの、仲直りして、また一緒に上手くやっていくことしか考えていませんでした。
私側の家族からも、予め、念のため確認だけど、仲違いをしたいとか離婚をしたいとかそういうことではもちろん無いんだよね?ということは言われたので、勿論、そんなつもりはないことは伝えており、それが故に私の家族は端から強くもの申すつもりは無いスタンスで臨んでくれました。

距離が遠かったため、家族会議は向こうの通信状況が良くないということで、音声のみのオンライン会議。何故私が仕切らないといけないのかもわからずでしたが、仕切りは私。
私はこんな夫婦喧嘩に向こうの両親や自分の家族を巻き込むことにも申し訳ないと思っていたので、時間を割いてもらっていることに申し訳なさを伝えましたが、妻当本人はうちの家族に対してそんな気持ちや言葉もさらさら無く。

私がこの会議を受けた理由は、現状を知って欲しいことと、ケンカはしたけど、また上手くやっていきたいし、その方法はあるということを伝えたかったためです。現状はほぼ上に書いたようなことですが、妻側の家族は全く妻には問題があると思っておらず、最終的には、今回の件と関係ないような、私が上から目線だ、妻を下に見ているだとかそういうことを言われて終わった感じでした。(当然、私は妻のことを下に見たことなどなく、むしろ普段の生活では私が下に見られているような感じでしたので(後日、彼女自身の口からも敬ったこととかは無いと明言されてましたし)、理解ができなかったけれど、後日、弁護士の友達に相談した時に、案件を扱っている中で、一定数、勝手に劣等感を感じてそう思っている人がいたりすると言ってました。)
また、こちらから離婚の話など1mmも出していないのに、向こうの父親が離婚をした方がいいのではないかと言い出す始末。誰も、妻側の家族は私の娘のことなど考えて言っているような発言には思えませんでした。
こんなことで、何もわからない娘から、きちんと両親の愛情を受けて育てるという選択肢を簡単に奪うということを口にすること自体、わかりませんでした。

ちなみに、私は妻側の両親とは結婚後、何度も一緒に旅行などをして、むしろ遥かに自分の両親よりも会っていて、普通であれば、私の人となりをある程度理解してくれている間柄であったはずです。(結果的に全然理解してくれていない…というより自分達のことしか考えていないのがわかりましたが)

結局、その修羅場の会議の結論は、とりあえず2週間と言っていた日には帰れないけれど、電話やLINEで連絡を取りつつ、仲直りの方法を探るということで終えました。


それから3日後。
妻から夜に話がしたいから、仕事後に電話したいと連絡があり、話すことに。
ここで言われました。
「離婚することに決めました」と。
”決めました”という表現、今でも思います。それは無いのではないかと。
一事が万事。共助の精神があったら、仮に離婚をしたいと思ったとしても、私は離婚をした方がいいと思ったのだけど、どう思う?という言い方になるのではないかと。
加えて、言われたこと。「この数日、色々調べてみたけど、何とか私一人でやっていけると思う。」ということ。
この言葉の背景には、正直、金銭的な面で私から養育費などを取ったり、自治体の補助などを見て、やっていける…という、経済的な面での意味とほぼ受け取れ、そこに子供を”両親”で育てていく、娘にとって”父親”も大事であるというような視点のコメント、考えは見受けられませんでした(でも、この時の感覚は後から、その通りだったとわかったのですが…。)
一方的に、離婚をすることを前提に今後、どういう条件に落とし込んでいくのかを話し合おうということを言われて電話を切られました。

3日前は少なくとも両家、私と妻共に、離婚を前提にという話にはなっておらず(向こうの父親からそういった話は出ましたが)、直ぐには帰らないけれど、仲直りする方向で話していくということが結論だったので、私は本当にびっくりしました。
しかも、”決めました。”って。到底、私自身納得などできるわけもなく、娘と離れ離れになる可能性があることも想像できませんでしたが、娘自身にとっても、こんな親の独断でこんな小さな赤ちゃんの時に片親にならせてしまうのは、親のエゴ以外何ものでもないと思ったので、その数日後の週末の日曜日に私が北海道の妻の実家の近くに行くことで、話す時間をもらう約束をしました。

ここで1つ言及をしておくと、娘のことに重点が置かれがちの文章になっていますが、私は4年半の間、妻との思い出はたくさんあります。日々の何気ないこと、お互い旅行も好きなので、海外・国内問わず、一緒に色んなところに行って、一緒に色んな景色も見て、一緒に感動をしました。
結婚してから子供は直ぐには授からなかったですが、子供ができる前も、後も色んなことがあって、楽しい日々でした。
私自身も、できるだけ妻の希望は叶えてあげたかったし、叶えてきたつもりです。特にこの半年は、そりゃないでしょうよ…ということが多々あって、どうしたもんかとは私も思っていたのは事実ですが、やはり、一緒に過ごしてきた思い出があり、そういうことを考えると、この選択にはならないなと私は思っていました。でも、きっと彼女の中では違かったのかなと。ここから実際の離婚に至るまでの間、こういった話も私からはしてきましたが、彼女からそういったことに言及されることはなく、私がそういう話をしてもスルーして終わりという感じでした。ここから彼女の言動を見ると、ただ私は都合が良い旦那だったのかもしれません。

話を北海道に行くところに戻します。
彼女の実家は東京からは遠く、この日は深夜に出て、深夜に帰ってくるというほぼ24時間コース。何か用を携えた上での北海道(しかも奥地)の日帰りはかなりシンドイです。それだけ、遠い距離になります。
今回は、冷静に2人で話をしたかったし、どうしたら、2人で上手く生活をしていけるのかをしっかり話し合いたかったので、私はわかりやすく、そして、妻も怒らないように妥結点を話しやすい、見つけやすいように、紙の資料にして持っていきました。
でも、その資料は、私が説明する間もなく、パパっとめくられて、笑われて、ほぼ終わりました。私としてはここで、それを見て、”笑う”という神経がちょっとわからなかった。今、思えば、”紙”にまとめるということが最良の選択肢だったかは考える余地があったかなと思いますが、少なくとも真剣に、何故こういうことが起こってしまったのか、どうすれば、このことが解消できるのかという、あくまで”案”をまとめただけにすぎず、それを一笑に付す気持ちは全然わかりませんでした。また、この日は何を言われても私は基本、反論をせずに”聞こう”というスタンスを取ろうと決めていましたので、聞くことに徹していました。あとは、もちろん、離婚はしたくないし、前のように一緒にやっていきたいと考えていること、娘は何もわからないこの状態で、親の都合でそんな決めてしまうのは良くないというような趣旨のことも話しましたし、私が持参した資料もそうですが、自分も改めるところは改めて、2人で協力しながらやっていきたいことも話しました。

が、全てここに書くには量が多くなるので書きませんが、この時言われたのはことを簡単に記すと、
・今日、来るっていうから、仮に土下座して謝りに来ても許すかどうかわからなかったのに、これは何? (これも謎で、本来、私は土下座をして謝らないといけないことはしていないんだけれど…とは思っていました。言っていませんが。)

・家計を経営みたいに考えてるんじゃないか。(きつーく管理しているわけではないし、そもそも”家計”ってものが家庭内の経営のそれのようなものなので、そうなんだけどなぁと思いましけど)

・私(妻)は自分のことを微塵も悪いと思っていない。妻が家でずっとネットフリックスやTVを寝ころびながら見ている姿は、旦那の私はむしろ、”幸せの象徴”と捉えるべきことである。

・いずれにしても、離婚する気持ちは変わらない。

あとは、何がどうしたら(この表現もおかしいのですが)許してくれるのか、前のように3人で暮らしていけるのか?という話をしても、「自分の気持ちがどうしたら動くか自分でもわからない」ということで、それはちょっとズルいのではないかとも思いました。

そして、正直、内心は呆気に取られました。例えば、自動車事故が起こった場合、どちらか一方だけが悪いという0:100の事故はほぼ皆無です。夫婦喧嘩だって同じようなものです。私自身、改めるところはあります。人間ですからね…。それも彼女には伝えています。
でも、自分は微塵も、これっぽっちも悪くないと明言されているし、ソファで横になってネットフリックスを観続けている妻の姿を”幸せの象徴”と捉えるべきだと。
本当にこの考えをしているとしたら、伝わるわけはないよな…と正直なところ思いました。

2人だけの話し合いということで、その場には娘を連れてきてはいなかったのと、私は娘に会いたいことを話して、駅で再度待ち合わせをすることに。私は日帰りにも関わらず大きなスーツケースで来ました。
娘の洋服やら食器やら、持ってこられるものを持ってきたので。
勝手に出ていき、勝手に離婚を決めて帰ってこない妻から娘のあれこれを持ってこいと一方的に言われ、そんな妻のところに持って行きたくないと思うのは、もし私と同じ境遇の旦那さんが居たら同じ気持ちになるのではないでしょうか。

私もあれこれ考えましたが、娘のものなので、娘を思って持ってくることにしました。その一式だけを妻に渡しました。
ちなみに、これより先、何か私に頼み事がある時だけ、LINEに頼みごとをツラツラと書き、その後に娘の写真を送ってくるというスタイルをずっと取られました。何か娘の様子や、娘の成長を共有するというための趣旨の写真の共有は無かったです。殆ど”手口”的に”誘拐犯”のそれと何んら変わらない。私側からすると、そういうようなやり取りでした。

これも少し、余談になりますが、これをもし読まれている夫婦の方がいらっしゃったら、ケンカにしても何にしても、それを録音して第三者に聞かせるというようなことは本当にしないで欲しい。本当に家庭内DVなどがあれば、それは別で、然るべき人に聞いてもらい、証拠とする上で必要だと思いますが、私の場合は、”録音をした”、”それを家族に聞かせた”という時点でびっくりしたのと、その後話すことは、またどうせ”録音をされているのだろう”と思って、きちんと向き合って話すこともできなくなりますからね。そもそも、本来、お互いの同意無くして録音することは犯罪にもなり得ますから。

妻の家はお昼ご飯を食べるからということで、結局1時間近く後に待ち合わせになりましたが、到底私は、お昼などは食べる気にもならず、駅の待合室で、降る雪をただ見ながら、呆然とただ時間が過ぎるのを待っていたと思います。
娘に会えました。
僅か3週間ぶりくらいでしたが、抱っこすると懐かしく、そして、少し重くなっているような気も。
そして、何より悲しかったのは、しばらくぶりで、ちょっと私のことを忘れていそうな雰囲気だったこと。
毎日一緒に笑ってたのに、この日は笑ってはくれませんでした。徐々に知らないオジサンになりつつあったのでしょう。

時間だから…と、少しの時間しか、私は娘と触れ合うことはできませんでした。何故、こんな酷いことができるのだろうか…と、私は憎しみが出てくるのをグッと我慢しました。娘が不在期間に、本来、3人で行く予定にしていた初詣の日があったので、私はそこで一人で行き、その神社は”子供御守り”なるものもあるため、来られなかった娘のことも考えて、頂いていました。
また、妻と娘も戻ってくると信じて持っていくか考えましたが、持参していきました。もしかして、もう本当に会えないかもなと思い、娘に渡して、これはいつも一緒に持ち歩いてあげてと妻に言いました。
最後、私は不覚にも泣いてしまいました。娘は何もわからないし、簡単に会いにきてあげることもできない。
ましてや、会わせてくれるのかもわからない。自分でもよくわからない感情でしたが、涙だけはどっと溢れてきました。

朝2時過ぎから何も食べてはいなかったのと、身体が冷え切っていたので、暖を取るのと、私の話を聞いてくれた家族や友人などに、報告をして、少し暖まったのを思い出します。雪は酷くなるばかりで帰れるのかなと思いつつ、夏にこの地で在宅勤務をしている時は、こんなことになるとは当然、予想もできなかったなと思いました。

空になった大きなスーツケースを抱えて、本数の少ない空港行きのバスに乗り、無事に出発しそうなことを確認しつつ、便を待って、羽田行きに乗りました。約2時間半、寝ようにも眠れず、この先どうしたものかと、(悪さをしたわけではないけども)どうしたら許されるのか、前のように3人でやっていけるのか、今日、話に行ったのに具体的な解はなく、どうしようもない…と思いつつ、私に今できるのは、1日1回連絡を入れて、自分の気持ちを伝えることだけはできるから、それをやろうということだけしか、決められなかったですが。(周りからはそんなことしなくていいのではとも言われましたし、それが何も産み出しはしなかったけれども、その時に私ができることは、それくらいしかなかったので。)

そして、常々ひな人形も送れと言われていて、私は初節句を家族3人でお祝いしたかったので、それだけは拒んでいましたが、帰ってくる気配が無いことは北海道に行った時にわかったので、娘の初節句をお祝いできないのは娘があとで写真を見返した時に可哀想という思いだけで、胸の苦しさしかなかったですが、送りました。(ちなみに、ひな人形の購入に関しても、これもかなり酷かったのですが、ここでは割愛します。また、このひな人形と娘が一緒に祝った写真はただの1枚も私には送られてきませんでした。今となっては本当に性格が悪いなとしか思えませんが。)

毎日、連絡は入れていましたが、数日後に、妻から「この間来た時に、私の想いは話したつもりだけど、それを受けてどう考えているのか、連絡を欲しい」というLINEが来ました。私もきちんと返事をしたかったのでそれに対しての返事は数日後にしました。要約すると、自分自身が改められる、改めるべきところは改める。望んでいるのは、また3人で暮らしていきたいということ。今までの思い出や感謝、また一緒に3人でやっていけると思っているということを伝えました。

それに対する感想は、私に対する感謝は子供を授かれたこと"だけ"のように読み取れる文面と、3月3日-4日に荷物を取りにこちらに母親と来るということでした。ひな人形を送れと言いながら、何故3月3日にこちらに来るのかも理解に苦しみましたが、私はまた無駄になりそうだなと思いつつも、面と向かって話せる機会が本当に乏しいので、荷物の整理がついた後、少し話す時間をくれないかとお願いをして承諾をしてもらいました。

その後も連絡を私からしていましたが、具体的に何時位に来るのかも、私から聞かないと伝えてくれることはありませんでした。(在宅勤務なので、私にも都合というものがありますし)3月3日は、娘の初節句であるのと同時に、私たちの結婚式記念日でもあるので、私は一緒にお祝いしてあげられなかった娘を想い、ひな人形を形どったメッセージカードと(多分、捨てられている気もしますが)、いつも通り、記念日的な時には渡していた妻へのメッセージカードを用意して、何時来てもいいように食卓の机に置いておきました。

その日の午後過ぎに物音がしてやってきたのがわかりました。私はその日の午後、18:00までほぼ会議で埋まっていたので、娘に会いたくてもほぼ会えない状態でした。
やってきて、直ぐに我が物顔で、冷蔵庫の飲み物を飲んだり、やり取りが聞こえたのは、私が娘が帰ってきたら一緒に読もうと思って用意していた布の絵本、妻の母親が「これ、開けていいのかね?」と妻に聞いていて、「ああ、いいよ。」と。

会議中でしたが、めちゃくちゃ怒りが湧いたのを覚えています。

妻の母親にしたって、明らかに私が用意していたものとわかりますし、妻は当然知っているはずです。私がどんな気持ちで用意して待っていたか。そんなことをわかる人たちでは無いなと、改めて思ったのを思い出します。

私が会議の合間にトイレに行った際、2人に顔を合わせました。娘も久しぶりでした。
普通、大人なら、挨拶しますよね?
私は怒りや色んな感情を抑えながら母親も居たので「お疲れ様です。」と言いました。
無視です。
勝手に我が家に入ってきていながら、無視って…。

結局、私は16:50-17:00の間のみ、会議の合間で時間ができたので、娘を抱っこしに行き、洗面所の前でよく鏡を見ながら遊んでいたのを久しぶりにしました。今回は泣かれなかったけど、それだけでした。
17:00-18:00の間、私が会議をしている間に、2人は帰っていったようでした。

全部の荷物を持っていくわけではないのだろうと想像はしていたものの(事前にそちらに段ボールを送るからということで、私が受け取っていましたが、10枚程度でしたので)、明らかに中途半端な荷造りの状態で帰っており、これは翌日朝から来ないと終わらないのでは?という印象でしたが、向こうからの連絡は無し。

私も午前中からきっと来るのだろうと思い、連絡もしませんでした。それに、机に置いておいたメッセージカード、妻宛てのものは持って帰っていたのに、娘宛てのメッセージカードは持って帰っていない。何処まで性格悪いんだ…とも悲しくなったので、連絡する気にもなりませんでした。

翌日、午前中、来ませんでした。
一体、どういうつもりなんだろう?と思いながら、お昼前にトイレに行くと、家のドアが開きました。私がまた「お疲れ様で…。」と言いかけると、妻と母親はヤマトの単身パックを引き連れて入ってきました。在宅勤務中にNO連絡で、ヤマトの単身パックを連れてこられる感覚、想像できます?
なかなか無い感覚です。娘もアーアー言ってました。
私は仕事部屋に籠っていました。昼時なので、当然その日は昼食も食べられませんでした。いわゆる”普通”であれば、何時位にヤマトの単身パックと一緒に行くという連絡もするでしょうし、「仕事中にちょっと物音するけどごめんね」の一言くらいもあるでしょう。まあ、そんな気遣いも無いですから、全てがもはやこれが”普通”に思えてきます。

13:00の10分前くらいですかね。帰っていきました。
私はリビングに行きました。
この期に及んで、ゴミを残して行ってました。びっくりしました。
この状況でよく”ゴミ”だけ置いていけるなと。
私だったら、死んでもこの状況でゴミは持ち帰るなと。

更にびっくりしました。というか、やはり、娘の視点に立っていないんだなと思いました。絵本を一通り持っていってるのに、娘が一番好きだった、読んであげると一番喜ぶ、「のんたんのおしっこしーしー」だけ置いていかれていました。

これは、私の姉が姪っ子・甥っ子が小さい頃に読んでいたもので、いつか私の娘もトイレトレーニングが来るからとくれたものでした。何故か生後数か月の時から娘はこれを読んであげると一番喜んで。そういう絵本でした。
なのに、これだけ置いていく。”私の姉”からもらったものだからなのか、置いていってました。娘が一番喜ぶのに。(ちなみに、この絵本だけでなく、私の姉からもらったものなど、意図的としか思えない位持っていってません。)
その絵本は、私の本棚に大事にとってあります。いつか娘に思い出と一緒に渡してあげるつもりです。そして、相変わらず、娘宛てのメッセージカードは置いていかれたままでした。

もともと、その日は、妻と夕方話すために、業務を早く切り上げることを上司に了承をもらっていて、XX時に待ち合わせとしていましたが、もっと早く会えないかという催促のLINEだけ来ましたが、そんな直ぐに融通も利かないので、極力早い時間で妻の宿泊先近くのファミレスで時間をもらいました。

娘が泣いてしまうのがタイムリミットなので、1時間~1時間半くらいだったでしょうか。
賞味話ができたのは。
私は変わらず、3人でまた仲良く一緒にやっていきたいこと、仮面夫婦にならずにやっていけると思っていること、娘のことを考えると、何もわからないのに辛い想いをさせていいのかなど話したと思います(ここまで来ると、私も仮面夫婦になりそうというのは思ったりもしましたが、それでも、そうならず、娘のことを考えると、仲良くやっていこうという覚悟を持って話していました)。
この日も私はけっこうな衝撃でした。

妻から言われたのは、「そうだよね、XX(私の名前)は私にとっての不満なんて小さいものだよね、私はXXにとって良き妻だもんね。」と。
私は昨日、今日と、どんな辛い想いで、荷物を出されているか、この期に及んでゴミは置いていき、娘が大事にしていたものだけは置いていく。そんな妻が、自分から”私は良き妻だもんね”と言えるのが本当に理解ができなかった。

しかも、2月のオンライン会議、私はまず家庭の現状をシェアしたのに対して、「自分の妻であるならば、もっと家事などやってるように話してフォローすべきだった」とも言われました。私は2人のケンカを勝手に録音されているのです。それに、両家族に現状を知ってもらった方がいいと言われたのも妻からです。なのに、”ウソ”を付いて、”もっと自分(妻)がやってる風に見せないとダメだったでしょ”と受け取れる発言をされることが本当に怒りを通り越して、呆気でした。

場が場なら、私だって自分の妻ですから、フォローも当然するでしょう。
でも、そうじゃない。これからのことを考えてちゃんとどうやって行くかを話す場でそれはないでしょう。この日は、最後、お金の話などしたいと言われましたが、娘がもうタイムリミットということで、結局、進展をしないまま終わりました。

私はこの日の帰り道、私も残念だけど、もう無理かもしれないなと本当に思い始めたところでした。ちなみに、娘宛てのメッセージカード、これは私は話し合いの場に持参して、これは娘宛てに書いたものだから頼むから持って帰ってくれと話をして、持って帰ってもらいました。いつか娘が物心ついて、私と話す時に、「ああ、初節句のカード、取ってあったよ。読んだよ。」と話してくれることを祈るばかりです。


相談していた友人や、親友の弁護士の友人(後述)にもこの日あったことは話しました。夫婦別居をしている場合、連絡をあまりとらないと、悪意の遺棄ということで、離婚の原因とみなされる場合もあるようですが、この妻の状況だと、私から何も連絡をしなくて悪意の遺棄にはならないと言われました。それだけ酷かったようです。

翌週、妻からは婚姻費、養育費をよろしく的なLINEだけ来ました。私は養育費はともかく、婚姻費だと?何を言ってるんだとも思いましたし、ここから暫く、この数か月色んなことがあったせいで体調を崩してしまったこともあり、暫く、もう妻と距離を置くことにして、考えることにしました。

色々4年半のことを振り返りもしましたし、
そういえばと思って、ネットフリックスの視聴履歴を見て、その数を見て、びっくりしたのもこの時でした。
妻からは離婚に向けての話でたまにLINEが来ていました。
暫く、色々考えましたが、私も次の話し合いが最後で、心を決めようと思いました。

4月頭に、そのタイミングなら話せるから話そうという形で、電話で話をしました。結局、2時間位話したのかな。でも、ダメでした。
と同時に、私もこれは娘には本当に申し訳なさしかないけれど、ダメだなと思いました。

私の中で決定的だったのは、彼女から「XX(私の名前)もXXの両親も、父親も大事だみたいなこと言うけど、それが理解できないんだよね。大事なのは、私でしょ。私こそが大事でしょ。」というような趣旨のことを言われたこと。
ああ、彼女の中で、子供を、母親と父親で一緒に育てていくことの大事さ、子供にとってそれが嬉しいこと、父親は父親で大事であることというのことを根本的に思われていないんだなとわかったので、ああ、それでは、何を言ってもダメだったわけだとも思いました。
そして、最後に、もう絶対に別れる、復縁の可能性は1mmもないことでファイナルアンサーでいいのね?と聞いても、「何、ファイナルアンサーって」と笑っていたことにも、この場が笑うところかとも思いましたが、それよりも、もう無理なのはわかったけれど、何を言ってもいいとして、どうしたら、可能性があるのか?と聞いた時に彼女が言ったのが、「今後の人生、全て私の言うことに従うと言うなら、もしかして考えるかもしれない。」ということでした。これはもう無理でした。私の意志が僅かも無いということですから。友達からは、奥さんは”そう”思っているんじゃない?と言われたことはありましたが、この言葉をリアルに彼女の口から聞くとは思っていなかったので。

その後も色々というか、ここからも修羅場で、それはもう本当にとても大変でしたが、だいぶ長くなってきたので、なるべく簡単に。

私も最後の話し合いで、離婚に同意する方向で話をした翌週、あれも送って欲しい、これも送って欲しい、よくそんなこと、離婚したくない旦那に頼めるなというようなLINEも来ましたし、私は養育費は支払うつもりで公正証書は書くつもりは無いと言ってたのに、あたかも私が書くといったような体でLINEが来たり(詐欺師の手口かと思いました…)という感じでした。私は、私がどんな想いで離婚することに同意をしているか、一人でやっていくと決めたのだよね?甘いよ…や公正証書は書くつもりは無いという返事をすると、その翌日位に家族カードをいきなり20万円位切られていたり(調べると自分の化粧品などを買われていたようで腹いせにしか見えなかった。
結局、カードの浪費は裁判などになった場合でもほぼ考慮などはされないようで、友人や家族にも話をして止めました)、

連絡無しで、いきなり寝起きに一度、北海道から娘とやってくるということもありました。殆どホラーです(この状況で勝手に入ってくるのは不法侵入になるそうです。それに、家の鍵も返してくれと言っても、わかったと言いながら全然送って来ませんでしたしね。毎度、自分の要求だけはいつもなるべく早く急ぎで…と来るのに。)

実際の離婚に至るまでのギリギリまで、いや、離婚届けを提出したその日や、その後も色々驚かせられましたが、2つだけ。

彼女は、荷物を中途半端に持っていっていたので、彼女分と娘の荷物は彼女持ちの着払い費用負担前提で、私が全て行いました。
この状況で、私が妻・娘の分に加えて、自分自身の引っ越しの作業も行うことは、本当、心身削られる作業でした。ただでさえ物理的にも1人で3人分やるのは辛いですし、粗大ゴミなども1人出すのはシンドイですからね(ただ、妻は私との生活で一度も粗大ゴミの手配すらもしたことはありませんでしたが…)

何度も大きな荷物で、ヤマトさんにお願いをしていたので、収集のオジサンと仲良くもなってしまいました。
多分、この状況を何となく察してくれていたのでしょうね。
私も人間なので本当は全て捨ててやりたい気持ちや、適当に詰めて送ってしまってもという気持ちも時にはもたげましたが、これで最後。しっかり送ってあげよう、大事にしてそうだったものは送ってあげようという気持ちでした。

実際、わからないものは、聞かなくてもいいのに、これは要るか?などとも確認したりしましたしね(当然、妻からは御礼などはありません)。
陶器類も大事にしてそうなものは全て1つずつ包んで、梱包をしました。そして、今ってその箱を地面に落としてみて少しでも音がすると、宅配依頼ができないんですね。プチプチと緩衝材で完璧に包んでも、僅かに音がするので、回収に来たヤマトさんのオジサンに3~4回待ってもらって(また一回りしてきますね~というのを4度ほどやってもらったと思う…。)、それで何とか大丈夫でした。「まあ、最悪送らなくてもいいんですけど、大事にしてそうだったので送ってあげたいのですよね」と言って、ヤマトのオジサンにも理解してもらいました。

一方、妻からは、「未だ送ってくるんですか?これ以上送られてきても受け取りません。嫌がらせはやめてください。」というLINEが来ました。当然、御礼や感謝の気持ち何ぞは無いことは承知していましたが、嫌がらせ?そんなこと微塵も思っていなかったので、どうしたら、こちらの気持ちをそう受け取れるのかわかりませんでした。嫌がらせしたい人が、陶器など、そんな大事に1つ1つ梱包するか?人の気持ちわからないのか?という返事をしたら、嫌がらせではないのはわかりました、お疲れ様でした。という返信だけ来ました。

離婚後、私自身の引っ越しもあったので1ヶ月位ネットフリックスを開いていませんでした(というより、元々私はほぼ見ていないのですが。)。繋げてみると、妻の名前が未だ残っている。まさか未だ私のアカウントで見ているようなことは無いよなと思っていましたし、友達ともそれは流石に無いでしょうと話をしていた1週間後、念のため視聴履歴を見てみると。
見ていました。

しかも離婚後1ヶ月で100本近く。それに、明らかに妻の姉の子(男の子)が見ているような番組まで。一家揃って何やってるんだ。

私はこんなことできる神経がわかりません。大人のすることでしょうか。バレなければそれでいい。そういう行動ですよ。
私は、まさか見ているとは思わないけど(履歴が残っているので確実に見ているのですけどね…)、もし見ているのなら、大人としてこんな恥ずかしいことは無いので辞めてくださいと連絡をしたら「すみませんでした。」だけ返信が来ました。
子供の居る大人ならこんなこと絶対にして欲しくなかった。とても恥ずかしかったし、事象としては小さいことだけれども、これは本当に私もショックでした。人としての根本的な部分が全て出てしまっているというか。
娘がどんな子になってしまうのか。しっかり育てて欲しいです。

長くなりましたが、①はこの辺にしておきます。

書いている今も、街中で小さい子を見ると胸が締め付けられるようですし、邪険に子供を扱っているパパを見ると子育て大変だと思うけれども、それも当たり前ではなく、とても幸せなことだから頑張って欲しいなと勝手に思っています。先日も仕事でイベント立ち合いで、小さな子を連れたご家族が多かったので、何ヶ月ですか〜?とか、お肌白いですね〜とか、やっぱり赤ちゃんが気になって話しかけてしまうのですが、それと同時にまだまだやはり、なかなか傷に沁みました。

私が思うのは、まず、娘に申し訳ないこと。彼女は何も知らないでこうなってしまった。それは、私も含めて両親のエゴでしかない。彼女にもいつか、何故自分にはパパがいないのか、何故両親は離婚をしなければいけなかったのかと思う日が少なからず来るでしょう。それを思うと、ごめんねとしか言えない。

一方で、この過程の中でも、そして今も、妻が”本当に”娘のことを考えている判断だったとは思えないこと。詰まるところ、”私が嫌になったので、終わりです”というようにしか見えないこと。
彼女には彼女の思い、考えがあるのでしょう。でも、客観的に見ると、どうしてもそう思ってしまう。”娘”視点であれば、思い留まる選択もほんの少しでもあったはずですし、その機会は何度もあったはず。そして、一家揃って、それを誰も止める人がいないのも何とも悲しいことと私は思ってしまいます。

結局、私は、”彼女の都合の良いように動くべき人”であるべき、ということだったのかなと思います。引っ越し作業の過程で、私が過去、彼女にもらった手紙なども振り返って見てみました。その時々はそんなに思わなかったけれど、全部通してみると、一つ気づきました。

終始一貫、”私を大事にしろ”ということだけ貫かれていました。
私が彼女を大事にしていなかったわけでは決してありません。大事でないと思ったこともありません。けれど、彼女の視点では”大事にしている”と思えなくなったのでしょうね。

今までこの4年半の生活の詳細を私は家族にも友人にも特には話したことはありませんでした(まあ、それは何処の家庭もそうだと思いますが)。
ただ、今回話すと、寡黙な父にもよく4年半一度も手を上げなかったな、とも言われました。客観的に見るとそうなのかもしれません。

また、友人からも、話を聞く限り、よくキレなかったね、今回、こうなってなかったとしても、いつか、こうなっていた気がするよ。とも、もれなく言われました。私も、今回のことでこうなるのであれば、何時かもっと酷い形で違う形で同じようなことが起こっていた気もします。でも、それでも、何かやりようがなかったのだろうかと、不毛なことを考えてしまうのは事実です。人間ですから情もありますしね。

でも、そんなことを考えても仕方ないので。
娘も妻から母親視点で物心ついた頃に色々話をされるでしょう。
どんな話をされるかわからないですし、私がどんな悪い人になっているかもわかりません。私にできることは、ここに書いたような”現実にあった事実”と、”その時に感じた父親としての私の気持ち”、そして、”娘への愛情”を残し、娘が知りたい、聞きたいと思った時に伝えてあげられること。
それで彼女がどう受け止めるかは、彼女次第。私ができるのはそこまで。
でも、残しておかないことには、彼女も知ることはできないので、残す作業はなかなか辛いことですが、この文章や、また別の形で少し残しておこうと思います。

②、③はあまり長くならないように、もう少しだけ書いておきたいと思います。





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