会議が苦手で透明人間になりたかった話
いなくなりたい、穴があったら入りたい、居心地が悪い。
私にとって、会議とはそういう時間だった。
初めて転職した会社では、プロジェクトのために、外部からそれぞれの分野の専門家を呼んで、チームを作る。そして、定期的に会議を開き、意見を出し合いながら方向性を決める。この時間が、きつかった。
転職して間もない頃、とにかく、話の内容がサッパリ入ってこない。出てくる固有名詞を聞こえたとおりに書き留めて、あとでこっそりググるの繰り返し。ついていくのも精一杯なのに、その場の流れを止めて、たいそうに自分の意見を述べるのは、それはもう天にも届くくらい高いハードルだった。
きっと私が考えることは、みんな、もうとっくに思いついてる。見当違いの的外れなことしか言えない。夏の終わりのモスキートの、か弱い羽音くらいにしか聞こえないはずだ。そもそも、みんな、その道のプロである。だからお願いしてチームに入ってもらっている。積んできた経験が違いすぎる。私の出る幕なんてない。
それでも、活発な議論を前にして、じっと座っているだけなのは、いたたまれなかった。透明人間になりたい。なれないなら、自分もここに居てもいい、と思いたい。空調を設定したり、資料を配ったり、遅れてくる人の誘導をしたり、とにかく脇役に徹した。そうすることで、私がその場にいる意味を、なんとか無理やり作っていた。
半期に一回の上司との面談では「会議で発言すること」を目標に付け加えられたくらい、情けなかった。自分でもよく分かっていたけれど、苦手なものは苦手だった。
◇
ある年の忘年会。普段お世話になっている専門家チームも招いて、楽しくお酒を飲んだ帰り道。大人数の輪から、同じ方面に帰る人たちが各々に散らばっていく。
「僕、田園都市線です。同じ人いますか。」
普段、会議で一番発言するおじさんディレクターに「私もです」と言って加わって、後悔した。他に同じ方面の人がいなかった。よりによって、一番キレキレのディレクターと、一番下っ端の私が、二人だけで帰る。
気まずい。ダメ出しされたりして。急に弱気になったけど、コンビニに寄るとか、トイレにいくとか、自然なタイミングで不自然じゃない言い訳をさらりと言えるほど器用でもなく、結局、一緒に電車に乗った。
◇
住んでいるところが近いことが分かり、当たり障りのない、近所の話をしていたと思う。会話が落ち着いた時、何気なく言った言葉。
「最近、新しいプロジェクト担当されていると聞きました。ご活躍されていて、本当に凄いです。」
相手からしたら、私がペーペーのチンプンカンプンだったからかもしれないし、相手がちょっと酔っ払っていたからかもしれない。その人は、少し笑いながら沈黙した後、真剣な表情で言った。
「正直、怖いですよ。この歳になっても、朝起きてプレッシャーでお腹が痛くなることもあります。」
私の倍くらいある歳のキレキレディレクターから、想像に反した言葉が返ってきた。
「そんな風には見えませんでした。」
「そうですよね。」
思いもよらずその人が、本音の部分を少しだけ話してくれたから、それまでのうわべの会話から、一気に引き込まれた。互いの弱みを少しずつ出し合うように、私もつい、自然な流れで話し始めてしまった。会議が苦手だってこと、議論に入れず辛いってことを。本当は、上司でも同僚でもない社外の人に、こんなこと言うべきじゃないのだろうけど。
それでもその人は、優しかった。
「みんな最初はそうですよ。僕もそうだったし、みんな通る道だから大丈夫。それに、的外れなことを言っても、案外周りはなんとも思ってないもんですよ。そういうものですよ。」
そうですかね、ありがとうございます、とちょっと微笑んで、電車が止まった。それでは、と会釈して、一駅先に電車を降りた。
みんな通る道。私が知らないだけで、私よりずっと先に、みんな同じ経験してるのかな。不意に励まされて、泣きそうになって帰った。
◇
それからも、相変わらず会議は苦手だったけど、そのうち「これ、どうだったっけ」と質問されることも多くなり、自然と発言する機会も増えた。自分が投げかけた問いがきっかけで議論が始まると、その場の立派な一員になった感覚がして、嬉しかった。いつしか、悩んでたことも忘れるくらいになった。
あのディレクターは、途中でチームを外れてしまったけれど、かけてもらった言葉はずっと残った。思い出すたびに、励ましてもらった。
いつか私も、ずっと心に残る言葉で、後輩を励ます日が来たりして。
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