見出し画像

社会人になってすぐ、父と神保町駅で待ち合わせた

社会人になりたての頃、父から「出張で東京に行くから帰りにご飯でも」という唐突なLINEがきた。

中学生のときから離れて暮らす父。二人で外食した記憶は、どう考えてみてもない。

仕事終わり、向こうが指定してきた神保町駅に向かった。

あまり馴染みのない駅。疲れ気味のスーツが忙しく行き交う改札口で、ひときわ見慣れた顔を見つけたとき、思わず笑みがこぼれた。

父は以前、東京に単身赴任していた。

私が中学2年生だったある日、いつもどおり会社から帰った父は「異動になった」と家族に告げた。

単身赴任なんて、よくある話だと思う。

それでも、今まで当たり前にあった家族の形が、あっさりと終わってしまうことが寂しかった。

父は赴任後も、月に一度は家に帰ってきていた。

父が帰ってくると、ほんの少し、リビングで過ごす時間が増える娘と、いつもよりちょっと豪華になる食卓。母と娘の間に、本人たちにしか分からないような、特別な空気が流れた。

当初、3年の予定だった赴任期間は、いつの間にか、5年、6年と延びていき、私は高校を卒業し、大学生になった。

父の単身赴任がやっと終わる頃、今度は私が大学を卒業し、就職で、父と入れ替わるように上京した。

東京で出会ったのは、都会に住み慣れた同期たち。好きなブランドがあり、おすすめのお店があって、ワインの飲み方だって知っていた。

一緒にいて、自分がいたたまれなくなる時があった。思い出すのは、缶ビールで真っ赤になる父。ワインの飲み方なんて、誰も教えてくれなかった。

SNSで繋がると、見なくて済んだ部分も見えてくる。東京で家族と暮らす同期の女の子が、父親と2人で素敵なブランチに出かけた写真を目にして手が止まった。敵わない。何もかも。胸が苦しかった。

週末の昼下がり。ベランダから生温い空気に乗って、電車の音が聞こえてきた。やけにがらんとした、6畳の私だけの空間。スマホ片手に、なんだか泣きたくなった瞬間だった。

「お父さんは休みの日、東京で何してたの?」

飲食店に入って注文を待つ間、私の唐突な問いに、父は東京での思い出をぽつり、ぽつりと話し始めた。自転車でいろんなところを巡ったそう。浅草寺と上野公園が特に気に入ったらしい。

父がどんな風に東京で過ごしていたのか、実はあまり知らなかった。ちゃんと楽しんでいたんだと知って、娘ながらに安心した。

私がおごるよ、という娘の申し出を、父は笑って流した。店を出て、父の新幹線の時間まで、二人でブラックコーヒーを飲んだ。取るに足らない会話に、何故だかとても安心した。

「じゃ、また」

まるで明日も会うような軽妙さで、ぱっと手を上げて人混みに消えて行った父を見送り、一人帰路についた。

父はきっと、私が東京でちゃんと楽しく生活しているか心配だったんだな、と勝手に解釈した。都会の底なしの華やかさも、1人の家に帰る孤独も、父は知っていたはずだから。

最寄駅から家まで歩いて帰る途中、父の静かな優しさが、今になってふんわりと心に染みてきた。

「東京、めっちゃ楽しいよ」

なんて言ったら、きっと喜んでくれるんだろうな。

そう思ったら、同期と比べて卑屈になってる自分が、どうしようもなく感じた。SNSなんて見てる場合じゃないかもしれない。少しだけ前向きな気持ちになった。

帰宅して、狭いシンクに朝の食器がそのまま取り残されているのが見えて、現実に戻ってきたと思った。でも、もう悲しくはない。


今度、浅草寺に行ってみよう。

次の週末のことで頭がいっぱいになっていた。







美味しいおやつを食べたい🍪🍡🧁