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仕事旅日記

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前職の仕事で訪れた日本各地での体験や旅情を、思い出しながらテキストにしたためています。
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2020年2月の記事一覧

郡山市のタクシー

福島県郡山市。 東北地方では仙台に次ぐ規模の中核都市であり、新幹線やまびこに乗れば東京から1時間少々で来れてしまう。 東京駅から気楽に遠出するなら有望な選択肢の一つだが、ぼくの場合はあくまで仕事である。 この日、ぼくは午前中は東京の社内で雑務をこなし、16時から始まる郡山市での打ち合わせに間に合うよう、東京駅から新幹線に乗った。 余裕を持たせて、郡山駅15時前後着を目標にしたとしても、13時半に東京駅にいればほぼ間に合う。 東北地方であるにも関わらず、東京駅から2時間半

伊豆の和菓子

仕事柄、片道2~3時間程度の移動は珍しくない。 ほとんどの場合、電車に乗れば黙っていても現地に着くので、行程の大部分は寝ているだけである。大した苦でもない。 ぼくは、いつものように新しく担当する顧客について調べていた。 現地の住所を地図に出して行き方を調べるのだが、周辺地図を隅々まで見た後、首を傾げた。 駅がない。 地図が間違っているのかと思い、別の地図サービスで同じ場所を調べてみたが、やはり、ない。 場所は、伊豆半島の先端より少し上の西側である。 縮尺を変更し、伊豆半島の半

山の画商

「山下清、知らないの」 初老の画商が、驚きとも残念とも取れる声を上げた。 「すみません」 ぼくは心底済まない気持ちで言った。 「テレビドラマもやってたんだけどなぁ」 「不勉強なもので」 「じゃあこの人知ってる?千住博」 画商はまた別の絵を見せてくれた。 「この人、絶対来ると思うんだよ。知ってる?」 「いえ、すみません」 ぼくは美術の学校を卒業している。 そこで美術史やデザイン史は一通り学んできていた。だが、画家の名前、それも日本の画家となると、ほとんど知らない。 つくづく、勉

松本城の話

松本に来ている。 新宿から特急あずさで2時間半のこの町は、観光地としても有名だ。 この日、思ったよりも早く用事が済んだ。 すぐ帰ってもよいが、松本まで来ることはあまりないので、少し勿体無い気もする。 せっかくなので、松本城に行ってみることにした。 多少、時代小説は読むものの、攻城戦の時代は守備範囲から外れており、当然城マニアでもない。どこまで楽しめるかはわからなかった。 橋を渡って券売場で観覧券を購入し、敷地に入るとまずは立派な構えの黒門に迎えられる。 隅々まで綺麗に保たれて

上諏訪駅の足湯

中央本線上諏訪駅。 JR新宿駅から全席指定の特急あずさに乗っておよそ2時間ほど揺られると、この鄙びた駅で停車する。 地方の駅はどこもかしこも似たり寄ったりで、駅の構造だけで言えば、大した個性などない。 ただ、この上諏訪駅に限って言えば、ホームに足湯があるという点が他と大きく異なる。 ホームの端に赤紫ののれんが下がり、白い文字で「足湯」と大書されている。 無人である。そこだけ岩石を積んだ雰囲気のある施工になっており、それがむしろ駅のホームとの場違いさを際立たせている。 乗客は無

飯田市というところ

長野県南部に、飯田市という場所がある。 静岡県との県境に位置し、人口は推計10万人前後。 ウィキペディアには、経済的には愛知県各都市との結びつきが強い、とある。 ようするに、関東甲信越の枠組からは外れた場所なのである。 東京駅からの交通の便として鉄路を使おうとすると、なんと最短で4時間かかる。 自宅から東京駅までの時間を考えると、ドア・ツー・ドアで5時間強かかる計算だ。 こんな場所に日帰りで行くのは狂気の沙汰だが、仕事の都合上、それを強行しなければならないケースもある。 その

外房線

千葉駅周辺はかつて住んでいた街ということもあって、若干の土地勘がある。 しかし、駅構内となるとあまり馴染みがない。特に県の内陸部へ向かうホームは上がった事すらなかった。 この日、初めて外房線に乗った。 ぼくは、初めて乗る電車ではできるだけ眠らないようにしている。 かと言って、到着までする事もない。 仕事を始めたばかりの頃は小さなメモ帳にクロッキーをしていたが、次第にそれもやらなくなり、結局子供のように窓を眺めるだけに落ち着いた。 この日の外房線でも、進行方向左側の車窓を眺めて

単線2両の列車が、霧の山中を行く。 八王子から高崎までを結ぶ八高線は、乗り慣れない乗客にとっては敷居が高い。 まず、乗り場からして変わっている。八王子駅から八高線に乗るには、1、2番ホームまで降り、そこから100メートルほど歩いた先にある一番端の3番ホームまで行く必要がある。 それも1時間に1本という閑線だから、絶対に遅れられない。 他の路線であれば、一本逃しても別の経路を検討する余地があるが、八高線の途中駅へは八高線でしか行けない。 そういう理由で、この路線を使う時は普段以

あるいは

「こんな田舎まですみません」 母親ほどの年の婦人が、慇懃に頭を下げた。 「とんでもない」 慌ててぼくも頭を下げた。 「タクシー呼びましたから、あと何分かで来ると思います」 「ありがとうございます。失礼します」 最後にもう一度頭を下げて、ぼくは洋品店の外に出た。 すっかり暗くなった通りは、一見、自宅のそばの住宅地のようにも見える。 しかし実際には、生まれて初めて来た町だった。 「寒いですね」 いつのまにか、婦人の娘さんが隣に来ていた。 年はぼくと同じくらいに見える。 来た時から

境界

客先からの帰り道、もう少しで駅に着くというところで、踏切の警報が鳴り始めた。 えっ、と声が出た。事前に調べた時刻表では、まだ電車は来ないはずだ。だが、間違いがあったのかもしれない。ぼくは慌てて走り出した。 閑静な住宅地の最後の角を曲がると、唐突に単線の駅舎が現れる。 面倒なことに、改札が踏切の向こう側にしかないので、一度遮断機が降りてしまうと駅には入れない。 そして、電車は1時間に1本しか止まらない。逃してしまうと、後の予定が大幅に狂ってしまう。 ぼくは息を切らせながら、なん

黄色い地平線

目を覚ますと、列車は黄色い四角形の上を走っていた。 見晴らしが良い。ゴッホが筆を入れたような橙の地平線に、新建材の住宅が横一列に並んでおり、そこまでひたすら黄金色の稲穂が続く。風が吹くと稲がしなって、誰かが田の中をかき分けて走っているようにも見えた。 ぼくは伸びを一つすると、列車の中を見渡した。旧型の車両である。次の駅を示すLEDもない。 今日は日帰りで帰京する。この先の燕三条から新幹線に乗る予定だが、この鈍行は、燕三条に向かっているのか、寝過ごしたせいで反転し逆方向に向かっ