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松本城の話

松本に来ている。
新宿から特急あずさで2時間半のこの町は、観光地としても有名だ。
この日、思ったよりも早く用事が済んだ。
すぐ帰ってもよいが、松本まで来ることはあまりないので、少し勿体無い気もする。
せっかくなので、松本城に行ってみることにした。
多少、時代小説は読むものの、攻城戦の時代は守備範囲から外れており、当然城マニアでもない。どこまで楽しめるかはわからなかった。
橋を渡って券売場で観覧券を購入し、敷地に入るとまずは立派な構えの黒門に迎えられる。
隅々まで綺麗に保たれているので、素人目には古いのか新しいのか判別できない。
ただ、この巨大な扉を閉められたら、正面突破はまず不可能であろう、と、いつの間にか城攻めをする側の目線で見ている。
門を抜けると、突如視界が開けた。
学校の校庭のような広さの芝生が広がっている。その向こうに松本城が威容を放ち鎮座している。
仮に門から入れたとして、遮蔽物のないこの場所に入ってしまうと、城の矢狭間からは丸見えである。弓矢や鉄砲があれば狙い放題であろう。そして城の最下段は石垣であり容易に取り付けない。
なるほど城は戦闘のための設備なのだな、と感心しながら近付くと、石垣のすぐ上にはそこかしこに攻撃用の隙間が設けられているのがわかる。徹頭徹尾、敵を無力化する工夫が凝らされていた。
城の中に入ると、黒光りする板の床と、同じ質感の無骨な円柱の柱が組み合わさっている。
どの階も階段はきついが、一番上の階段はほとんど梯子である。今の建築家がこれを「階段です」と言って施工したら間違いなく顰蹙を買うであろう。
頂上からの見晴らしは確かに素晴らしいが、残念ながら現代のビルからの眺めに慣れた目には大した感動はない。
それよりも、城の内部までが鎧武者の肋骨のような無骨さを持っていることの方に興味がそそられた。
「月見櫓はぜひ見て行ってください」
黒々した柱と梁など、地味な場所ばかり見ているぼくに職員の方が釘を刺した。
それならばと、急な階段をすべて降り切ってから最後に見に行った。
確かに美しい空間だった。閉塞感がなく、ほぼパノラマの視界を得ることができる。
外側に張り出した赤い欄干も優美で、実用一辺倒のほかの部分とは設計思想からして明らかに異なる。
ここが、平和な時代になってから追加された場所であることは、説明されなくとも理解できた。
そりゃこういう場所も欲しいよな、と、ぼくは殿様に同情した。
一応、作られた理由として、時の将軍・徳川家光が善光寺詣での帰りの宿城として宛てることが決まった際、急遽作ったとされている。(ただし、色々あって家光は来れなかったそうだ)
それはそれで間違いないとは思うが、城主は、内心でこういう空間が欲しいと常々思っていたのではないか……と邪推した。
安土桃山時代末期に築城された際、この城の存在意義は純粋な戦闘要塞の色合いが強かったはずである。
しかし、もはや戦時の緊張状態がない時代となれば、これだけの無骨な施設はオーバースペックで、日常ではむしろ息苦しく感じられたのではないか。
この月見櫓の異質な解放感が、殿様の胸の内にあった欲求を表していると思えてならない。
また、この場所は外から見ても面白い。
城の横っ腹に文字通り取って付けたように張り出しており、城の均整を崩している。
このアンバランスさこそが、例えて言うなら真面目一徹の男が実は甘いものが大好きだったという風な、この城唯一にして最大のチャームポイントであり、確かに見る価値のある場所だと思った。

というわけで、松本城の見物は思った以上に楽しめた。
これこそ、旅の醍醐味である。日常の生活や興味と交差しない文物に触れることで、予想外の新しい発見を得ることができるのだ……と、格好良く言いたいところだが、ぼくにとっての「旅」は、ほとんど電車で寝ているだけなので、残念ながらこの限りではない。

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