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大学を卒業できなかった夢を頻繁に見る

「単位があと少し足りなくて、大学を卒業できない」という夢をよくみる。一度くらいみたことがある人は多いと思うが、私の場合盛らずに20回以上はみている。しかもとてもリアルで、インターンに行っていて2単位落としたとか、単位の計算が間違っていて4単位足りないとか、そういう夢なのだ。

朝起きて、「また夢か」とホッとする。そして同時に、まだ大学(=学歴)に固執しているような自分の心理に嫌気が指す。夢の最後にいつも思うのだ。「大学を卒業できなかったら、私はなんの価値が残るのだろう」と。

大学は言わば私の人生の一つの集大成だった。親や祖父母や世間体や先生の希望や期待に翻弄されながらも十数年食らいついた。(3歳くらいから私の戦いは始まっていた。)周囲が認めてくれる正解の形を最後に叩き出し、ようやく開放された瞬間だった。入試に落ちていたら死んでいたのではないかと本気で思う。

今から思えば大学の名前なんて入試直後〜入学までしかほぼ意識しないし、それ以降は自分がどう生きるかでいくらでもひっくり返せる。社会人になった今、自分がどこの大学を出ているかなんてほとんどの人が知らない。死ぬ価値なんてないのに、あの時の私にとってはそれが世界の全てだった。

命をかけて入ったような大学なのに、私は大学で学んだことをほとんど覚えていない。学部の専門科目だった法律にも政治にも英語にも関心がほとんどなかった。自分が何を学びたいのかなんて大学に入るまで考えたこともなかった。授業の大半を寝て過ごし、バイトとサークルと恋愛に勤しみ、卒なく単位を取りちゃんと卒業した。

教育のゴールや目的を「そこそこ高い学歴を手に入れる」とすると成功したと言えるだろう。でも、ゴールや目的を「学びを深め人生を豊かにする」と置き直すと、失敗だったと私は思う。でも、それに気付けた今こそ、学び直しのタイミングではないかと考えることも出来る。

私は何を学びたいのだろう。仕事をしていても、上司に「どうなっていきたいか」を聞かれるのがすごく苦手な私だ。他人の「どうなってほしいか」を聞きたくなる。でも、学び直しは100%自分のためなので誰も答えを持っていない。

なんとなく結婚してからの自分の人生のテーマは「自由」なので、「自由」に学びたい。自由を体現しているような芸術やアートに興味もある。でも正解がないことを学ぶことへの怖さもある。そんな葛藤を乗り越えて、何を学ぶか決められた時にまたnoteを書こうと思う。




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