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夢を語れ

サラッと書いた油絵をとても褒めてくれた人がいて、志望校に芸術大学の名前を書いた。「芸大に行ってなにをするの?」と驚く両親。せめて「もっと上手に絵を描きたい」くらい言えたらよかったのに「行ったら考える」とスッカラカンな回答をしてしまい、あっさり“普通の”大学へ。

趣味としてでも絵を描き続けるかと思いきや、ペンをギターに持ち替えて、寝ても覚めてもバンドバンドバンド。親友がメジャーデビューを果たしたことに煽られて「私も音楽で生きていく!」と意気込んでいたのに、いつのまにか就職活動を始めていた。

バンド活動の経験をもとに音楽番組を作りたいと、鼻息荒くテレビ局に入社。番組制作はいつだって苦しくて、楽しかった。それなのに、やっぱりここでも悪い癖が出る。いつの間にか、興味の先がテレビではなくなっていた。

いつだって異常に全力投球で、絵を描けば入選したし、ピアノも全国大会で賞をもらった。身を粉にして働いたことで、だれもが知っている全国放送番組にも携わった。ただ、いつも熱しやすく飽きやすい。燃え尽き症候群も普通の人の比じゃなかった。一度灰になった情熱は、再びその形を取り戻すことなく私の中からあっけなく姿を消してしまう。娯楽のゲームやアニメに感しても、夢中になるとすぐにオタクを名乗ってみるくせに結局“飽き”に耐えられなかった。


だけど、なぜかひとつだけ例外があることに気がつく。
趣味で始めた、写真。

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理由は明快で、一眼レフが私にとっては難しかった。これまでやってきた、人の筆を真似たり、人の音を真似たり、セオリーにそって台本を書いたり…すぐにそこそこのレベルに到達できたことが、なぜか写真には通用しなかった。私を被写体として撮影してくれた人がいて、その人が撮ってくれると私なんかがずっと違って見えた。私も、レンズの向こうの誰かを喜ばせたくて真似してみたけど、ピントを外さないというところから難しい。ブログやSNSにしがみつき、さらに本屋でカメラ雑誌や写真集を買い漁った。皮肉なことに、知れば知るほど“何を撮っていいか”さえ分からなくなった。

迷走しながら色んなものを撮る。人、動物、花、景色、商品…そうしているうちに、向き不向きはさておき「これは撮っていて楽しいぞ」という対象が不思議と見えてきた。アスリートとバンドマン、猫、花。納得いくまでひたすら撮った。

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さらに、ポートレートを続けるうちに「写真を見ただけでカメラマンの名前が分かる」シャッターを切るカメラマンに出会う。彼が撮った私は、私であって私じゃなかった。「彼が撮った私」だった。そのせいで、写真に自分そのものを映し出したい欲が出てくる。無個性ショットからの脱却、これがいまだに難しい。けれどいつのまにか、「伝わりました」と言ってもらえる写真が出てきた。なにがきっかけだったか分からない。シャッターを切っているうちに、なにかが身に着き始めていた。


そうこうしているうちに、振り返ればカメラを触って7年になる。たった7年かもしれないが、平成の世に生を受けた私にとっては「7年」だ。

徹夜で番組を編集しながら、カメラマンになりたい思いが日々強くなっていく。芸大も専門学校も出ていない私が語るには滑稽な夢だった。いつ飽きるか分からない恐怖心もまだ存在していた。

臆病な私を後押ししたのは、新聞広告で見かけた少年ジャンプの「夢は、口に出すと強い」というキャッチコピー。はじめは親しい友人に、次いで恋人(今の夫)に、最後に両親に、勇気を出して夢を伝えた。口に出していくうちに実感したのは、思いが強くないと夢なんて恥ずかしくて語れやしないということ。「カメラマンになる」と宣言するたびに、気持ちのハードルをひとつひとつ越えていったように思う。


2019年、お世話になった上司に一礼し会社を去った私は、ついに首から「PRESS」のカードを下げてスポーツを撮った。一度きっかけが生まれると、次々に縁がつながって音楽ライブやイベントを撮った。お金になるものにもならないものにも、カメラを向けた。息をするようにシャッターを切った。

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カメラは呼吸。放っておいても心臓が鼓動を打つように、カメラもいつしか自然と私のそばにあった。カメラは、呼吸。

いつ飽きるか分からない。それでも、写真を撮り続ける限り、私は書くことをやめない。
2020/3/23 こさい たろ


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