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私は料理するのが好きなわけじゃない

私のパートナーは料理ができる。私はそれがとてもありがたいし、大体この話をすると「男性なのに料理ができるなんて凄い」「そんな男性あんまりいないよ」と言われる。とっても誇らしい気持ちになると共に、ジェンダーバイアスにモヤっとした気持ちにもなる。

私がいきなりこんなケンカ腰の文章を書き始めたのは、最近育児家事労働の三重苦で疲弊している友人をたくさん見るからだ。(最近テレビでも見てしまった…)なので、彼女達の代わりに私が今日はモノを申したいという気持ちで書く。

「料理ができる」にも色んな種類がある。レシピがなくても、自分で推測して調味料を組み合わせたり、焼き加減を自分で判断して、オリジナルの料理を作れる人も「料理ができる」だ。でも、そこまで料理ができる人ってかなり一握りだし、そもそも料理するのが好きな人だと思う。趣味の域。

私も私のパートナーも、レシピを読んでそこに書いてある通りの作業が出来るという意味での「料理ができる」人間に該当する。多分私と彼の料理レベルはほぼ同じくらい。包丁使いと揚げ物は彼の方が上手で、味付けや焼き加減の判断は私の方が上手。

壊滅的に手先が不器用で包丁が使えないとか、文章の指示理解が出来ないとか、ワーキングメモリが鬼低いとかそういう理由がない限り、「男だから料理ができない」は今の時代で意味がわからないと思う。一品作るだけなら、レシピに書かれた通りに一つずつ作業すればいいので、マルチタスクですらない。

なので、「料理ができない」の男性の大半は「料理がしたくない」だけなんじゃないかなと推察する。だったら、潔くそう言った方がいいと思う。料理が好きで、したくてしてる女性はほぼいない。皆生きていくための栄養を得るために、ただ作業をこなしているのである。

昔は男性が外で仕事をして稼ぎ、女性はその代わりに家事育児という仕事をして、負担を分担していただけだと思う。現代の共働きの家庭で、誰でも出来る家事や育児を分担しない理由がよくわからない。

ただ、ここからはパートナーの惚気になってしまい恐縮だが、彼は多分他の人より(ジェンダーに関わらず)料理することに慣れていて手際がいい。アルバイトの厨房での経験や、一人暮らし歴が長いから。そういう意味での「できる」は確かにある。

そして「できる」どうこう以前に、私の3倍は忙しくて日付が変わるまで仕事をしてるのに、ちゃんと台所に立って、料理の作業時間を確保してくれるところがすごいと思う。そういう時間の使い方が出来るパートナーのことを本当に尊敬している。(負担を平等に分担という観点では、勤務時間の短い私が料理をしなければいけないと思いつつ彼の優しさに甘えている。)

私はパートナーと料理する時間がとても好きだ。それは料理という作業が好きなのではなく、めんどくさいことを2人で分かち合い、効率よくそして楽しく、その時間を乗り越えていることが好きだ。

料理は「できるかどうか」ではなく、「やるかやらないか」である。いつか夫婦で料理をすることが当たり前の社会になればいいなと、強く思う。

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