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今日の漫画

 皆さん、こんにちは。お元気ですか?今日のタイトルの気分はこの漫画だったのでこれに。この漫画をご存知でしょうか?ハロルド作石先生の、大ヒットロック漫画『BECK』。佐藤健さん、水島ヒロさん、桐谷健太さんなどが出ていた映画は有名ですよね。
 平凡な毎日を送る、高校生の主人公がベックという奇妙な犬を飼っている、ギタリストと会って、ロックバンドにのめり込んででいくという月間マガジンに長期に渡って連載されていた当時じゃ珍しい、音楽漫画。アニメだと、アニメーションの中に音楽も入っているから、わかりやすいけど、ハロルド先生は、いろんなロックバンドの情報やギター、ベースなどの情報を漫画に織り込んで、音楽についてわかりやすく説明し描いてくれています。漫画から音楽が聞こえてくるかのような、印象さえ当時受けました。
 ロックに興味があるけどわからない!ていう人は読んでみたら結構勉強になるし、読んでみてはいかがでしょうか?

はてさて、今日の話題は

 以前は、本当に自分の自己満足のような、自己紹介から自分の好きというものを記事にしてみたら、前の記事に『スキ』してくれた人がなかなか多かった。僕のようにスキを形にしている人はなかなか多いようですね。なんか嬉しく感じちゃいました。
 ここから言いたいのは、好きは自分だけでとどめておくのは勿体無いということですね。やっぱりそれに良いも悪いも反応してくださる方々が世間にはたくさんいらっしゃる。それが自分の成長の糧になるわけです。
 新年始まって僕も、記事を描いてみてよかったなあと感じているわけです。よければ、コメントで言葉にしてわかりやすく形にしてもらえたら本当にありがたいとも感じています。(したくなった人は是非して下さい!無理強いしてるわけではありません。)

今日は好きな人、嫌いな人について

 以前の記事を書いてから『好き』の逆の感情、『嫌い』について考えてみました。ちょっとそのことについて人間関係で考えたことを書いてみます。
 私、仕事上の付き合いの人が歳を重ねるにつれ多くなってきましたが、地元、大教会ともに幼馴染ともまだ交流があったり、学生時代からの友達とまだ関わりがあったりします。なぜまだ付き合いがあるかというと、一緒にいて心地よいですし、これからも関わっていきたいと思う仲だからと思うのです。
 逆に、仕事の上では多くなりましたが、ある程度まで行ったところで関係をやめてしまった人もいます。関係をやめてしまう人も様々ですが、やっぱり中でも嫌いになってしまいやめた人もいます。その人がダメな人間だからやめたとか、デキない人間だから、イけてないからとかではないんです。
 それで、僕は、嫌いになってしまった人の事をたまに考えてしまいます。どうして嫌いになったんだろうと。好き嫌いで人間関係を決めてしまうのは良くないことなんだとも思いつつも考えるのです。
 一つ言えるとしたら、自分と合っていないと思ったからです。自分という人生を歩んでる自分と、彼(彼女)という人生を歩んでいる彼(彼女)との間に交わる部分がなかったのだなぁと思ったのです。わかりやすい言葉で伝えるとするのならば、お互いの人生に必要がないんです。特に思うのが、自分がその人との関係を諦めてしまった瞬間関係が終わるんだなと。それが『嫌い』になるんだなぁと思うのです。完全に主観で言ってますけどね。

だからどうするか・・・・・

 僕の個人的な意見とすれば、無理に嫌いな人と付き合う必要はありません。僕の考え方からすると、自分の人生には必要ないんですから。無理して付き合う事もないんです。言い方が悪いかもしれませんが。
 でもお道の考えをここで取り入れてみましょう。神様のお言葉ではどのようなお言葉が残されているのか。『嫌い』について、天理教の神様は結構明確にお言葉をくださっていました。

『・・・神は抱える事は嫌い/\大嫌い。このやしきは無理しては通れん。このやしきは無理して通れん。通れん事はなけれども、無理しては続かん。皆日々やしき中通りて居る者は、理があるで。・・・・(略)・・・・神は義理は嫌い。人間の義理はすっきり通らんで。これだけは諭して置く。』
                           (明治24年1月29日 刻限話)

天理教教会本部 『おさしづ』

 この『おさしづ』からわかることは、親神様(天理教の神様)が直々に取次の人に残し、神様からすると言いたいことがあるから聞いてくれ。というシチュエーションになったからお言葉を下さったお言葉です。天理教教会本部の人に言いたいことがあるから聞いてくれとのニュアンスです。
 当時の状況は、おおまかでいうと、前年に初代真柱様(天理教の代表)が教祖の孫(どちらも孫ですが)ご結婚されて、新年が明けて、教祖が姿を隠されてから5年、五年祭が勤められた後のお言葉とされています。
 『神は抱える事は嫌い/\大嫌い。このやしきは無理して通れん。』と仰っています。つまりは、今真柱が結婚して、教祖が姿を隠して、この世界に助けに出て5年の旬であるが、我が子であるお前たち!無理すんな!今できることやってみろ!人と人の義理がどうこうとか言い始めて人間関係悪くするな!人間の義理なんかしれてるからな!それだけは言っといたるわ!無理して続かん事は目に見えてるから。そういうこと嫌いやからな。どっちかというと、やしき(教会本部)の神様の御用の方が君たちには大事!迷うなよ! というお言葉です。ちょっと現代語っぽくありますが。笑

無理して付き合う意味はあんまりない。

 僕が信仰している天理教でも人間関係においては無理することは良くないって言っています。僕たちの天理教は『陽気ぐらし』(簡単にいうと人と人が互いに助け合って暮らし合っていく世の有り様)を目指して生きていますが、その神様も拗れるんならやめときな、ちょっと頭冷やしな?的なニュアンスでお言葉をくださっています。
 とりあえず、嫌いで合わない人がいるのなら距離取って見る。距離とってこれからも付き合わないならよし。付き合う関係ならちょっと考えてみる。どうすれば良くなるのか考えてみる。それが『嫌い』に対しての僕ら天理教の答えなんですよね。良くなっていければ尚更よし!もっと良い関係になってみよか!という事です。
 
わかりやすかどうかはこの記事を読んでくださった人にお任せします!でも、嫌いな人で悩んで人がいるのなら、このマインドめっちゃ大切やと思います。
 今あなたが歩んでいる人生はあなた自身なんですから。あなたがどう思って毎日過ごしているか。この人とはもいいやと思うんなら、一旦考え直すということも含め、やめてみてはいかが?そこからやり直すことはいくらでもできます。
 というわけで、この記事の締めにしたいと思います。今日みなさまに送る僕の絵はこちら!!

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ってなわけで皆さん今日も一日お疲れ様でした!
懲りずに僕の記事読んでください!

Dessiné par : Hiroasu
Titre Dostia


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