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複雑化の教育論 (教育実習を終えて)

こんにちは!KIRAです(^^)
梅雨のシーズンとなり、夏が近づいていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

最近は、教育実習を終えて、研究室生活も再開し、毎日研究に明け暮れている日々です〜

今日は、最近読んだ、内田樹さんの「複雑化の教育論」のレビューをしながら、自身の教育実習での振り返りなどをまとめていきたいと思います!

1、複雑化する教育

「子どもの複雑化を素直に喜ぶことは大人の大切な職務である。」

教育実習で一番最初に思ったことは、「生徒がものすごい勢いで変化し、成長しているということ」です!

2週間という比較的短い期間で、彼らが「ああでもない」「こうでもない」と悩みながら”複雑化”していくのを感じました。

昨日の自分とは、構成している細胞も、考え方も、行動も少しずつ変わっていきますね。

そんな変化を、素直に喜ぶことが出来る教師が理想の教師だなぁと思いました〜


また、筆者は教育を考える上で、学校について以下のように述べています。

「学校において最も大切なのは、来た人が『心を開く』ことだ。」

教育実習初日に、担当となったクラスで自己紹介をしたのですが、教室に入った瞬間から、

「どんな人なんだろう?」「なんの教科なんだろう?」

と、生徒の心の声を感じました!

自分に興味を持ってもらえると『心を開く』ことがしやすいなぁと思いますね〜

生徒も同じで、『心を開く』ことができるように、コミュニケーションを行いやすい「場の支援」が重要であり、教室に入るとホッと出来るような環境にすること、つまり、学びの場を整え、生徒が知性的・感性的に開かれた状態にすることが教育において重要なことだと思います!


「子どもたちの成熟を支援する場が学校という場である。」

筆者は、実学志向が叫ばれる現代において、「有用な知識技術の獲得」「格付け」が教育の目的となっている人が多いと述べていました。

確かに、プログラミング教育や、金融教育、コミュニケーション英語など、実学に繋がるものを現在の教育では取り入れようとしている気がします・・・

ただ、本当に教育にとって大切なことは何かと考えた時、自分は「学ぶって楽しい」「繋がるって面白い」と素直に思える心を育てることだと思うんですね。

実学になればなるほど、評価が気になり、学びの本質からずれていくような気がします。

特に、思春期の子どもは「心」と「身体」がずれて、自分の中に見知らぬ欲望や感情が生まれる時期でもあるので、実学ではなくて、まずは、彼らの成熟を支援することが出来るような環境を用意することが大切ですね!


「教育の場における最も重要なメッセージは交話的機能(互いの存在を確認し、承認し、祝福する)である。」

教育の場において大切なのが、「社会的承認」です!

生徒はまだ社会に出ていないので、いわば「保護された存在」だと思います。
それなのに、よく親から、「働くってこんなに大変なんだよ」とか、「社会に出てないくせに」などと言われるのは、違うのかなと思います。

そんなに早く成熟するものでもないし、色んな経験を通して体得していくのが社会性だと思うので・・・

なので、子どもには「のびのび成長していいからね」と承認してあげることが大切なのではないのかなと思います!

対話を通して、互いの存在を確認し、承認する、さらに祝福することができるような人になりたいと思いました〜


2、単純化する社会

この章では、ブルシット・ジョブ(くだらない・無意味な仕事)について述べられてました!

現代の資本主義社会において、大学などの教育現場も、カリキュラムの内容や学部編成、助成金などが様々なニーズに対応するために合理化されている現状がありますね〜

この思想が、「長いものには巻かれろ」という事大主義を生んでいますね・・・

いかにも「日本的な」思想な気がします・・・

無力・無気力・自主的な創意工夫をする意欲を深く傷つけられた状態の人を好む『組織マネジメント原理主義』が隆盛しているようだと筆者は述べています!

複雑なものをあえて単純化する(シンプルこそ絶対善)という捉え方により、果たして成長は見込めるのか・・・と思いましたね!

民主主義は、合意形成が可能な市民が求められるので、システムが簡素化するほど、簡単になって考えなくなり、最終的には寡頭制(1つの組織・トップがすべてを決定する仕組み)にならないか不安になりますね・・・

学校教育も”マーケット化”が進み、入学希望者の推移や、卒業生の就職率などを上げるために「株式会社」のように、諸制度を改変しているようなので、本来の学問の方向性からずれていくような気がします。


3、教師の身体

オンライン授業が普及し、自分の大学でも去年、一昨年と自宅での学習が増えました。ただ、オンライン授業では出来ないことがあるよなぁとなんとなく感じていたのですが、この本でようやく言語化できました!

それは、「師の謦咳に接する」ことが出来ないということです!

謦咳とは、せきや、せきばらいのことで、謦咳に接するとは、尊敬する人や身分の高い人の話を直接聞く、また、親しくお目にかかるという意味なんですね。

大学の授業で感じたのは、教授は、形容し難い「威厳」や「空気感」があることです!それはやはり直接お会いして、話を聞かないと分からないと思うんですね〜

また、この章で述べられていることで心に残ったのは、「小学校のときから将来設計を書かせる危険さ」についての文章でした!

学校という場所で学習することは、はじめは意味なんか理解できず、なんとなく不思議だと思うことを勉強していきますよね?

そしてだんだんと自分の中で繋がっていき、新たな気付きが生まれるわけです!

詰め込み教育や早期学習によって、確かに多くのことを学習した子どもが増えているのはありますが、果たして与えられた規定ルートを先に何も分からずに進んでいて考える力は養われるのかが疑問です・・・

なので、将来の夢などを書かせるのではなくて、「(何かよくわからないけど)好きなもの」を書かせるほうがいいのでは無いかなと思いました!

教育実習で話した生徒たちは、きちんと自分の将来と向き合い、よくわからない不安感を自分なりの言葉に変換して伝えてくれました!

そうやって、葛藤しながら前に進んでいくことで成長していける、そして、教育者はその葛藤している生徒を承認し、応援する人でいるのがいいのではと思います!


というわけで、(長くなりましたが)今日は終わります!

最後までご覧いただきありがとうございました!
ではまた!

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