銀騎士カート
基本 短いです。 長いのは一本だけ……
大人むきの純文学です……でもキャッチコピーは「面白系純文学」と言っておきます。
経済学の祖アダム・スミスがこんなことを言ってる。 世界にどんな悲劇が勃発しようとも、人間というものは自らの爪先の痛みに関心を向けたがる…… 人間のエゴを……とりもなおさず、野放図の欲望を起爆剤とした資本主義のシクミを見事に言い当てている。 試みに、ついそこの新聞を斜めにでもいいから読んでみよう。 コロナは未だ終点が見えず、政局は猿芝居に終始し、海彼の紛争は後をたたず、地球はカタストロフィーに向け
近頃、全く自炊から遠ざかっている。 特に、この暑かった夏……何もかもシンドくて、弁当ばかり食べていた。たいして美味しくも無く、ウンザリという時もあったが、厨房の熱気を思うと尻込みしていまったのだ。 お陰というわけでもないが、ガス代は一月千円ちょっとほど。 やっと涼しくもなってきたので、そろそろ自炊とも考えるのだが、人間という奴、一度怠け癖がつくと、どんどんとそっちに舵を切りたがる生き物らしい。 さすがに弁当からは卒業したが……ご飯はレトルト、総菜もスーパーのパ
夢とは実に面白いものだ。そのまま小説にでもなりそうな具体的内容のこともあるが……多くは支離滅裂……仮にそれなりの面白さがあったにして、人に披瀝してみると大抵は白けさせるのがオチだろう。 不可解な夢を、日常を基準にして解釈して納得する向きもあるが……これでは夢の醍醐味は味わえない。 夢には日常には変換できない、法則があるよに思えるのだ。 その法則がかろうじて通用するのは、目が覚めてせいぜい数分にすぎないようだ。 いかに感動的な夢であっても……日常の雑菌に触れたとたん
職場に向かう途中に結婚式場があって、時々新郎新婦の写真を撮っている現場に出くわす。 新婦はウェディングドレスの正装で……やはり人生の頂点なのだろうか、俄然美しく見える。 僕の好みで言えば……やはり綿帽子の花嫁衣裳なのだが、式場が洋風とあってついぞ見かけない。 僕は子供のころから……この「花嫁」という言葉に、神秘的な雰囲気を感じて好きだった。 思えば、幼少期……お袋が子守歌代わりの童謡として「花嫁人形」とか「花影」をよく唄ってくれたものである。結婚に失敗した身としあ
とっくにブッ壊れてはいるのだが……つい目の届くところに、ワープロが埃を被っている。 それでも、初めてワープロに触れた時のワクワク感は今でも覚えている。もとより、それまでは手書きで文章を綴っていたのだが、元来の悪筆という事情もあって、キーボード入力に移行するのに何ら蟠りはなかった。 当時の漏れ聞いた話として……手書きに固執して、ワープロなんぞではまともな文章は書けないと断言するご仁もいたようであるが、僕は全く異に留めなかった。 そうは言っても、一般に推奨されていた「
note仲間の記事で、近頃……体調を壊したとか、急病、といった書き込みをよく見かける。 季節の変わり目、急に涼しくなってきたこともあって、風邪でも召されたのだろうか? 僕の場合、成人してからというもの、風邪はおろか全く病気には無縁である。 たまに喉が痛かったりという時も、パプロンを二、三度飲めば、すぐに治ってしまう。 それでも小学校の低学年頃までは、始終医者の世話になっていたらしく……大病こそなかったが、中学、高校の頃は屡々風邪を引いたものだ。 そう。中学の時、
本を読んで勉強するとは、どういうことなのか? 先賢の知識を、自らの糧とすること…… そんなことは、小学生でも答えられるだろう。 確かに、知識は日常に於いては有効な手段に違いない。 これから、仕事で、あるいは結婚で……人生に意味を見いだそうとする人間には有効な武器となることも、ぼくは認める。 しかし、人生など所詮糞ったれの余分な時間と考えるある種の人間にとっては、知識とはクイズ番組で満点を取るような、益体も無い虚栄心に過ぎない。 脳細胞の渾沌に、あり得
以前、クリアレンズのサングラスを常用していると書いたが……もう一つ、僕にとって帽子は欠かせない。 なにせ、毛質が細くて癖毛……ついワックスなど付けていると、朝、起きてみれば髪が突っ立っていて、すぐは修正がきかない。 かてて加えて、散髪はカミソリでジョキジョキ……鏡も見ずに切っているので……惨憺たるものなのだ。 床屋の、あの姿勢を固定される気分が一時といえども不快なので……ここ何年も扉を排したことはない。 取り合えず、寝起きそのままのざんばら髪……人に不快を与える
この夏は、カツ丼をメインにかなりトンカツを食べた。 最近はどこのスーパーでトンカツを買っても、そこそこ分厚い肉の場合が多い。 やはり、分厚い方が、肉はトンカツに限らず食べごたえもあるし、美味いというのが一般的なのかも知れない。 しかし、僕は昔から……豚肉であれ牛肉であれ、分厚い肉というのが今一好きになれないのだ。 我ながら「貧乏性」だと思うのだか……やむを得ない。 思えば、僕が子供の頃だが……近場の商店街に総菜屋があって、唐揚げとかコロッケなどの揚げ物をメ
先だって、テレビのバラエティー番組を見ていたら……話題として、出生率の低下を取り上げていた。 アホな解決策が出た後、司会の女性が言うことに、 「だって、この時代……楽しいことが多すぎて……」 周りも、これには賛同していた。このまま、この楽しさがずっと続けばいいと…… 要は、楽しいことに囲まれて……子作りなんか眼中にないのだろうか? まあ、それはさておき……本当に世の中には、「楽しいこと」が溢れているのだろうか? ネットで調べてみたら、「楽しいことランキン
仕事で駅に向かう途中……まだシャッターを下りた商店街の入口近くの路上に、アゲハチョウが伏していた。 艶やかな羽の、美しい蝶。しばし立ち止まってしまったが、風に揺れる以外動くけはいはない。 優しい小学生でも通り掛かればとも期待したのだが、早朝のことだし……いずれ近くの商店主によって、吸い殻や落ち葉もろとも、ゴミとして塵取りに掃き入れられるのだろう。 羽は外れ、足はもげ……やがて大量のゴミと交じり合って、この世から永遠に消え去るに違いない。 なに、蝶ばかりではない。
タレントなど見ていると、時に二の腕や大胸筋、腹筋などの逞しさを誇っている映像に出くわすことがある。確かに、カッコいいし、ある意味美しくもある。 が、正直言って、僕はかかる肉体美に憧れたことはない。 上記のタレントにして、自己満足と同時に、職掌柄必要に迫られてという事情があるのかも知れない。 実際のところ、鍛え上げた肉体を保持するだけでも、大変な努力だろう。 僕などは、手足がかろうじて動くだけの筋肉あれは是としているので……わざわざカネを弄してまでジムに通うよう
今も、世界で繰り広げられる戰や、国内にあっても殺人事件などのニュースに接すると誰でも暗澹たる気分に沈むだろう。 どこの誰に問うても、「人殺し」を喜ぶ人間など皆無のばすと信じたい。 しかし……我々は期せずして、「人殺し」を楽しんでもいるのだ。 ドラマや映画……はたまたアニメに於ても、多くの「人殺し」が繰り広げられている。 戦記モノなどは、大量虐殺もマレではないし、いかに残虐にいかに大量の人間を、よりリアルに殺し続けるか……演出の見せ所なのだ。中には、殺し屋が主役を
テレビ等を見ていると、どうも「アナログ」を茶化すシーンに出くわす。 調子の悪いパソコンを叩いたりしている図である。 思えば、かって映りの悪いテレビを叩くという非常手段があったはず。今は昔の、昭和レトロの紙芝居である。 かく「アナログ」的姿勢、感性は古く、オジン臭く、垢抜けない……とでも言いたいらしい。 「アナログ」の対局が「デジタル」であることは言うまでもない。 「デジタル」の方が、スマートで若々しく、最先端なのだろうか? もちろん「アナログ」「デジタ
スーパーなどで買い物をしていると、メモを見ながら商品を籠に入れている場面に出くわす。 まあ、家族も多く、買うべき品々も多岐にわたるとあれば、当然かもしれない。 僕などは一人暮らしとあって、買い物にメモなど不要である。 それでも、パスタにする予定が、肝心のパスタを買い忘れたり、トンカツを買ったはいいが……残り少なかったソースを忘れた、ということはこれまでに何度もある。 ところが、最近……買い忘れがメッキリと減ったのだ。 そう。たまたま捻り出した呪文……「無意識
タラコや明太子など、和食として単独に食するのは好きでは無いが、これがパスタになると俄然好物になる。 僕は小学生の頃から、和食よりも洋食が好きと公言してきたのだが……要は和風洋食が好きなのだろう。 本格的な西洋料理など金輪際食ったこともなく、マナーも皆無とあれば……デートで高級レストランに女子を誘うことなどまずない。マナー違反で、大恥をかくのが関の山に違いない。居酒屋で充分である。 思えば、先のパスタにしてもナポリタンなどはレッキとした和風メニューだし、この夏やた