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星月夜の夢

                         
 
 経済学の祖アダム・スミスがこんなことを言ってる。

世界にどんな悲劇が勃発しようとも、人間というものは自らの爪先の痛みに関心を向けたがる……

人間のエゴを……とりもなおさず、野放図の欲望を起爆剤とした資本主義のシクミを見事に言い当てている。

試みに、ついそこの新聞を斜めにでもいいから読んでみよう。
コロナは未だ終点が見えず、政局は猿芝居に終始し、海彼の紛争は後をたたず、地球はカタストロフィーに向けて悲鳴をあげている。

にも係わらず、日常の窓と化したテレビから外を覗いてみれば、芸無しタレントの悪ふざけ……笑いとは名ばかりの痙攣に電波はジャックされたがごときである。
 
 もとより、かかるわざくれも資本主義の礎なんだと開きなおられれば、返す言葉もない。ぼくにしても、タリバンの時代錯誤も自国の殺人事件もつい等閑にして、益体もない労働に汗水流してしるのだから……
 
 そう。隣家が生活に困窮しているからといって、もしダンナが給料をカンパなんぞしたら、奥方にフライパンで脳天を殴られるのは必定だろう。

なに、脳天を殴られるのは人の良いダンナだけでもないはず。国家のトップに座る人間が、いやしくも自国民の良識を楯にとって、外国の援助だけに税金を使えば、国民の憤りは目に見えている。

さあ、困った。宇宙とまでは言わないにしても、せめて人類規模、あるいは地球規模で世の有り様を俯瞰する人物はいないものなのだろうか?

確かに、そんなストイックで高邁なる理想を掲げる政治家や学者は時に見受けられる。たぶん、彼らは「偽善者」と呼ばれるだろう。

窮余の一策、人間はつい「神」に助けを求めたがるものだ。所詮人間の捏造概念ながら、偽善の汚名から免れ得る唯一のヒーローの見立てである。
ところが、その「神」ですら、兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぐの、派閥争いに忙しい。所詮、ダメ人類の傀儡なんだと溜め息をつくしかない。

 これが人間理性のありのままなのだろうか?
 これが、人間理性の限界なのだろうか?

 そんな折、ぼくはこんな夢を見た。    
                      
             
 気が付くと、ぼくは震災直後の街並みにも似た瓦礫の中に、手足もがれた甲虫みたいに投げ出されていた。立ち上がろうとすると、左足に激痛が走る(夢なのに明らかに激痛を感じたのだ)。とても歩くことは出来そうにない。それでも、ぼくはどこかに行かなければならないと、必死に考えている。見回せど、夕闇の迫る廃虚の街には人っ子一人見当たらない。ぼくは手近の棒切れを杖と縋り、それでも歩き始めてみた。
 じきに、西の空の朱も闇に滲み、廃虚は影絵にも似て、魂すら闇に溶け入りそうな不安に襲われる。

その時、つい向かうに焚き火と思しき炎の揺らめきが見えたのだ。ぼくは希望の芽なりとも信じ、足を引きずりつつその方に歩度を速めた。
 
 やがて、小さな焚き火の前に蹲る一人の人物のシルエットが炙り出る。女の人のようだ。「こんばんは……」
 背後からのぼくの呼びかけに、女は脅されたみたいに身を震わせて振り向くと、目を一杯に見開いてほくを見上げる。不審と、軽侮の眼差しだ。             「びっくりさせちゃって、ごめん」
 ぼくは素直に詫びる。
 女は、顔反面に乱れた髪をかき上げつつ、どこか投げやりの口調に答えて、
「がっかりさせないで!」
「がっかりって?」
「私は神様を待っていたのに……どう贔屓目に見ても、あんたはほど遠いわね」
「あいにくと、ぼくは神なんぞ信じちゃいない」
「ご同様」
「でも、待ってるんだろ?」
「絶望した時、人は待つ以外ないでしょ。ゴドーみたいに、来ないと分かっていても」
「あんがいぼくがそのゴドーかも知れないぜ」
「笑えない冗談ね。まあいいわ。座りなさい。ちょうどオイルサーディンの缶詰を見つけたとこなの」
「ありがとう。そういえば腹ぺこだ」

 向かい合って焚き火を囲んでみて、ふとおんなの右足にボロ切れが巻かれ、臭うまでの血が滲んでいることが目を引いた。ついでに、ぼくが手にしている杖と同じような棒切れも近くに転がっている。
「君も、足を怪我してるのかな? まさしく同病相憐れむだ」
「そう。たぶん、骨が粉々になってると思う。一歩も歩けない。だから、待つしかないってわけ」
 
 とりあえず、僕たちは、焚き火で暖めた缶詰で空腹を満たした。コーヒーが欲しいところだが、廃虚にcaféが開店しているとも思えない。足の痛みこそ治まっているが、たぶん女同様歩くことには堪えられないだろう。
 ぼくは、その場に仰向けに寝転がってみた。知らぬ間に夜も更け、廃虚は闇に没し、中天にやけに冴え渡る星空が望めた。                       「見てみろよ。すっげぇ綺麗だぜ。正真正銘の星月夜だ」
「男の人って、こんな時に限ってロマンティストになるのね。でも、ロマンティストって、無能と相場が決ってる」                             「確かに、カネと力はなかりけりの口さ。軽蔑するかい?」
「人を軽蔑するほど、上等な人間じゃないから、安心して」
「よかった」

 それから暫く、僕たちは夜空を仰ぎ見ながら取り留めないお喋りを楽しんだ。ギリシャの哲人のこと。スコラ哲学の神こと。もとより大学の講義みたいにアカデミックのけはいはない。話しはロックやジャズ、時を遡っての想い出話にも寄り道した。
その間、月こそ顔を見せなかったけれど、満天の星月夜はいやましに輝き渡り、女の化粧気のない、それでいてアルテミス女神にも似た端正な横顔の美しさにぼくは見惚れどおしであった。

不意に女が覚束ないこなしながらも、杖を手に立ち上がると、
「ねえ、ちょっと歩いてみない? どこか探せばワインくらい見つかるかも……」
「足は大丈夫……」
言い終わらぬうち、杖を手に一歩踏み出した女の身体が傾ぎ、その場に横転する。同時に、支えの腕を差し伸べた僕の身体も、同じ運命であった。忘れていた足の激痛は脳天にまで切り込み、それは又、女自身の苦痛でもあったらしい。
それでも女は、苦痛に顔を歪めながらも、改めて杖に縋って立ち上がる。ぼくだって負けるわけにはゆかないのだ。苦痛を気合の掛け声に紛らせ、ぼくも立ち上がる。とたんに、ぼくの、続いておんなの手にする頼みの杖がもろともにへし折れた。新たなる支えを求めて、ぼくは左手を彼女は右手を無意識のうちに虚空に差し伸べる。とたん、なんとも安堵をさそう温もりがぼくの手を包む。女も小さな詠嘆を漏らす。そう。ぼく達は発作的に、お互いの手を杖と縋り合っていたのだ。

すでに、ぼく達に杖はいらない。ぼくの左手は女の杖となり、女の右手はぼくの杖になっていたのだ。

「私達……なんだか友情で結ばれてるみたいね」
「ぼくも、そう思う」
女が「愛情」と言わなかったことに、ぼくはいっそ強い絆を感じのだ。愛なんて、作り話の世界だけで十分よ。ついさっき、そう吐き捨てた女の科白が蘇る。ぼくだって、愛という美辞麗句のせいで父無し子の境遇を味わったものだ。
 
ぼく達は、星空を見上げながら、手をとり合って歩いている。女の左足、そしてぼくの右足はほとんどアスリートの逞しさで大地を踏みしめ、寄り添った内側の二本の傷ついた足はすでに苦痛からは開放されている。
「どうしたんだろう。こうやって手を繋いで二人三脚みたいに歩いてると、全く痛みを感じない。君は?」
「私もよ。たぶん……」
「たぶん?」
「うん。たぶん、私の痛みをあなたが引き受けてくれてるから。そして貴方の痛みは私が……」
「なんだか、マラソンの大会にでも出場できそうさ」
「マラソンどこじゃない……空にも舞い上がれそう」

夜空はさらに輝きを増し、星の一つ一つはあたかもショーケースから開放され、自尊心を取り戻した宝石のようであった。瓦礫はすでに廃虚であることをやめ、闇に埋もれた新たなる世界の資材のようにも思えるのだ。
 世界が、今、生まれかわる瞬間を目撃しているようでもあった。
「ねえ、カート君……」
女が初めて、ぼくの名前を口にする。
「あそこの……涼しげなブルーの宝石を取ってきてくれない」
見上げる向こうには、確かに一際青く冴え渡る星が輝いているのだ。
「はっは、まるで女神様のおねだりだ」
「女神様の相棒なら、カート君は神様かしら?」
「それこそ、笑えない冗談だと思うけど……」

次の瞬間、ぼく達は手をとり合ったまま、星々を掻き分けるように夜空を滑空しているのだ。お互いの広げたた腕は翼、外側の足は水平尾翼、傷ついていたはずの寄り添う二本の足は、まるで空飛ぶ魚の尾ひれみたいに舵を取る。
 星たちは、夢のポケットを裏返したみたいに、色様々の蛍になって飛びちがう。近づけば、どんな綺麗な星も、所詮岩石の塊にすぎないなんて……どこの嘘つきの科白だろう。星はあくまでも星であった。
 
 そして、つい向こうには女が欲したところの、うっすらと透き通って、恋を知り染めた少女の瞳みたいに輝くブルーダイヤモンドが煌めいているのだ。ぼくは手を伸ばす。星を手づかみにするなんて、夢にだって見たコトはない。きっとぼくの相棒である女神様の、胸元を飾る素敵なチャームになるに違いない。
ぼくはいっそう手を伸ばす。女の左腕も空を羽ばたいて、僕の無謀に協力してくれる。ぼくの指先が……冷たさの中に温もりを秘めたブルーダイヤに触れ……

 ……その瞬間、ぼくは目が醒めた。サイドテーブルでは、ふぜい知らずの、証券取引所の鐘みたいな目覚ましががなりたてていた。


ぼくはこの夢について、ちょっと解説したい気分にもなった。でも、やめておこう。てっきり、おせっかい……という奴だろう。
とはいえ、これだけは言っておきたい。

ぼくは絶対に神の存在を信じない無神論者である。しかし、神の持つ、可能性に邁進する強かな力だけは信じたいのだ。
そう。激しく信じているのだ!

それは何か……!
 
信じ合える仲間と手をとり合う時、五体が砕け散ったようなぼくみたいな無力な人間でも、必ずや、神話の世界と同じような……いや、それ以上の奇跡を起こせるものだと、ぼくは確信してやまないのだ……!

最後に言っておこう。冒頭に記したアダム・スミスの言葉は……たぶん,人間の、遺伝子のプログラムから迷子になった人間の、一人ぽっちの絶望のブルースのフレーズではないのだろうか?

 ぼくは、断じて、絶望なんぞするつもりはない!
 なぜならば……ぼくは、絶望するほど賢い人間ではないからだ……


 

 


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