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夢の法則

 夢とは実に面白いものだ。そのまま小説にでもなりそうな具体的内容のこともあるが……多くは支離滅裂……仮にそれなりの面白さがあったにして、人に披瀝してみると大抵は白けさせるのがオチだろう。

 不可解な夢を、日常を基準にして解釈して納得する向きもあるが……これでは夢の醍醐味は味わえない。
 夢には日常には変換できない、法則があるよに思えるのだ。

 その法則がかろうじて通用するのは、目が覚めてせいぜい数分にすぎないようだ。
いかに感動的な夢であっても……日常の雑菌に触れたとたん、一気に色褪せ、益体も無い戯言に堕してしまう。

 僕にして、ほとんど泣きながら目覚め……なんと素晴らしい世界を体験したものかと感じ入ることも時にあるのだが……改めて編集しようと試みたが最後……キーとも言える肝心要のイメージからして、途轍もなく馬鹿馬鹿しい代物に変換されてしまうのだ。

 一つ例を挙げよう。

 最近見た夢なのだが……僕は旅人らしく、あちこちの町をを経めぐって、とある田舎町に辿り着く。僕が探し求めているのは、まさに運命の人とも言える少女であることは判っている。
 夢の中でさえ……具体的にその出自から顔形まで、これは現実と変わりない。
 細部を語ると読者には退屈になるので省くが……僕はついに、とある駄菓子屋(?)に於いて、彼女を見付けることが出来たのだ!

 感動の再会! ……しかし、僕が出会った彼女というのは、グラスに入った水に過ぎないのだ。どんなに象徴を駆使しようが、日常の価値基準に於ては、グラスの水と愛する少女とを結びつけることは困難ながら……夢の中での僕は、殆ど泣くほどに感動し、そのグラスの水を後生大事に捧げ持ちながら、我が家への帰路につく。
 ここからはかなりドタバタ喜劇の様相を呈し、グラスの水が正しく愛する少女に変身して抱きついてきたり、しかも素っ裸とあって、僕は懸命に衣服を探したり、……ついては僕は水に戻った彼女に懇願する。
 どうか我が家に辿り着いたなら、二度と水には戻らないで欲しいと……

 そこで、僕は目が覚めた。

 もとより、寝床から起き、顔を洗う頃には……感動していた自分に呆れ返ったほどだ。

 夢は完全に、日常に誤訳されてしまい……せいぜいアニメもどきのドタバタ喜劇の部分しか具体的には残っていないのだ。

 上記の夢以外にも、僕は日常の法則の通用しない世界を渡り歩いてきた。

 もとより心理学的解釈に頼ろうと思ったこともあるが……それこそが学問という、日常のど真ん中なのだろう。
 そう。一端解釈されてしまった夢は夢にあらず……単なる抜け殻にすぎないのだ。

 しかし、諦めるのは早い。人間とは日常にあっても、どこかで夢の通い路と繋がっているように思える。
 全く価値のない小石や、小枝……時には流れる曇、……かかるものに時として、いっそ訳も無く、引き込まれることはないだろうか?

 そんな時、決して我に返ることは厳禁なのだ。
 我に返ったとたん……日常の優先事項が頭になだれ込み……足下の小石をつい蹴飛ばしてしまうだろう。もしかしたその小石は、夢の中にあっては掛け替えのない宝玉であったかも知れないのに……

 たぶん、その瞬間に……せっかくの夢の通い路は、まさに曇のこどく雲散霧消してしまうだろう。

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。