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【パレスチナ難民キャンプでの活動】

皆様こんにちは。
平日(日~木曜日)と土曜日は活動があるので毎日更新というのは難しいですが、可能な限り継続的に更新していこうと思います。

さて、前回まで2回に渡って自分語りをさせて頂きました。自分のことを人に語るのは苦手でこれまで近しい間柄の人にも話してこなかったので、思った以上の反響が寄せられました。これがすべてではありませんがおおよその経歴は記したつもりです。

今回は私が【パレスチナ難民キャンプで行っている活動】についてお話しさせていただきます。
ヨルダン国内にはパレスチナ難民キャンプが10か所あり、私が毎週活動で訪問しているのはبقعة(baqaa バカア)という地区です。首都アンマンからはおよそ20キロの場所に位置しており、ヨルダン国内のパレスチナ難民キャンプのうち最大の規模です。

この地区で午前中はサッカークラブのコーチ、午後は土曜塾の副担任のような形で活動をしています。以下がおおよそのスケジュールです。

【午前→サッカー指導】
7:30 バカアのバス停で同僚ムハンマドさん(仮名)と合流
8:00 車で学校に移動した後、サッカー指導
10:30 終了。送迎が来るまで学校関係者と談話
11:30 同僚の友人マフムードさん(仮名)宅で昼食、休憩
【午後→土曜塾】
13:00 子どもに向けて、アラビア語・英語の指導
15:30 終了。解散

サッカー指導を行っている学校はキャンプの外にあり、普段はシリア難民の子どもが通っています。土曜日になるとシリア人、パレスチナ人の子どもが集まってサッカーを興じる場となっています。ちなみにパレスチナ難民の子どもはキャンプ内のUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が運営している学校に通っています。

バカアの住民のなかにはアラビア語を話せても読み書きができない子どもが多くいます。そういった子ども達のために休日返上でムハンマドさんはアラビア語、マフムードさんは英語をそれぞれ指導しています。その施設はキャンプ内にあり、規模は大きくありませんが毎週子どもが通って学習に励んでいます。

私は9月にムハンマドさんから、これらの活動の紹介を受けました。最初は見学だけのつもりでしたが、彼らの子どもと向き合う姿勢に感銘を受けて、私も今では休日を返上して毎週通っています。

先述したムハンマドさん、マフムードさんはパレスチナ難民として1967年の第三次中東戦争の際にヨルダンに移住してきました。現在は、先述したシリア難民の子どもが通う学校で英語の先生として教鞭を執っています。

上記のような活動の他に、彼らやその知人から、戦争が起きた当時の状況やキャンプ内での生活の様子について伺う機会を頂き、多くのコネクションを得ることもできています。
そこで得た知見というのも今後時間をかけて共有していければと思っています。

次回は【ヨルダンとパレスチナ】というテーマで綴っていく予定です。

よろしければサポートお願い致します。今後記事を書くにあたっての活動費(書籍)とさせていただきます。