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【ワヒダットキャンプにて】

皆様こんにちは。

今回は、これまで一度だけ赴いたワヒダットパレスチナ難民キャンプでの記録を綴っていきます。

訪問の背景としては、現地のボランティア団体と連携して、難民キャンプ内にある特別支援学校でアクティビティを実施する機会を得たため、参加させていただいた次第です。

このキャンプは、1948年の第一次中東戦争によって故郷を追われたパレスチナ難民を収容するために設立されたキャンプのうちの一つです。私が活動しているバカアと同様、慢性的な健康問題や過密状態にある居住地など多くの問題を抱えています。

以下、活動の記録です。

【2018年11月11日(日)】

土曜日はヨルダン国内の各地で大雨の被害があったことから、バカアでのサッカークラブは中止になった。後から聞いた話では、その規模の大きさゆえに日本のメディアでも取り上げられたそう。
健康・安全あっての活動であるため、頑張ることと無理することを履き違えないように今後とも気を引き締めて生活しなければ、と思わされた一日だった。

今日はワヒダットキャンプ(مخيم الوحدات)にある、障害児が通う学校でアクティビティを実施することになっていた。ここワヒダットもヨルダン国内にあるパレスチナ難民キャンプの一つである。
活動場所に到着した際、青色の外装からこの学校がUMRWAのバックアップの元で運営がなされていることが分かった。UNRWAが、障害を抱えた難民の子ども向けに特別支援学校のような施設も運営していることをこの時初めて知った。
施設内は4階まであり、広々としていた。一つの教室につき10~15人ほど生徒がおり、細かくクラス分けされていたが、児童の様子を見る限り障害の種別でクラス分けされているわけではなさそうだった。年齢で分けられているのか、それとも障害の区分で分けられているのか。そもそもヨルダンで区分というのがあるのか。

現地ボランティアの主導でアクティビティは行われ、内容はリトミックを中心としたものだった。音楽を聴いて体や手を揺らす子ども、音に合わせて踊る子ども、体は動かせなくても柔和な笑みを見せる子ども。反応は三者三様で、互いに充実した時間を過ごしていたように感じた。

帰り際、施設で働く男性職員に5分ほど話を聞くことができた。

「難民キャンプでの生活は簡単ではない。給料は安いし環境も良くない。かつて、我々は祖国から追い出されたんだ。」

短時間でかつ初めての訪問であったことから多くのことは聞けなかったが、バカア同様、難民キャンプ内での生活は困難を極めている様子である。

米国のUMRWAへの一切の拠出金がストップされ、もし今後このような受け皿となる施設の運営が立ち行かなくなれば、彼らへの教育・生活はどうなってしまうのか。聞くところによると、現に職員がリストラされたり、パート勤務になっている施設もあるらしい。
楽しい時間を過ごせた一方で、胸の中では言葉に表せない感情が渦巻いていた。

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