10年
今日で10年が経った。
大好きな先輩の卒業式を数日後に控えていた私は、熱にうなされ、式に出られないかもしれないという絶望感で泣きながら寝ていたのである。
そんな昼下がり、いきなりベッドが揺れたのである。
初めは、母がふざけて私を起こそうとベッドの上で跳ねたのかと思っていた。
しかし、体を起こしてもそこには誰の姿もない。地震なのだと気づいたのは揺れてから少し後だった。
私は熱で家にいたが、世の中は平日だったため同級生は避難のために3階にしばらくいたらしい。
後から気が付いたのだが、私の住んでいたところは高校、小学校、役所、中学校の順に海から近い。もし、私の住んでいたところもテレビで見たような津波がきていたら町の中枢は壊滅状態だっただろう。
揺れが収まると、母が私の部屋にやってきて心配してくれた。
そして、熱がありながらもテレビで状況を把握した私は、画面の向こうの冷静に見えて非常が漏れ出ているアナウンサーや、もっとひどい被害を受けた土地の映像を見て、奇妙な感覚に包まれていた。
これは、本当に同じ国で起きていることで、現実なのだろうか?
そこからしばらくはずっと報道番組が昼夜問わずに続き、ACの挨拶のCMしかこの世にはないのではないかと思うくらいに流れていた。
熱が引いて、学校に行けるようになってクラスで朝のホームルームをしていたときの、神妙な空気といつもと違う青白いような春が近づいているはずなのに遠い光が教室に差し込んでいたことを覚えている。
両親と、真っ暗い道の中、3人でスーパーに買い出しに出かけたことも覚えている。
そしてその数日後に、原子力発電所での水素爆発が起きた映像もこの目で見た。やばいことが起きたんだな、ということしかわからなかったが、母がぽつりと
「人間の手に負えないようなものを作ってはいけなかったんだよ」と言ったことも覚えている。
あの震災は私が生きてきて初めて経験した大きな災害だった。こんなに一瞬で全てが変わってしまうことや、人間の在りようがわかるんだと思った。
先日大きな地震があって、「東日本大震災を思い出した」と言っている方がいてあのときの何もできない、現実を現実と捉えられなかった私を思い出した。実際に私はあの揺れの間、テレビとラックを抑えることに必死だった。
私が現在の居住地に来て、もうすぐ一年が経つ。初めの頃は結構何回も地震に遭ったし、iPhoneの警報が鳴り響くくらいだった。
それでも、先日の地震は大きかった。
人の記憶はすぐに風化するし、人間は自分の力を過信してしまう。
10年経っただけ、私たちはこの国に住んでいる以上はずっと気をつけなければいけない。たくさんの人の記憶を忘れず、自身の経験を糧に明日も生きていこうと思う。
(Photo by ao_i93、Thanks!)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?