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無心

蟹を

毛蟹を

食べている。

無心で、足をもぎ、箸で身をほじくり出す、ふんどしを下げ、甲羅を剥ぎ、足をもいだところから詰まった身をまたほじくり出す。

蟹を食べている時は無心になる。毛蟹なら尚更だ。ただ、あの蟹の旨味を求めて甲羅に覆われた身をほじくり出す。

親と暮らしていた時から、暮れ正月の毛蟹は私と父の定番だった。私と父は目の前で流れる紅白やガキ使には目もくれず、黙々と身をほじくり出しては口に入れていた。私は足しか食べないという贅沢な食べ方をしていた。

その横で父は執念深く甲羅を剥ぎ、色々なところに潜んでいた身を甲羅に移し、黙々と楽しんでいた。その合間合間に、「蟹は剥いてもらわないと食べない」というわがままな母の皿に無言で置いていく。これが愛なのか、と一人納得する。

今年は一人で年を越し、親から毛蟹が送られてきた。困った。私は足しか食べたことがない。甲羅は父のものだった。怖いし剥いたこともない。だが、蟹座の私が甲羅ノータッチで捨ててしまうわけにいかない。

ネットを見ながら解体し、母に「どこが食べれるの」と写真を送った。ここは父に聞くべきだったのだろうがまあ分かればいいだろう。ついでに父が蟹と対峙している写真も合わせて送られてきた。血は争えないとはこのことか。

身が入っているであろう部分に箸を入れて、かつて父が隣でそうしていたように甲羅に身を移していく。食べながら、チューハイを飲みつつ、「蟹には日本酒が飲めたらもっといいんだろうな」なんて思う。

こうして私は蟹の未知なる領域に踏み込んだ。

2021年から2022年になる瞬間には父の隣で一緒に毛蟹を無心で食べたい。



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