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いつから習慣となるのか。

こんばんは。

GWも明けて学校が始まりましたが、CL準決勝を見ていたため寝坊して遠隔で受けていました。笑

そんなことは、どうでもよくて本題に入って行きます!

力みと慣れ

学校で建築の授業を聞いているときに面白いワードを聞きました。

環境の原点は、無意識化されること

イギリスの精神科医のドナルド・ウィニコットさんの言葉です。

最初聞いたときは、「??」と頭の中がなりましたが、先生が補足で「君たちは今、意識をしながら椅子に座っているか?」と投げかけられました。

この時、なにかすべてを悟ったかのように脳みその奥底にインスピレーションを感じました。

意識をしながらやることって日常の中でほとんどないのではないかと思いながら意識しないもの・行動=習慣的なこと(=慣れていない)なのではないかと考察しました。

環境の話で例えると5月上旬(GW)に25度に達すると我々は、こんなにも暑いのかと感じている(まだ意識している=慣れていない)が、8月にも慣れば30度を余裕に超える日もあります。

しかしながら8月の暑さは、もう日常的すぎて暑いは暑いけれどGWのときほどの衝撃はないでしょう。

また、スポーツでもやったことのないものには「力み」がかかってうまくプレーできないなんてこともよくありますが、何度も練習し、繰り返していくうちにその「力み」はなくなります。

すなわち無意識化されたということです。

習慣化された証

ここまで考察した後に僕の中で起きた最近の無意識化の出来事はなんだろうと考えました。

それは、noteのネタ切れなのではないかと。

始めた当初の記事と最近の記事を見ると文字数も深堀り差も段違いだなと思っています。

したがって、ネタ切れという表現よりもnote自体が習慣化されたことで日常の中でネタ探しを意識的に行わなくなったという表現が一番正しいのではないかと考えました。

以前にもネタ切れの原因は、時間がないからではないかと考察しましたが、時間を意識的にネタ探しに使おうとしていないためネタが転がっているのにも関わらず、拾うことができないのではないかなと思っています。

つまり、noteを書くことが習慣化されたということなのではないでしょうか。

習慣化されたこと

習慣となっていることは、とっさに何をやっていると思い出せないことがよくあります。

例えば、毎朝同じ時間に目が覚めることは、典型的な無意識化されたことなのです。

それも無意識化されたことであって他の人からすると意識をしなきゃできないことであるためすごいと思うのではないでしょうか。

本来建築に応用されていたのですが、人間の生活こそ無意識化を無意識にやっているのではないかなと考察しました。

まとめ

すごい腑に落ちる言葉を見つけてしまったなと思いながら、若干捉え方が違うのではないかなと思っていますが大目に見てください。笑

車の運転とかも最初は、すごい意識して運転してましたよね。

意識して行う期間の統計などあったらとても興味深いなと思いました。

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