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思考停止してんじゃない?

▶前例を踏襲するってのが何となく嫌って話


言葉の通り、前例を踏襲するっていうのが何となく、うん、本当に何となくなんですけど嫌なんです。

とは言えね、

僕も曲がりなりにも社会人をやっているわけで、そこには必ずと言っていいほど前例というものが落ちてたりします。

それこそ仕事なんかじゃ、上司や同僚から業務を引き継いだり、引き渡したりしますし、

前任者から引き継いだ業務が、もともと上手く回っているのなら、その仕様をそのまま踏襲することで、ある程度の成功が保証できると言えなくもない。

そんなこんなで、

前例を踏襲することに何の疑問も抱かず、引き継いだ仕様をそのまま続けちゃったりしちゃってません?

気にせず引き継いでるよねー、

でもさ、やっぱり(僕は)嫌なのよ。

それはたぶん、前例を踏襲するという言葉に、惰性や妥協なんかのニュアンスを少しだけ、ほんの

少しだけ感じちゃうからだと思うんです。

言葉にするなら、そうだな、

「まぁ、(前回と同じで)いっか」

みたいなね。

分かるっていう人は、とりあえずコメントに「分かる」とだけ書き込んでください。特に意味はありません。

あ、そうだ、

あと、あれよ、裁判も前例を踏襲する最たるものですよね。

裁判ってさ、今までの判例から判決が決まってたりするでしょ。それこそ裁判する前から大方の判決が決まってるよね。

例えばそうだな、

離婚の慰謝料の相場とか、殺人事件なら何人殺害したのかで懲役の相場が決まってるとか、、そういうのあるよね?

そこに惰性や妥協があるなんて失礼なこと言わないし、ひとつひとつ真剣に、色んな人の人生をかけて裁判しているとは思うんだけどさ、

他人の裁判しか見たことのない僕でさえ、「やっぱり判例ベースで決まっちゃうのかな?」

って、ちょっとモヤッとしちゃうよね。

ほんとちょびっとだけどね。


▶ちょっと話が変わるんだけど、

この前ね、公園を歩いていたんです。

でね、何気なく歩いていると、舗装された道が目の前に出てきたんだけど、目的地に向かうには明らかに遠回りなの。

なんなら、その道を無視して公園を横断する方が明らかに近道で、公園なんだから横断したところで誰に咎められることはないでしょ?

でもね、気づけば僕はその遠回りで舗装された道を歩き始めていたんです。

別に舗装された道を歩きたかったわけでもないし、その道以外通れなかったわけでもないんだよ。

公園を横断するほうが、明らかに早く目的地に着くのに、僕は律儀にも唯一舗装された道を歩いて、律儀に損をしていたんだ。

僕はそのとき、たぶん、ただ目的地に着くことだけ、それだけに意識を向けていて、

歩いている僕は、ある意味で色んなことに無意識だったのかもしれない。

そんな僕は、遠回りになるであろう舗装された道を自然と選んで歩いていたんだ。


▶元の話に戻るね。

僕は前例を踏襲するのが嫌なんです。

たぶんそれは、前例を踏襲することに惰性や妥協を感じるからだと思っていたんだけど、

たぶん、ちょっと違うみたい。

公園の道の話と同じように、目の前に正解らしい道(舗装された道)が出てきたとき、

よほど意識しない限り、人は無意識にその正解らしい道を歩いてしまう。

そこに惰性や妥協はない。

それはたぶん、僕が嫌う前例を踏襲するときも同じなんだと思うんだ。

無意識であればあるほど、言い換えれば、思考が停止していればいるほど、人は無条件に前例を踏襲してしまう(正解らしい道を選んでしまう)

■僕は、前例を踏襲したくない

■まして、思考停止もしたくない


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