誰かに優しい人が、得をする。そんな人生でもいいんじゃない?

最近の僕の仕事における判断基準が、結構良いんじゃないかと思うので、共有したいと思います。


と、その前に

この前の、僕が夜勤に持っていく夜食を買いに、近所のスーパーに行ったときのお話。

僕は、夜食にお菓子をよく買うんだけど、その日もお菓子を買おうと陳列棚に行くと、たぶん40歳代くらいの店員さんが商品の補充をしていたんだ。

その人は次々にお菓子をキレイに陳列していて、あるお菓子の補充をし始めた時に、すぐわきで同じく補充している別の店員さんを呼んで聞いたんだ。

「これ、お酒が入ってるんですけど、アルコール入りのポップを付けましょうか?」

って。

でね、聞かれた店員さんは、たぶん上司にあたる人だったんだと思うんだけど、考え込む素振りもなくスッパリと、

「決まってない(義務じゃない)からやらなくていいよ」って答えてたんだよね。

このやり取りを聞いてさ、僕は「あぁ、、」って思った訳で、それが今日の話だったりするんだけど、、分かるかな?

そりゃまだ分かんないよね、、

えーとさ、みんな何かしら仕事をしていて、どんな所で働いていたとしても、何かアイデアを出したり、サービスを作ったり、色んなことで頭を捻ると思うんだけど、

そんな時に何かしらの判断基準を持ってアイデアとかサービスを考えたりするでしょ?

上に書いたの店員さんは、「必要があるかどうか」という判断基準があって、決まってないから必要ない、だからやらないってことになった訳で、

たぶんルールで決まってたらやってたと思うし、なんなら意味のないことでもルールで決まってたらやってたと思うんですよ。

で、そんな物事を「やるか、やらないか」みたいな判断基準を考えたとき、最近僕が使っている判断基準が最高なんじゃないかと思う訳ですよ。

それはめちゃくちゃ単純で、たぶん誰でも実行できることなんだけど、意外に持っている人が少ないみたい。

そんな僕の判断基準、、それは、

「優しいかどうか」

それだけなんです。


これ、騙されたと思って試してほしい。

何かにの選択に悩んだとき、何か新しいことを考え出さないといけないとき、この考え方が結構いいんですよ、ホントに。

何がいいって、「優しいかどうか」という判断基準をもとにアイデアを考えると、ある種の理想論的なものが出てき易いんですよね。

でも、世間一般的に言えば、理想論って実現しないことが多くて、「それは理想論だよ」みたいに理想論ってのは否定する時に使われることが多いですよね。

でも理想論だと思う理由って実は、

・実行できそうにない(と思う)

・そんな決まりがない(から必要がない)

・(めんどくさいから)したくない

なんて理由が多くて、実は検討すれば実現できるものや、実現すれば良いサービスになるものを、なんとなく自分の中で却下していることが多かったりするんですよ。

それってかなり勿体ないですよね?


でね、

例えば僕は福祉職だから、利用者支援について考えるけど、おそらく以前の僕なら支援の判断基準に「実行できそうか、する必要があるのか」という考えが必ずあったもんだから、まず無難な支援しか思いつかなかった。

誰かがやったことのある、実績や効果が予想しやすい、そんな支援ね。

けれど、その判断基準を「優しいかどうか」だけに絞ってしまえば、利用者にとって有益な、でも理想論と言われてしまうような支援を思いつくことができる。

始まりは理想論、、それでいい。

そこから、

「それって実行するの大変そうだけど、実行した方が(利用者にとっては)優しいよね、じゃあどうすれば実行できる?」

と考えることができるからね。

「できるかできないか、やる必要があるかないか」を考えるタイミングが、優しいかどうかの後に変わっただけなのに、ハマれば凄い効果を弾き出す。

そして、この「優しいかどうか」の判断基準って実は、何かを止める時にも有用で、

意味がわからない慣習とか、決まりとか、ルールとか、なんとなくやってる仕事ってあるじゃない。

そんな仕事は、誰かにとって優しいかどうか考えて、優しくないなら止めてみたらいいんだよ。

そんな視点で見てみると、意外に要らない仕事って多いことが分かったりするんだよ。

おしまい。

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