見出し画像

先生!私、図書委員やりたいです!

 学生時代や義務教育時代に図書委員を複数回経験したことがある人はロクな人間にならない、というぐうの音も出ない暴論を目にしたので、例のごとく前向きな肯定と後ろめたい反論を交えつつ、つらつらと書いてみる。

【戯れ言の葉の庭 人間失格シリーズ②】

前回の第1弾はコチラ↓

得意科目ですか?現代文です。 https://note.com/0130ellesig/n/n59833e2e30f9

委員会界隈の"穴場","シェルター","防空壕"こと「図書委員会」

 図書委員は、ダメ人間たちのセーフティネット

 そもそも皆さん、「図書委員」というものをご存知だろうか。もしかしたら図書委員自体が存在しない学校や地域もあったのではなかろうか。はたまた存在はしていたが、なにか別の呼称や組織、システムであったかもしれない。

 説明しよう!図書委員とは、図書室や本に関する雑務をこなす委員会活動である。その雑務というのが、具体的にはどういうものを指すのか、図書委員本人もあまりわかっていない。わからないまま時は流れてしまった。とりあえず月に一度か二度、図書室に全学年の図書委員(多くの場合は、各クラス男女1名ずつ)が集まるのである。
 委員会会議の日。物々しい雰囲気の中、私たちは長机にズラっと座らされる。そして会議のようなものが始まり、図書委員長や担当の先生が実態のよくわからない「貸し出し強化月間」とやらの説明を始めるのだ。大半の図書委員はそんなものがあることも、その意義すらも知らない。何もわからないので皆借りてきた猫のように大人しい。図書委員の業務としては、あとほかには貸出カード(クソ懐かしい)なるものの管理をしたりしていた気がする。知らん、忘れた。今よく思い出せばそんなことしてないな。私は何をしていたんだろう。

 とにかくフワッフワとした活動をぼんやりとこなしていただけな気がする。こういうのはやってるテイが大事。図書委員会は他の委員会たちと比べても確実に見劣りする上に、肝心の活動内容も地味だった。体育会を指揮する体育委員や学校の花形でもある風紀委員には、地位も能力も充実度もすべて負けていた気がする。唯一勝っていたのはモッサリ度やオタク度くらいである。

 図書委員のメンツを見渡してみると全学年通してどうも冴えないボーイズ&ガールズ。ちなみに私も冴えない。ついでに先生も小太りにメガネで冴えないし、図書委員長はお決まりのごとく地味お下げメガネっ子だ。図書室も追いやられるように学校の隅に鎮座している。これではメディア良化法に到底立ち向かえそうにもない。

-

図書委員会は行き場を失った没個性羊たちの群れ

 「本」「読書」「図書館」というワードが連想されるであろう図書委員を務める生徒のイメージ像として抱くのは、皆一様に読書好きであって、それが転じて学力が高い生徒も多い、というようなプラスのイメージではなかろうか。
 確かに図書委員に読書好きが多いことに概ね間違いはない。読書といってもその対象は様々だが、ここでは小説や新書などお堅いものの他にも、ラノベや漫画などの俗なものまでひっくるめて読書の範疇とする。
 普通に考えれば本が好きだからこそ図書委員という選択をしたはずである。何かしらの形で、本や書籍と近い距離で活動を行えるならそれにこしたことはない。本好きの図書委員、これがあるべき姿(?)だ。

-

 さてようやく本題に入る。ここで槍玉に上げたい問題は、前述した読書好きの人種ではなく、図書委員全体の一定数を占めている、さして読書の虫でもないような人種についてである。ちなみに当時の私もその人種である。
 特に読書に熱心という訳でもなかった私が、執拗に図書委員に立候補し続け、何度か図書委員を務めたことには立派な理由がある。そしてその私と同じような考えを持った人達が他にもいたはずである。いやむしろ「根っからの読書好き」と「私のような考えの人間」で図書委員はキッパリ二極化していたはずである。1か0か、その両極端であったはずだ。

-

生徒たちは何かと肩書きや所属を求める


小中学生はやたらと肩書きが多くなる。学級長、委員長、生徒会長、班長などなど。即席的なものを含めれば、日直や当番といったものもある。社会と違って学校という場は、生徒全員誰にでも平等に肩書きがもらえるチャンス!
 しかし、肩書きが単にあればいいというわけでもない。その肩書きの中にもカースト制度に基づく階級があり、「奴は肩書き界隈の中でも最弱...」みたいな風潮がある。ちなみに〇〇長界隈で最弱の肩書きは「登校班長」である。その上に学級長、委員長、部長、生徒会長などのスペシャルな肩書きが続くわけだ。場合によっては生徒会の一存で学校が動きかねないほどの権力が伴うこともある。生徒会長とお呼びっ!

-

 肩書きによってある程度の所属ヒエラルキーが決まる世界で、なんとしてでもある程度の地位が確立された肩書きが欲しい。しかし体育委員会や学級委員長といった上位職には手が届かない!そこで、そんな中途半端な迷えるヒエラルキーに属する人種が気軽に狙えるポジション、言わば肩書き界隈のセーフティネットにもなるのが、「図書委員」なのである。国家総合職に対するところの国家一般職みたいな位置づけだ。

 図書委員は何といってもコスパが良いのだ。労働量も少なく活動もかなり消極的。活動自体が地味で目立たないので矢面に立たされることも無い。それで居ながら「委員会所属」という立派な肩書きを得られる。情熱と冷静の間にいるような没個性人間たちはこのポジションをこぞって狙う。

-

はい、私が図書委員を志望した理由は、


 そう、私が図書委員にこだわった最大の理由もこれだった。運動もできない勉強もできない、クラスの中心に行けるようなキャラクターもない。自尊心だけが肥大化した冴えない私の情けないプライドを守るためだけに、そのためだけに図書委員の座を狙っていた。それ以上も以下もない、学校というカーストの中でかろうじて人権が守られた上流階級へと潜り込めるギリギリのライン、いわば核シェルターのような存在、それが『図書委員』。

 ゆえに図書委員は倍率が高い。体育委員などは陽の雰囲気纏うスポーツマンが勝手に名乗り出るし、風紀委員は真面目で賢いやつが学級の総意によって任命されるし、美化委員は適材適所にもほどがある適役の人間がポジションに収まる。実は図書委員は隠れた穴場であり、そして最も競争率の高いポジションなのだ。図書委員立候補者各位、生徒への根回しと袖の下を忘れないように。

-
 私が図書委員になった暁には、

 クラスで委員会の所属を決めるとき、図書委員に立候補する人間は毎回3,4人いた。しかもだ、お前委員会なんてやるタマじゃねーだろ、というようなヒエラルキー下層の人間が出てくる。たとえて言うなら運動音痴や勉強ができない冴えないメンズ(ガールズ)といった特徴が目立つ。悲しいことに筆者自身もそれに含まれているのだ。

 複数人いるとなると当然、多数決などの手段で一人を選出せねばならない。図書委員になれるのは男女各1名ずつだ。ところで、人間は自分と同じような人種を見たとき、一目でわかるのだ、「あ、こいつら私と同じ考えだな」と。不純な考えで立候補した私と同じ目をしている、同じヒエラルキーから登場した、同じような人種。自分で立候補しておきながら自分の浅ましさと情けなさに吐き気がしてくる。同じような人種が委員会の不人気ポジションをせこせこと奪い合う様を外野から見たらどれほど滑稽だろうか。想像するのが怖い。

 生徒会長などの最重要ポジションは、立候補者による候補者演説などがあった。わざわざ生徒全員が集められ候補者の立派な演説を拝聴する。眠くなるほど高尚でありがたい。

 さて、図書委員の立候補者が複数出た場合、どのような決定するか。

「じゃんけん」である。候補者の志、人徳、票数、そんな大仰なものではない。候補者のただ運のみで決められる。学校の文化レベルを向上させる立場にありながら、その役割を担う人間は下層ヒエラルキーから出てきた人間の中の、そのときたまたま運が良かった者に託される。学校の文化レベルの引き上げなど到底不可能である。図書委員にも候補者演説を取り入れ、立候補の高い志とオーディエンスの気持ちの揺れ動きに託すべきではないのか。あるいは面接や試験などを課してもよいだろう。委員会というのは学校全体の奉仕者、つまりは公務員だ。社会に出る前段階としてこのように通過儀礼を経験させてもよいのではないか。ここで一歩前に出ることが出来る勇敢な人間のみ、甘い汁を吸う権利が与えられる。社会とはそういうものである。

 さぁ今すぐ図書委員を辞めよう

 だからといって図書委員などというぬるま湯に甘んじていると、自分のキャリアも形成できないままに時が過ぎ、委員会で与えられる仕事をただ機械的にこなすだけになり、気がつけば無気力で無能溢れる学校生活を送ることになる。それならいっそ無所属で部活や勉強にバリバリ打ち込んだほうがまだマシだ。
 図書委員になって貴重な学生キャリアを棒に振るくらいならば、ちょっとだけ背伸びして美化委員や保健委員を狙う方がまだ良いだろう。そのほうが拘束時間や残業は少し多いかもしれないが、その後のキャリア形成に大きく寄与することになるだろう。若さ溢れる学生の間は、薄給ぬるま湯よりも高給激務を身を持って経験すべし。社会はそんなに甘くない。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?