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下町の二本のイチョウの物語

イチョウの母さんは、赤い橋がかかる佃堀沿いの於咲(おさき)稲荷神社・波除(なみよけ)稲荷神社の境内に立っている。ここは2つの神社が横に並んでいて、鳥居を共有しているんだ。

イチョウの父さんは、母さんのいる神社の道向かいの細い小路を入った、佃天台子育て地蔵の一角に立っている。背が高くて頭が住宅街からにょきっと出ている。

2人の距離は味噌汁が冷めないくらいの近くに住む別居婚、いや遠距離恋愛って感じかな。

年齢?聞くところによると父さんは樹齢400歳くらいらしい。関東大震災も太平洋戦争も経験したらしいけれど、「毎日色んなことがありすぎて年なんて覚えてられるか」だって。サバサバした江戸っ子らしい父さんの答えだ。

母さんも実は隠しているだけなのかもしれないけれど、いくつか分からない。ま、ギンナンの実をたわわにつけているから女ざかりの年齢ってことにしておこう。

母さんは秋になると父さんが男で本当によかったといつも言ってる。ギンナンのオレンジ色をした果皮ってくさいだろ。
父さんがいるのはギュッと家と家が身を寄せ合っているような場所だから、もしそんなところで臭い実を落とそうもんならとうの昔に切り倒されていたかもしれないと母さんは思ってるんだ。母さんは境内でご神木だから手を出しにくいし、道に面していてもそれほど迷惑がられない、かえってギンナンを拾う人に好都合な面がある。私たちちょうど良かったわ、世の中うまくできてるわ、だって。

あ、若い女性が母さんの神社にお参りにきたよ。深いため息をつきながらなにかをつぶやいている。それから次は父さんのいるお地蔵さんへ向かった。悩み事かな?それとも願い事かな?

於美神社、波除神社は元々、海運と海の安全を願って建てられたものらしい。海がすぐそこだもんね。母さんの足元にある、さし石は大正~昭和初期まで、海で働く若い人たちが持ち上げて力比べをするのに使われたとされる石さ。

そして天台子育て地蔵の方は子育てはもちろん、家内安全、商売繁盛、長寿延命、請願成就とありとあらゆる領域をカバーするオールラウンダー。

2カ所とも地元の人たちの手で大切に守られている。

そうそう、父さんの最近の自慢は、自分の所にお参りに来る人たちを取りあげたドキュメンタリー番組で有名になったこと。本当は父さんじゃなくってお地蔵様の所にみんなきたんだよって訂正しそうになったけどやめといた。
確かにお参りに来る人達は父さんの体を触って「このイチョウの木に力をもらう」みたいなことを言ってたし。これまでは「ここは窮屈でいかん、足元もつらい。そろそろ引退かな」って愚痴をこぼしていたのが「ワシがやっぱり頑張らんとな」って、テレビに出てやる気満々になったんだから邪魔しちゃいけない。

母さんは海で働く人が少なくなって仕事が減ったかと思いきや、子どもたちが気にかかってしょうがないそうだ。神社の前の道は子供たちの通学路。朝に昼にと近くにある小中学校の登下校時間になると子供たちの姿でがぜんにぎやかになる。

ほら、下校時刻に入ったよ。ランドセルを背負った子供たちが家に帰っていくよ。一目散に走ってくる下級生、かくれんぼしながらふざけながらの男の語たち。おしゃべりに夢中の女の子グループ。


はしゃぎながら楽しそうな子供たちの様子をみるのが母さんは大好き。「こどもは遊びながら成長するものなの」が口癖なんだ。鳥居の前で一礼する子どもには「ありがとう、ちゃんと私たちが見守っているからね」って聞こえない声でつぶやいている。

父さんの方に寄って帰る子はいないなあ。でも父さんは気にしていない。「楽しく、元気に生活できているなら問題なし。大人になって悩み事があったり、心細くなったりする時がワシの出番なんだから」と鷹揚に構えている。昔からたくさんの人に頼られてきたけど、パワースポットとして注目されて余裕が出てきたんだろう。

とはいえ子供たちに起きる暗いニュースが増えてきて、2人とも心を痛めてる。母さんはいつも自分の前を通る子供たちの登下校の様子をじっと目で追っている。「アタシが動けたらいいのに」とことあるごとに口にするのは子供が犠牲になる交通、 水難事故や悲惨な事件が相次いでいるからだと思う。父さんだって口には出さないけど、天井をつき破って背を伸ばしたのは家が邪魔で子供たちが見えないからって理由なんだよ。(ただそれでも見える範囲は限界があるらしい)

でも2人とも大丈夫だよ。見てよ、黄色い旗を持った人が車の多い道で横断歩道を渡る子供たちを誘導しているじゃない。
「アタシ、何番目?」
「6番目かな。でも小2では一番かな」。
女の子と一緒に道を渡りながら交わされる、ぬくもりのこもった会話が聞こえてくる。

どの子も元気に育ってほしいー父さんと母さんと地域の人たちの願いは同じ。

ようやく子供たちが帰っていった。これから父さんと母さんは遅くにやってくる大人たちの心に耳を傾ける。おおきくなった人たちだってみんな、みんな色んな悩みを抱えている。。。そしてこれまでも、これからも、父さんと母さんは人々の心に寄り添いながら生きていくんだ。弱った人への二人の決めゼリフは「もんじゃ焼きでも食べて元気出しなさい」。効果抜群だって自慢していた。

さて、東京・佃のイチョウの小さな物語はこれでおしまい。





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