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愛することを教えてくれたのは家族でも恋人でもなく"一人の友達"だった。


「愛することをしてみたい」

と私はずっと思っていました。





愛することって
非日常的な行動・行為です。

ですが、私は「愛すること」って
意識的な行動・行為だと思っています。



そんな「愛すること」を
私は今までの人生で
してきたことはありませんでした。


というと、
「家族や恋人はどうなるんだ!
愛していなかったのか?」
と思われると思いますが 、

家族に関しては
「愛」が元から存在しているような
家でしたので、意識的に「愛すること」は
なかったように思います。



恋人に関しても
「愛すること」はなかったです。

私は「愛」というのは
”見返りを求めないもの”
だと思っておりますが、
恋愛では「良く思われたい」
という気持ちが少なからず付いてきます。

見返りを求める気持ちが
ゼロではなかった為、
「愛すること」とは違っていたと考えます。







◼︎愛するということ

私に「愛すること」を教えてくれた友達。
私はその友達(女性)のことが大好きでした。

それどころか「大好きじゃ足りない!」
と思っていて他に言葉はないものか?
とも思っていました。


大好きすぎていつしか、
「彼女がどんな風になろうとも
好きで居続けれられる」
と思うようになりました。

楽しい時は一緒に笑って
辛い時、苦しい時は
痛みを私に分けて欲しい。
見返りは要らないから力になりたい、

いえ、
「生涯見返りは要らない」
と思いました。

逆に私は、
「彼女の為になることを
ずっとし続けてあげたい」
と思うようになりました。






"愛する相手に借りがある、
いつもそう思う人こそ
本当に愛しているのです。"

(ラルフ・W・リックマン)




私は彼女が大好きではなくて
愛しているのだと知りました。

そして「愛すること」を
していたのだなと気づきました。

「大好き」ではなく
「愛している」と知った時、
私はとても腑に落ちたのです。

これが「愛するということか」と。





愛することって一方通行ですが
とても温かくて幸せなことです。

愛されることも
それはそれは幸せなことだと思います。

ですが、
愛することもまたとても幸せなことです。







"愛し愛されるということは、
両側から太陽を浴びるようなものだ。"

(デヴィット・ヴィスコット)


私は今、
片側から太陽を浴びています。

彼女がいてくれる限り私は
ずっと太陽を浴び続けられる。

もう片側はいつか浴びれればいいです。





今度彼女に伝えてみようと思います。

「愛することを
教えてくれてありがとう」と。







きっと彼女は見せてくれるはずです。


ユリの花のように美しく、
そして清らかな、


私の大好きな笑顔を。





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