Hareche

考える事大好きっ子による日常の記録。

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最近の記事

Vol.01

今年も残り僅かという事実に驚いている。 1年って、長いようであっという間だ。 去年と同様、今年も色々な事を考えていた。 去年に比べ、前進したことは、 ・頭の中のモヤモヤを文章化して客観的に自分を探ってみる。 ・自分と上手く向き合う為に、自分をコントロールする術を身につけ始めた。 この2つ。 長くて暗いトンネルの出口を見つける為に ここ5、6年間ずっと走っているのに 見つけられなかった。 きっと、背伸びしすぎていたんだと思う。 走っても走っても、自分の影はずっとついてくる

    • 日曜日。

      一週間に一回必ず訪れる日曜日。 必ずと言って良い程、物憂げになる1日。 そんな日は特に意味もなく外の景色を眺める。 その時私の目に写っているものは、言葉なくとも私を温かく包んでくれている様な気がする。 心に何かしらのわだかまりがあろうとも、不思議なもので心が救われることもあるのだから。

      • お久しぶりに、つらつらと

        ストレスが無さそうだよね。 と、だいぶ前に言われたことを思い出した。 今になり、彷彿としだす胸のざわつき。 ストレスフリーの環境下に身を置いてない人等いるのだろうか。 逆に、身を置きながらも都度、外面に出す人の方が少ないのではないか。 無責任な言葉をかける人がいるものだ。 私は、ずっと、ずっと、言葉と対峙していくんだ。 だけど、貴方のような存在が見方を変えれば 私を強くさせてくれる。 ありがとう。と、心の中で呟く。 負けるな。私は正しい。と、鼓舞する。

        • 最近の私は無心です。

          会社に行くのが元々億劫なんだけど 最近は特に億劫だし、行きたくない。 朝が来るのがすごく早くて、 勤務時間は息が詰まって、 退勤時間になって、 車に乗るとやっと息ができる。 やっぱり私は感情を左右されやすい。 他人がイライラしている姿を見ると それだけで苦しくなるし、 更にそのイライラをぶつけられた時には もう堪らない。 私が何をしたのか。 振り返って考えてみるけど、全く思い当たる 節がない。 不信感と、疑問で脳内がパンクである。 要は、私はその人にとって 下の存在。

          28歳、人脈について思う事をつらつらと。

          私は、家族から すぐ人に騙されそうと言われる回数が多い。 そう言われる理由は自負している。 私は、相手の言葉を詮索しないから。 ただ、詮索できないのではなく、 したくないというのが本当のところだ。 相手と自分の解釈を共通させると、 勿論そこには多少なりの差があるわけで。 (至極当たり前の事なんだけれど) その差を現実的に理解してしまうと、 (知りたくなかった現実等は特に) 逃れたい私は、相手との間に壁をつくり 関わらない事で、保身に走る。 こんな人生を送ってきて、かれこれ2

          28歳、人脈について思う事をつらつらと。

          人との関わり

          私は、生まれてこのかた、 人と関わる事を避けてきた。 それは、他人の心を知る事が怖いから。 目の動きや、声のトーンや、態度 ふとした時に見せる表情から その人の本音を聞いているようで。 言葉では、取り繕えるが故に、 自然現象のようなものには抗えない部分を 垣間見ると、形容し難い気持ちになる。 だから、私はプライベートにおいて、 冒険を全くしない。 今の自分にとっては、ベストだ。 誰にも干渉される事なく、 傷つけられることなく、 かと言って気分が過度に高揚するタイミングもな

          人との関わり

          物差しの基準値

          「貴方を理解していたつもりだったけど、  結局何も分かっていなかったんだね」と、  口に出す人を見ていると、  限られた時間や場所だけのコミニュティーを  通して実感した、  一個人の解釈にすぎないのではないかと、  ふと疑問に思う事がある。  第三者からどう思われようとも構わないし、  訂正する必要もない。  ただ、避けたいのは、  断片的に切り取った物差しで人を見定める事。  今日、ふと感じた事です。

          物差しの基準値

          自分を守れるのは自分自身

          罵声を浴びせたり、物に当たる人は、 所詮その程度。 同じ目線にならなくて良い。 自分の感情まで相手に適合させる必要性は 全くないのだから。 でも、心が病気の時って、面白いくらいに 判断ができなくなる。 何が、正常なのか、自分はどうしたいのか、 どうあるべきなのか。 自分の事が分からなくなると、すごく怖い。 だから自分に対して平然と向き合える時に、 身体の悲鳴のシグナルを知る事は大事。 その時の為に、心の休息所を構えておきたい。 今日は、ふとこんな事を思った日でし

          自分を守れるのは自分自身

          仕事は良い意味で気楽に。

          真面目も程々に。 全力投球がすべてではない。 生きている事だけで、大儲け。 「しんどい」と思ったら、そんな自分を 歓迎して受け入れよう。 無理に立ちあがろうと思わなくて良い。 気持ちの整理がついたら、行動すれば良い。 どんな時の自分も、自分だけはずっと味方で いてあげる事。 いつかこの日を思い出した時、 立派な、人生の通過点であったと言える日が 来るのだから。 #仕事について話そう

          仕事は良い意味で気楽に。

          思い込みからの脱却。

          自分から見て苦手な一個人が、他の人にとっては良い人ってよくある事だと思う。 そう考えると、相手の味方が多少良い風に方向転換できる。 自分が相手に抱いていた嫌な面だけでなく、良い面が。 それは、一種の発見に近いかもしれない。 人はいつも孤独だけれど、自分だけでは乗り越えられない事って沢山ある。 形は其々であれ、人と関わりながら生きていくのだから、 どうせなら、良いところを探していきたいよね。 #多様性を考える

          思い込みからの脱却。

          私の趣味

          答えの出ない問いを悶々と考える。 私にとっては、自分の考え方の成長を視覚化できる貴重な時間。 あの時は、〜な考え方だったのか。 だとしたら、〇〇な観点で悩んでたのかと回想できる。 今は、同じ悩みに対して、〇〇な部分でつまずいている。 前とはまた違う価値観で物事を捉えてるんだと気付ける。 絶対的な答えはない。正解もない。 ただ、その時に感じた気持ち、その時に出したベストな解決策は大事にしていきたい。 壁にぶつかって、何度も考えて、 これだと思っても更に深掘りして考えてみる。

          私の趣味

          感情の制御は自由

          泣いたり、笑ったり、怒ったりしても良い。 ある程度の喜怒哀楽は必要、 私達は感情を持った人間だから。 ただ、 常に自分や他人の感情に左右されるのは 避けたいから、 平均以下ぐらいを保ちながら生活していこう。

          感情の制御は自由

          人生とは訓練。

          相手に自分を分かって欲しいと思う事は一種のわがままだ。言わなければ何を考えているのかわからない。行動しなければ、存在を見つけてもらえない。自分を発信する事に対して、臆病になったり、羞恥心を持ち続けていると、視野は徐々に狭まっていく。承認欲求があるからこそ、感じる気持ちなのかもしれない。承認欲求を求めてる自分を気恥ずかしく思い、相手から煙たがれる事を恐れて自分に見栄を張る表向きな自分もいれば、自分のパフォーマンスに対する賞賛の言葉で、承認欲求が満たされ、自分の存在価値を認識する

          人生とは訓練。