人生とは訓練。

相手に自分を分かって欲しいと思う事は一種のわがままだ。言わなければ何を考えているのかわからない。行動しなければ、存在を見つけてもらえない。自分を発信する事に対して、臆病になったり、羞恥心を持ち続けていると、視野は徐々に狭まっていく。承認欲求があるからこそ、感じる気持ちなのかもしれない。承認欲求を求めてる自分を気恥ずかしく思い、相手から煙たがれる事を恐れて自分に見栄を張る表向きな自分もいれば、自分のパフォーマンスに対する賞賛の言葉で、承認欲求が満たされ、自分の存在価値を認識するもう一人の自分がいる。
全く相反する心を持つ私は、その時の環境や
相手の性格に適応していく為に表向きの自分を本来の自分として演じている。
相手目線で自分を見た時に、相手にとって何の不快も与えない関係を構築したいから。
言い換えれば、浅い関係で事足りる。
自分の主張よりも、相手の感情優先とも取れるけれども、結局は自分優先な考えだ。
でも、次第に自分の相反する心が葛藤する。
自分の気持ちを正直に吐露すべき場面だったり、相手との誤解があったり。
心では、伝えたい、認めてほしいと思っていながら自ら口を閉ざしている。
心と行動は一致しないと、相手には何も伝わらない。人生は試練・訓練の連続。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?