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蟹男

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異世界モノの話です。
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蟹男 1話目

蟹男 1話目

「さあ、さて」

くつがえさないとならない理由なんて、何ひとつないのだけれど、『それ、口癖だよね』と言われたら、その指摘を僕はくつがえせない。

それくらい「さあ、さて」は、日に何度も僕の口から、もれている。

「さあ、頑張ろう」とか「さてやるかっ」とか、断定的な言い切りは、あつ苦しいような気がするし、もっと言えば、息苦しさすら、感じてしまう。

つまり、その程度のことに、あつ苦しさや息苦しさを感

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蟹男 2話目

蟹男 2話目

何日ぶんもの起き抜けの不快感を押しかためたものが、コンクリートのなかの鉄筋のように、ひたいの真裏にあった。

くわえて、ひどい耳詰まりだ。

鼓膜を指で押されてるんじゃないのかって疑いたくなる。

さらに、目を開けようとしても、まぶたが痙攣して、うまく開けられない。

手こずって開けたものの、ピントがまったくどこにも合ってくれない。

眼前には、たぶん二つの顔がならんでいる。

そして、さっきから

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蟹男 3話目

蟹男 3話目

まさか、はじめての失神と二度目の失神を同じ日にするとは、思ってもみなかった。

失神癖なんてものがあるかは知らないけれど、あるならそんな癖がついてなければいいのだけれど···

僕をここまで運ぶのには、そうとう往生したらしい。

ここには、僕に対応したサイズのものがない。

ベッドをふたつくっつけてならべ、僕はそこへ斜線状に寝かされていた。

おとな数人がかりで、僕を荷車にのせて、馬に引かせたよう

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蟹男 4話目

蟹男 4話目

食事のかたづけが済むと、ソウとソレさんは、もう寝支度にかかっている。

今日の僕は、昼間に二回も強制的に寝ていた様なもなので、目がさえてしまっていた。

僕があてがってもらっているのは、おそらく、客間だと思われる部屋だ。

さっき食事をしたのは、キッチンが併設された居間だった。

そして、僕のいる客間から、その居間をはさんで、ソウの部屋はある。

寝支度を終えるころをねらって、僕はソウの部屋の前へ

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蟹男 5話目

蟹男 5話目

僕は、ソウとそろって大あくびをしていた。

それをながめて、ソレさんが笑っている。

僕があくびを終えると、ソレさんが「あの部屋でよかったら、帰れるようになるまでつかってね」と、おっしゃってくれた。

「ほんとですかっ!ありがとうございますっ」

『よかった』と、僕はホッとした。

異世界で宿なしは、難易度が高すぎる。

まあしかし、僕はソレさんから『部屋をつかって』と、言ってもらえることを期待し

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蟹男 6話目

蟹男 6話目

玄関先でソウは、「行ってきまーすっ」と元気に発した。

それにソレさんが「いってらっしゃい」と返す。

つづいて、ソレさんは、僕の方に目を移して「いってらっしゃい」と言ってくれた。

僕は慌てて「あっ、いってきます」と返した。

そんな僕を見て、ソレさんは「大丈夫よ」と、ほほえみかけてくれた。

僕が少しこわばってることに気づいて、心くばりをしてくれたのだ。

緊張を隠していたつもりだったが、顔に

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蟹男 7話目

蟹男 7話目

「おじさーん」

そう言いながらソウは、自分の家であるかのように、その家の玄関のドアを開けて、入っていった。

ドアに錠はついているが、鍵はかかっていない。

ソウにつづいて、僕もなかへ入っていいものかと、玄関先で戸惑っていた。

「おじさーん」

家のなかからソウの声がする。

ソウは、ドアを開けっぱなしにしていった。

家のなかの様子が、うかがえる。

僕は、そこでゾッとするものを、目にしてし

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蟹男 8話目

蟹男 8話目

「ほらっ、いたよっ」

前を歩くソウが、進行方向をさしながらふりむいて、僕にいった。

「おじさーん」

ソウが、呼びかけるさきに、ハーフリングがみえた。

橋の欄干に腰をかけて、釣りをしている。

そのハーフリングは、僕らが近づくのを待って「よおっ」と、ソウに返した。

口ひげをはやした、中年男性のハーフリングだ。

つづけざまに僕を見て、「よおっ。にいさん、体はいいのかい?」と、いった。

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蟹男 9話目

蟹男 9話目

筋肉の危機だ。

僕は、あらゆる持ちかたを試して、筋肉の延命をはかった。

そして、持ちかえるたびに「さあ、さて」と、となえる。

そのうちの何回かは、心のなかだけではなく、口にだしていた。

それを耳にした、ソウが無邪気にいう。

「サアって、たまに自分の名前をいうよね。変なのー」

無実だ。

しかし、誤解をとくには『さあ、さて』が、名前ではないことを、明かさなければならない。

そいつは、い

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蟹男 10話目

蟹男 10話目

何時だ?

布団のうえの闇に、手をはわせる。

いっこうに、スマホを探りあてれない。

そうしているあいだに、僕は思い出した。

ここが自分の部屋でないことを。

部屋に満ちていたのは、夜ふけ独特の空気だった。

日がのぼるには、まだ随分かかりそうだ。

はんぱな時間に、目があいてしまった。

明日にそなえて、あさまでしっかり眠っておきたい。

僕は、寝やすい体勢を、もさくした。

横むきにおちつ

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