蟹男 1話目
「さあ、さて」
くつがえさないとならない理由なんて、何ひとつないのだけれど、『それ、口癖だよね』と言われたら、その指摘を僕はくつがえせない。
それくらい「さあ、さて」は、日に何度も僕の口から、もれている。
「さあ、頑張ろう」とか「さてやるかっ」とか、断定的な言い切りは、あつ苦しいような気がするし、もっと言えば、息苦しさすら、感じてしまう。
つまり、その程度のことに、あつ苦しさや息苦しさを感じてしまう無気力さを、僕は持ちあわせている。
一方で、その控え目とはいえない無気力さの腕をふりほどいて、なにかを始めるには、なんらかの掛け声を必要としていた。
そこに、わいて出た中途半端なモノが、「さあ、さて」だと思う。
それで、さっきの「さあ、さて」は、何とセットの「さあ、さて」だったのかと言うと。
いま僕の足は『僕の場所』に向かっている。
その動き出しの「さあ、さて」だったのだ。
『僕の場所』に足が向いてしまうのも、「さあ、さて」と同様、癖みたいなものだ。
『僕の場所』は、近所の小山にある。
住宅地のなかにポンとあらわれる、てっぺんに神社をかかげた小山。
『僕の場所』へは、ちゃんとした表参道ではなく、裏参道から行く。
『ちゃんとした表参道』と言っても、バリアフリーとは縁遠い。
急勾配の石畳の階段が、なん段もつづく。
神社のスタンダードなんて、そんなものだろう。
そして、『ちゃんとした』ではない、裏参道は、さらにきびしい。
裏の階段の幅は、表の半分もない。
半身になってやっと、人とすれ違うことができる幅だ。
くわえて、ずいぶん昔に手入れを諦められている。
せまい階段の、両サイドから垂れ込める背の高い草が、裏参道の入り口を閉ざしていた。
ふたたび「さあ、さて」と、つぶやいて、両腕で顔の前に壁をつくり、そこへ突入する。
草が顔面に直撃するのを、さけるために、下をむく。
足もとを見下げながら、階段を上がるのだ。
階段は、ちゃんとした表と違って、石畳ではなく剥き出しのコンクリートであった。
しげり放題の草が、束になって押し返してくる。
こんなに急な階段を、うしろへ落ちてゆく悲劇には、あいたくない。
その危機意識が、上の段のかどに、鼻頭を擦りそうなほど頭を下げさせる。
視界が、コンクリートの階段のアップで、占領される。
表面がザラついていた。
劣化してこうなったのか、もともと粗末なコンクリートなのか。
ザラつきには、黒ずみが目詰まりをおこしていて、ところどころ干からびた苔がこびりついていた。
そうして登っていくと、やっと一つ目の踊り場に出る。
踊り場は、階段の幅より左右に人ひとりぶんずつ広く、そのスペースには小さな石灯篭がある。
階段と同じ質のコンクリートで作られた、石灯篭。
この燈籠を見る度に、頭をよぎることがある。
もし、この燈籠に灯をともすミッションがあったら···
トングが必須だ。
まず、トングを使って灯篭の中に、ロウソクを設置する。
つづいて、トングで火の点いたマッチを挟んでロウソクに火を移す。
いや、トングでマッチを挟むのは、難しいから、先にロウソクへ火を点けておくべきだ。
なにが言いたいかって、こんな朽ちた灯篭に、素手を突っ込むのは、絶対に嫌だと言うこと。
灯篭のなかは、得たいの知れない虫たちの棲みかになっているに違いない。
その虫たちは毒をもっていて、噛んだり、刺したりするし、挙げ句のはてには、皮膚の下に卵を産み付けてくる。
僕の灯篭のなかのイメージは、蠱毒の壺のなかのようになっていた。
この妄想は、最終的に心のなかで悲鳴をあげて、軽く変なテンションになって、おわる。
ルーティンの妄想をすませ、息つぎをしたら、ふたたび草の中の階段へ突っ込んでいく。
そして二つ目の踊り場。
踊り場は全部で三つあるので、ここが小山の中腹と言うことになるだろう。
ここの左の灯篭の後ろには、獣道がある。
隠しルートだ。
そちらへ進む。
みたびの草への突進。
ガサガサ、ガサガサ、草をゆらして、獣のように進んでゆく。
心持ち道が広がって、その突き当たりに、洞窟と言うにはおおげさな、横穴がある。
その中が『僕の場所』だ。
横穴の入り口には「落盤の恐れ有り」の、立ち入り禁止の札がぶら下がっている。
札の上、二すみの穴に通された針金が、弛緩した虎柄のロープへ、雑にぐるぐると巻きつけられている。
僕は、なんとも頼りないそれを指でクイっとさげた。
ロープが多少ハリを取りもどしたところを、またいで侵入する。
人の手が入ってるようには見えない。
おそらく天然の横穴。
最近の小学生はマイクラの建設で忙しくて、リアルの秘密基地なんて作らないのだろうか?
おかげでここは僕の場所となっている。
そう言えば、僕がここを見つけたのは小学生のころだ。
子供にゲーム機を買いあたえない家庭方針の家の友達と遊んだときの話。
そのとき、うちのゲーム機は、物持ちのよい親が持ちつづけていた、スーパーファミコンが現役だった。
そんな遺跡から発掘されたようなゲーム機を友達とやるのは、幼心ながら恥ずかしくて、できなかった。
なので、二人で『たんけん』へ出かけたのだ。
小学生でもなければ、あんな、人に見はなされた階段を、あがろうとしなかっただろうし、一人でもやらなかった。
そして見つけたのだ。
しかしその時は二人とも、立入禁止の札に律儀にしたがった。
したがったと言うより、僕も友達も、ふたりして入るのが怖かったのだろう。
なかへ入ったのは、だいぶ後になってから。
穴の存在をふと思い出して、衝動的に。
ひとりで、だ。
穴はそんなに奥まっていなくて、ちょっと進むとまあまあ拓けた場所に出る。
そこが穴の終わりだ。
そこの中央は、ほどよく山なりになっている。
山なりの真上の天井に、ひと一人通り抜けれるくらいの、穴が空いていた。
そこから光がピンスポットのように差し込んでいた。
伝説の剣が刺さってる場所を、思い浮かべてもらうとはやい。
とは言っても、剣は不在なので、伝説の剣跡地だ。
かつて伝説の剣のためだったであろう、ピンスポで漫画やラノベを読むのが好きなのだ。
登校するフリをしてサボるつもりなんてないのに、通学路を横道にそれて、僕の場所に来てしまっていることがある。
そんなとき「癖みたいなものだから、しかたない」で親はすませてくれる筈もない。
そんな筋のわるい言い訳もしないけど。
『僕の場所』という呼びかたの由来は、スーパーファミコンのRPGからきている。
僕の「僕の場所」も伝説の剣跡地以外に、後6つくらい存在しているのかもしれないと思っている。
心の底から思ってるかと聞かれたら、本気で僕がそれを心の底から思ってるのかを、心の底から知りたいのか聞き返したい。
知られていない穴場、ということも含めて、ここはけっこう奇跡的な場所だと思っているけど、どうなんだろう。
ただ今回は例外だった。
先客がいるみたいだ。
先客は、中央の山なりの上に立ち、入り口に体の側面を見せて、ピンスポを浴びていた。
奇っ怪なコスプレをしている。
知らないキャラクターだ。
衣装やメイクのできが、やたらいいので、何かの撮影だろうかと目を泳がせるが、機材もない。
ほかに人もいない。
そいつは、全体的にピンク色をしていた。
人が中に入って、水の上を歩けるウォーターバルーンってのがあるけど···
あれをハート型にして、腰から上に被ったような···
バルーンの中には、絵の具をとかしたような色水が溜まっていて、手はそこに浸かっている。
浸かった手には、空気を入れて膨らました、ビニールのオモチャの剣を握っている。
二刀流だ。
2本も剣を持っていても、バルーンのなかなので、物理的に人を斬ることができないじゃないか。
オモチャの剣なので、『斬る』ではなく『たたく』か。
よく見ると、バルーンのハート型の上のくぼみが頭に食い込んで、頭と一体になっている。
SNSで流れてきた、トリックメイクの画像を見たことあるけど、あれみたいなものか?
体を横にむけたまま、顔をこっちにむける。
頭を力点に、付け根の腰を支点に、バルーンがねじれる。
バルーンアーティストが、風船をねじる時の音がしたような気がした。
正面をむけた顔には、魚のエラのような溝が三筋ならんだ、特殊メイクがほどこしてあった。
顔のパーツが、メイクに全部うもれていて表情はわからない。
オモチャの剣が、色水の浮力で、手ごと持ち上がった。
と、思ったら、スローモーションが始まったのだ。
そして、僕は低いところを浮いていた。
浮遊感のなかで最初に見たのは見馴れたチノパンが尻側をむけて、目の前にディスプレイされているところ。
下半身だけのマネキンに、足を通されて。
しかし気持ち悪いのは、マネキンの上側は血溜まりだということ。
ん?
あれは、僕の下半身じゃないか?
だって、さっき家を出るときはいたチノパンだし、靴も同じだ。
うん。
僕の体は、上と下で真っ二つに裂けたんだ。
上半身の僕は、いまスーパースローで落下しているところに、間違いない。
スローモーションが、落下を浮遊感に変えている。
浮遊感のほうは、合点がいった。
けど、スローモーションは、なんなんだ?
すぐに結論が出た。
これは走馬灯みたいなモノだ。
でも、上半身と下半身が離れる致命傷を受けてからって、手遅れじゃないか?
死ぬでしょこれ。
九死をさけるために人間に隠された能力を、自分が死んでいくのをしみじみ実感するために使っている。
なんとも間抜けな最期だ。
でもこんなに意識はハッキリしているし、ワンチャン死なないってこともあるんじゃないのか?
あ、でも死ななかったとして、これくっつくの?
と、不安がっていたら、意識は音もさせずに切れた。
〈2話目につづく〉
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