塩浦良太

1998| 柏崎-金沢| 就労移行支援の支援員 |広報| 思ったことやこれまでを、あり…

塩浦良太

1998| 柏崎-金沢| 就労移行支援の支援員 |広報| 思ったことやこれまでを、ありのままで。|溜まった言葉の置きどころ。

マガジン

  • 2024年1月1日以降の記事たち

    2024年1月1日以降の記事たちをまとめたマガジンです。

  • 自分の弱さと向き合う

    自分の弱さが誰かの強さを引き出す、そんな何かのきっかけになれば。

  • ”言葉”について

    ”言葉”をテーマに書いた記事たち

  • 就活のこと、採用のこと。

    25歳です。新卒3年目です。就労移行支援の支援員をしながら新卒採用もやっています。広報もやってます。自分が経験してきた就活のこと、採用の立場になって気づいたことなどまとめていきます。

  • 抽象的な言葉の言語化

    世の中で当たり前のように使っているけど、しっかりと言語化できていない言葉の個人的な解釈をまとめたものです。

最近の記事

  • 固定された記事

自分の人生生きてるようで、誰かの期待に生きていた

「え?」と思うタイトルかもしれないが、何よりこれに気づいた自分が驚いている。 以前、就活についての記事を書いたが、民間を目指すことに決めて、初めて本当の自分に出会えたと思っている。そう思うのはなぜなのか。時は幼少期までさかのぼる。 もう誰も離れてほしくない幼少期、両親が離婚し、私は父と祖父母と暮らすようになった。姉と母とは別々だ。 その時はどう思っていたかは覚えていないが、違和感は覚えていたのだろう。寂しかったのは覚えてる。もしかしたら「もう誰も離れてほしくない」と思っ

    • 強いんじゃない。

      自分の過去のことを話すと、 「あなたは強いね。」とか「よく反抗しなかったね。」みたいに言っていただくことがある。 有難い言葉だなと思う反面、「強い人間ではないんだよなぁ」と思う自分がいる。なんなら弱い人間なんじゃないかって。 強い・強くないとかの次元じゃなく、そんなの1回選択肢から外されてて”やるしかない”みたいな状況が常に目の前にあったんだよな、と思い出す。 そりゃ逃げるなら逃げ出したいし、甘えられるなら甘えたい。もしもボックスがあるなら「もしも~、」と何かお願いし

      • 「いい時間だなぁ」と思った日

        昨日、金沢21世紀美術館に行った。 実は金沢4年目にして初めての21世紀美術館。 近すぎるがゆえに行ってなかった、みたいな。 最初に感想から言うとすれば、 と思った。 今回は友達に連れられて21世紀美術館に行った。 どうやら現在「金魚美抄2024金沢展」というものがやっているらしい。 特に予定が入ってないと家に閉じこもったり、外に出ても仕事のための勉強したりという365日似たような生活をしている自分にとって、外に連れ出してくれる存在というのは実に貴重だ。 美術とか

        • 悩むことが出来るうちはまだ大丈夫

          ずーーーーーーっと、 何かあると考えたり、上手くいかないと悩んだり、そんな自分が「嫌い」とは思わないけど「生きづらい人間だな~」と思っていた。 別に今それがまったくなくなったわけじゃない。 でも最近思った。 って。 悩むことが多いことと悩みごとがないことを天秤にかけると、後者の方が平和かもしれない。実際に悩むって相当なカロリーを使う。どっと疲れが出る。 だけど裏を返すと、悩むだけの体力があるってまだお前大丈夫じゃん!って思う。本当にしんどくなったとき、人は悩むこと、考

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        自分の人生生きてるようで、誰かの期待に生きていた

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        • 2024年1月1日以降の記事たち
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          199本
        • 就活のこと、採用のこと。
          87本
        • 抽象的な言葉の言語化
          240本
        • noteマイルール
          62本

        記事

          「責任から逃げないこと」

          SNSを流し見ていた時にある言葉が目に留まった。 ”愛するということは「責任から逃げないこと」” その言葉に対しての詳細は書かれていないけど、自分の中で噛み砕いてすごい納得できた。 これって当然だけど恋愛関係の範疇に留まらず、友達とか先輩後輩とかもっと言えば人の枠をこえてありとあらゆる対象に及ぶんじゃないだろうか。 人にはそれぞれ選んだ道がある。見込んだ・ついていこうと思った人がいる。続けようと決めたことがある。だけどそういった一つ一つ選んだことたちがすべて常に順風満

          「責任から逃げないこと」

          それは自分の言葉になってるか?

          世の中にはいろんな言葉がある。 人を包み込むような言葉があれば、人を突き放すような言葉もある。 専門的な言葉もあれば、外来語のような言葉もある。 本当に本当に、いろいろある。 「何を言うか」か「誰が言うか」みたいな論争がある。 発言の内容が大事なのか、発言をしている人が大事なのか。 もちろんこれは状況によって多少のずれはあるだろうけど、私が思う関係性としては、最終的には「誰が言うか」に引き寄せられていくという風に捉えている。 「何を言うか」って幅が広い。 冒頭にも書いた

          それは自分の言葉になってるか?

          先を生きる者の役割

          25歳、26歳になる年。 早いもので社会人4年目であり、新卒4年目である。 ⇧なことに悩んでいたのがもう4年も前のことだと思うとちょっと衝撃的だ。結果的に民間企業に進み、今の自分がいる。 もしかして公務員に進んでいたらそれはそれで違ったいい世界が見えていたのかもしれない。だけど今自分が選んでいる道も大正解だと思っている。何なら「自分の意志で決めた道だから大正解にしないと」という気持ちで日々過ごしている。 結果どれ選んでも正解にするのは自分だから。それが「全部当たりのあみ

          先を生きる者の役割

          「世界」の中心

          今日はちょっと「世界」の中心について考えてみたい。 何もこれは地理的な世界の中心ではないし、 世界の中心で愛を叫ぶわけでもない。 よく、 「この人は自分の世界中心で回ってるな」 みたいな言われ方がされることもある。 そういう人と「世界」の距離感に関わる話で。 それでもよくわからないと思うのでまず自分の結論から言うと、 「自分の世界の中心は自分であるべき」 という考えを片手に持ちながら、 「世界の中心は自分じゃない」 という考えをもう片方の手に持つという感じ。

          「世界」の中心

          本文とあとがき

          大学生くらいから本をちゃんと読むようになった。 最初は漏れなく興味ある本の中身に惹かれた。 そりゃそうだ。本の主役は本文なのだから。 でも段々と注目ポイントが変わってきた。 変わった、というとちょっと語弊があるかもしれない。 「増えてきた」とでも言うべきだろう。何が増えたのか。 「あとがき」にも注目するようになったのだ。 たいていどの本にも「あとがき」というのがついている。 あとがき部分には著者に所縁のある人が、著者の人となりを踏まえて上でその作品を読んで感じたことを書

          本文とあとがき

          「嫌なこと」が合う相手

          「合う人に会っていく」 オードリーの若林さんがある本で書かれていたこの言葉、その考え方が私は好きだ。だからこれまでにも何回か記事に登場してきた。 これは別に”合わない人は避けていく”ということではないはず。 そりゃ生きていれば合う人合わない人はいて、合わなくても何かしら関係を持つことが求められる状況だってある。そこまで精査して「合う人を探すんだ」という覚悟があるならそれでもいいのかもしれないけど、別にそこまではしたいと思わない。 合わない人がいたとしても、それは人の違い

          「嫌なこと」が合う相手

          必要な無駄

          世の中には「必要悪」という言葉がある。 ”ないほうがいいけど、必要とされるもの” そして私の過去の記事で「必要”楽”」という言葉をつくった。 ”自分に余裕や余白をつくっていくために、「効率よくやる」「時間を短縮する」「仕組み的にする」”みたいな意味合い。 そしてこの記事で第3の「必要○○」を提唱したい。 それが、タイトルにもある「必要”無駄”」。 「ん?」と思う人が多いかもしれない。 自分でもジャストアイデアだが笑 だって無駄と必要ってすごい遠い距離にある単語だから。

          必要な無駄

          人生をかけた伏線回収

          皆さんはスティーブ・ジョブズの有名な卒業式のスピーチをご存じだろうか。 「Connecting the dots(点と点をつなぐ)」 要約すると、 という主旨である。 点と点をつなぐ。言わんとしていることはわかる。でもよくわからない。子どもの頃の私はこれが正直な感想だった。 でも少しずつ大人になってきてやっとわかってきた気がする。 私のnoteで何度も登場している、私の大好きな言葉がある。それが喜劇王チャップリンの言葉である、 生きていくということは”点”をつく

          人生をかけた伏線回収

          「どう見られたいか」と「どう見られているか」

          「こんなふうに思われたい」「こんなふうに見られたい」という姿がある人は、きっと多いんじゃないだろうか。「こんなふうに思われたい」がなくとも、「こんなふうには思われたくない」はあるかもしれないし。 じゃあ「こんなふうに見られたい」と思って選んだ行動や言葉は、漏れなく相手に伝わっているだろうか。 ここに対しての答えは「必ずしもそうとは言えない」なんじゃないかな。 それがタイトルにもあるように、 「どう見られたいか」と「どう見られているか」は違ってくる部分がある、に繋がってく

          「どう見られたいか」と「どう見られているか」

          自分が思う自分のいいところ

          なんてハッピーな人間が考える記事のタイトルだろう。 「自分が思う自分のいいところ」なんて普通じゃ恥ずかしくて言えることじゃないし、そもそもそんなの考えない。漏れなく私も普段そんなこと考えないタイプ。 でも時にはそうやって自分で自分を褒めたたえていくことで気分を上げていくことが大切な場面もある。というわけで頭にこのタイトルが思い浮かんだから書いていきたい。 皆さんは自分自身のいいところに目を向けたことはあるだろうか。 「あなたのいいところは何ですか?」と聞かれた時に、パッと

          自分が思う自分のいいところ

          「わかりやすさ」がわかりにくくしている

          言葉って便利だ。 どんなに複雑な感情だったり、 どんなに複雑な仕組みだったとしても 「それをひっくるめるとこう言います」 と単語で定義づけられてしまうことがある。 何も知らない人はその定義を聞いて、 「あ、これってこういうことなんだ」 「こういう特徴のあるものなんだ」 と分かったつもりになる。 でも定義づけられた側は思う。 「いや、そんな単純じゃないよ」 複雑なものをわかりやすくするために単語がある一方で、 その単語があることでよりわかりにくさが生まれることがある。

          「わかりやすさ」がわかりにくくしている

          人生を楽しむコツ(自分の場合)

          人生を楽しむコツ、という大それたテーマを掲げたが(自分の場合)とあらかじめ保険をかけておく。 変に”コツ”と銘打って「違うじゃないか」となるのを避けるため(笑) 誰かの正解が全員にとっての正解とは限らないから。 でももしかしたら、誰かの正解が自分にも正解だった、なんてこともあるからそんな誰かの正解になるかもしれないから記事を書いてみる。 「楽しそうな大人でありたい」 これは永遠のテーマである。 過去の記事でこんなことを書いている。 大人になればなるほど「知っているこ

          人生を楽しむコツ(自分の場合)