先を生きる者の役割
25歳、26歳になる年。
早いもので社会人4年目であり、新卒4年目である。
⇧なことに悩んでいたのがもう4年も前のことだと思うとちょっと衝撃的だ。結果的に民間企業に進み、今の自分がいる。
もしかして公務員に進んでいたらそれはそれで違ったいい世界が見えていたのかもしれない。だけど今自分が選んでいる道も大正解だと思っている。何なら「自分の意志で決めた道だから大正解にしないと」という気持ちで日々過ごしている。
結果どれ選んでも正解にするのは自分だから。それが「全部当たりのあみだくじ」だとも思う。
今日の本題はそんな話じゃない。
今回のテーマはタイトルにもあるように「先を生きる者」。
25歳の現状なんて、自分よりも先を生きてお手本を示してくれている方々が多いのでそれに対しての感謝と自分が偉そうに言えることなんてないのだが、それでもこれまで「先輩」と呼ばれる立場になることは多々あった。
例えば学校・大学の先輩、部活の先輩。
これは「学校」という限られたコミュニティで、年が進めば勝手に先輩になるシステムなので漏れなく私も先輩を経験した。
そして冒頭にもあるように社会人4年目ということで新卒の後輩も入ってくるようになった。
ただここで「先輩論」なるものを綴るつもりはないし、そもそもそんなのない。先輩だから偉いなんてことも当然思わない。だからここでは「先輩」という表現は使わずに、「先を生きる者」というちょっとカッコつけた言い方にしている。
だからベクトルを自分に向けた上で、ちょっと先を生きている者としてやった方がいいこと、意識したいことを自戒も込めて書いていきたい。
「自分は出来た/やってきた」は通用しない
まずもってよくありがちなのは、
というセリフ。
自分が苦労したからみんな苦労した方がいい、というニュアンスが含まれている感じがする。でもそうやって古い「伝統」が代々つながれていくことで、良い部分がある一方、膿も出てくるものだ。
当たり前というのは日々変わっていくものだから。
それに昨日書いた記事にも関わってくる部分だと思う。
自分が出来たからといって、他の人も同じように出来るとは限らない。これは他の人が出来るからといって自分も同じように出来るとは限らないのと同じように。
これって客観的に見ると「そんなの当然だよ」となるけど、いざ当事者になったら「俺はそれ出来てたよ」と言ってしまいがちなんじゃないかな。
その時は聞いた方がいい。
「じゃあどうやってのかを教えてくれ」と。
しなくてもいい苦労は減らしていく
という言葉がある。すごく大事な言葉だ。そしてすぐに答えが手に入る時代だからこそ、より一層身に染みる言葉だと思う。ただ額面通りに受け取っちゃいけない言葉でもあるというのが私の考え。
昔の記事にも何度か登場している考え方だが、
というスタンスだ。
それは本当に費やすべきか時間かどうか。悩むべきポイントか。
そこの判断ができるのは、先にその道を経験している立場の人間だと思う。
しなくてもいい苦労を減らし、向き合うべきポイントの集中できる状態をつくる。大切にしたい部分だ。
道を広げていく
もう1つ大切にしたいのは「道を広げていく」ということ。
選択肢が多くなることでその中から選ぶ大変さは増す。だけど選択肢が多くなることで自分にマッチする環境や状況は見つけやすくなる。
それにちょっと先を生きるものが道を広げる姿を見せることで、
「自分も道を広げられるのでは」という期待につながるんじゃないかと思う。”ついてこい”なんて言うつもりはないし、おこがましい。だけど自分の姿を見せることで自信につなげられることはできるんじゃないかなと思う。
何はともあれ、まずは自分の道に集中しながら、その過程で何か残せるものは残していけたらなということ。
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