フォロワーシップ社労士事務所 内山

はじめまして。横浜市神奈川区のフォロワーシップ社労士事務所代表 内山です。仕事のことや…

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はじめまして。横浜市神奈川区のフォロワーシップ社労士事務所代表 内山です。仕事のことや読んだ本のこと、趣味のことなどを書いていきます。 https://www.followership-hc.jp

最近の記事

ゆるい職場 考察その2

若者は何故会社を辞めるのか データによると、労働時間・残業時間共に減少傾向にあり、仕事の量的負荷、質的負荷、人間関係によるストレスも減っている。職場環境も良くなり若年層の望んでいる職場に近づいていると思うのだが、どうやらそれが不安らしい。厳しく対応すればヤメ、やさしい環境を作ってもヤメていく。いったいどーすりゃいいんだ? そもそも終身雇用制を否定しだしたのはいつごろからなんだろうか?調べてみると、若者が否定しているというよりは、企業が終身雇用を維持できないとか、制度疲労を

    • 「ゆるい職場」考察 その1

      著者の経歴は、2011年一橋大学大学院社会学研究科修了、同年経済産業省に入省。2017年よりリクルートワークス主任研究員。 その著者は、この本の中で「それでも3年目くらいまでは深夜残業を度々し、週に何度かは職場で失跡・痛罵され・・・」とある。さて、ゆるい職場への変化はいつ事から始まったのだろうか?「ブラック企業」という言葉が一般に広まったのは、2009年公開された映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」がきっかけではないかと言われている。さらにその後、働

      • 人的資本経営について その2

        身内から、「よくわからな~い、途中で読むのをやめちゃった!!」との厳しい指摘が入ったので、だいぶ端折りながら文章にすると、以下のようになる。 人的資本経営とは、経営戦略と人事戦略の整合性をとる事。つまり、経営戦略達成のためにどのような人材がどれくらい必要かを把握し、その人材の手当(育成OR採用)の方針と、力が発揮しやすい労働環境の整備をおこなうこと。 そして、人材の手当方針と労働環境の整備について法令を意識しながら、戦略的に公開すること。となる。 何故、今人的資本経営なの

        • 人的資本経営について その1

          巷間における人的資本経営に関する記述やセミナーの内容がなんかもやもやするので、自分でまとめてみた。社労士の守備範囲である中小企業を意識してまとめている。正確性よりも「わかりやすさ」を優先しているので、多少雑に感じる方がいらっしゃるかもしれないが、そこはご容赦いただきたいと思います。長文になりそうなので、区切って書くことにします。 人的資本経営とは 人的資本経営とは、「人材を資本と捉えその価値を最大限に引き出すことで中長期的な企業価値向上につなげる。且つそれを制度的義務や経

          自己紹介 ~現在

          会社との相性は相変わらずだが、仕事との相性はとてもよかった。就業規則に、法に反しているところを見つけては労組と折衝を繰り返す。判例や発令を探し出し交渉し説得する。労組に不利な改定にはプラスの改定と抱き合わせで提案した。営業職の長時間労働ではみなし労働をフレックスタイム制に変換した。労働時間の是正には3つの方法がある。働き方の効率化、仕事量の調整。そしてもう一つは、アイドルタイムを労働時間からはずすことだ。営業職の休日労働などはその典型で休みの日、売り場でキャンペーンがあるとき

          自己紹介 ~40代

          2003年3月、私は新たな会社に就職した。まだ退職したばっかりなので実名は控えたい。BtoCの会社のA社としておく。A社には障害者の募集で応募した。移植手術がうまくいったので、普通に応募しても良かったのだが、移植後の体に何が起きるかわからない。障害者雇用をしている会社なら理解もあるだろうという魂胆だった。この会社とは入社時からひと悶着あった。腎移植に成功したことを伝え、ほかの社員と同じように働けるし給料は前職並みを希望した。それで順調に進んでいたように見えたのだが、最終面接の

          自己紹介 ~30代その2

          新しく入った会社は思いのほかフレンドリーだった。中途入社で何もわからない私に親切に接してくれ、飲みに誘ってくれた。1985年に大学を卒業した仲間が3人いたが、「また同期が増えた」と喜んでくれた。社風が「体育会系」であったことも溶け込みやすかった原因の一つだ。仕事はスーパーやコンビニを相手にコーヒーや紅茶を売る仕事。営業職だ。前職と大きく違ったのはその売り方。アパレルは百貨店を主戦場とし、コーナーを作ってブランドイメージを演出し、販売員を派遣して対面で接客しながら販売する。顧客

          自己紹介 ~30代その1

          人生が大きく動き出したが30代。 辞令をもらって本社に戻ったら会社の空気が一変していた。バブルの崩壊だ。会社の利益をけん引していたLACOSTEも予算達成に必死であった。店頭消化を上回る在庫を納品し月末に翌月付の返品を受ける。そんなことが頻繁に行われる。ただの数字合わせに過ぎないことはわかっているのに。誰もが疲弊を始めていた。そして1年経過後、異動が発令される。「営業企画室」である。主な仕事は、”滞留在庫の処分販売”。バブル期の強気の発注が裏目に出て、大量の滞留在庫が会社の

          映画 戦場記者 kinocinema みなとみらい

          内容に触れないように書くのがマナーというものなんだろうが、今回は気にしないで書く。内容が分かったところでどってことないくらい映像がリアルだからである。戦場記者の須賀川氏がパレスチナのガザ地区、アフガニスタンの「橋の下地獄」、ウクライナのチェルノブイリを訪れる。衝撃的な映像とともに荒れ果てた戦地に住み、争いの被害者となった住人にインタビューを試みていく。 アフガニスタンは米軍が撤収しタリバン政権となってから世界各国が経済制裁を行って「世界から見捨てられた国」と紹介している。そ

          映画 戦場記者 kinocinema みなとみらい

          自己紹介 ~20歳代

          1985年4月 株式会社大沢商会入社 こんな面白い会社はあるのか!というくらい楽しい会社だった。 スポーツ用品を扱っているだけあって、大学の体育会出身者が大勢いる、所謂「体育会系」の会社であった。高校からラグビーをやっていた私にとってはなじみやすい環境であった。怒るときは怒る、めちゃくちゃ怒られる。けれど、尾を引かない。厳しくうるさい人ほど面倒見がよい。先輩風を吹かすのと面倒見がよいのがSETであった。配属はゴルフ部。当然だが商品のゴルフクラブは右利き用が大半。私は左利き(

          はじめまして 自己紹介です

          生まれ~学生時代 生まれは横浜市旭区。子供のころの自宅近辺は相当な郊外で田んぼあり原っぱあり里山ありで毎日真っ黒けになって遊んでおりました。地元の横浜市立万騎が原中学から法政大学第二高校へ進学。部活はラグビー部に入部しました。TV(TVK:TV神奈川)で大学ラグビーを見て体力が有り余っていた私にはとても魅力的なものに見えたのです。ま、見るのとやるのでは大違いで入部直後から地獄を見ることになりました。筋肉痛で靴下がはけなかったり駅の階段が降りれなかったり。練習にも慣れ、レギュ

          はじめまして 自己紹介です