見出し画像

自己紹介 ~現在

会社との相性は相変わらずだが、仕事との相性はとてもよかった。就業規則に、法に反しているところを見つけては労組と折衝を繰り返す。判例や発令を探し出し交渉し説得する。労組に不利な改定にはプラスの改定と抱き合わせで提案した。営業職の長時間労働ではみなし労働をフレックスタイム制に変換した。労働時間の是正には3つの方法がある。働き方の効率化、仕事量の調整。そしてもう一つは、アイドルタイムを労働時間からはずすことだ。営業職の休日労働などはその典型で休みの日、売り場でキャンペーンがあるときなどは開店前に行って店長にあいさつする。そして閉店後に売り場に行って店長にあいさつと後片付け。開店から閉店の間は、今日やるべきことではないけれど、労働時間という事で会社に行ってなにかしらやっている。フレックスを導入することによりこの”無断な時間”は休憩時間として処理していいこととした。このように労働実態と勤怠管理を一致させることで無駄な労働時間が減っていく。そのほか同一労働同一賃金、高齢者活用などを行った。たとえ評価にはならなくても、社労士としての矜持があった。社労士であることが誇りであり、私の支えとなった。社労士の名に懸けていい制度を作り、いい会社にしたいと心から思っていた。

50歳代半ばになり定年後の姿を考える事が多くなった。この会社で65歳まで再雇用で働くよりも60歳で退職して社労士事務所を開業しようと思うようになった。リスクは大きいが、それが悔いのない人生だと思ったからだ。開業のことを色々と調べてみる。顧問報酬は顧問先の規模にもよるが、1件当たり2-3万円が相場とのこと。数をこなさないと売り上げが作れない。体調面に不安のある私には有利な話ではない。客単価を上げるいい方法はないのか?そうだ、勘と経験に理論を付け足して話ができるようになろう。そう考えた私は56歳の春、大学院の門をたたいた。コンサルタント業務を充実させることで差別化を図ろうという魂胆だ。仕事をなんとか定時に終え、地下鉄に飛び乗る。コンビニでパンを買って缶コーヒーで流し込むようにして腹ごしらえをし18:30からの授業に備える。事業終了は22:10。そこから帰宅すると11:30を超えた。授業のない日は帰宅後予習、復習を行いレポートを書く。透析にもPCを持ち込み勉強した。大学院生活は体力的・精神的に過酷だった。しかし、やめとけばよかったとは思わなかった。新たな知見が身につき、同じ境遇の同窓の面々と仲良くなった。2年になり修士論文に立ち向かった。担当の教授からは厳しい指導が続いた。まさに叱咤激励であった。正月返上で何とか書き上げた。大学院で得たものは、学位と知識だけではない。論理的思考や批判的な思考が身についた。論文や学術的な本を読む習慣がついた。

2022年10月60歳となった私は20年勤めた会社を退職した。結局サラリーマン生活は係長で終わり、大成しなかった。後悔はいくつかあるが、それはもう終わったこと。
2023年元旦。もう一度前を向いて開業社労士として頑張ろうと決意を新たにした。サービスメニューはコンサルを中心に組み立てた。「お客様といい出会いがありますように」と初詣でお願いした。1月3日(大安)、税務署に行き開業届と青色申告を提出した。新しい人生の始まりだ。ワクワクしている。
しかし、実は不安の方が何倍も大きい。ま、それも含めて楽しもうと思っている。

自己紹介のつもりが、半生記の様になってしまった。全部読んでくれた方、ありがとうございました。今後共よろしくお願いします。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?