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はじめまして 自己紹介です

生まれ~学生時代

生まれは横浜市旭区。子供のころの自宅近辺は相当な郊外で田んぼあり原っぱあり里山ありで毎日真っ黒けになって遊んでおりました。地元の横浜市立万騎が原中学から法政大学第二高校へ進学。部活はラグビー部に入部しました。TV(TVK:TV神奈川)で大学ラグビーを見て体力が有り余っていた私にはとても魅力的なものに見えたのです。ま、見るのとやるのでは大違いで入部直後から地獄を見ることになりました。筋肉痛で靴下がはけなかったり駅の階段が降りれなかったり。練習にも慣れ、レギュラーポジションを取って学年リーダーとして時期キャプテンを嘱望されていた2年生の6月に悲劇が訪れます。練習中に足首を骨折し接骨院で治療を受け松葉づえをついて帰宅した私を見て、「学校から何の連絡もない!!」と母が激怒。大事な息子(私のことです)を預けているのに怪我をさせて何の連絡もないとはどー言う事!!と激怒。高校生の部活ですから親の協力・理解がないと成り立ちません。で、あえなく退部。今でこそ子を持つ親の気持ちが少しはわかるようになりましたが、当時は「理不尽な理由で辞めさせられた」と思っており、ちょっと親を恨んだりもしました。その後、クラブチームを見つけラグビーは続けることとなり、ドクターストップがかかる34歳まで現役を続けることとなります。(この話は後ほど)

大学はそのままエスカレータで経営学部に進学。今と違っておおらかな学生時代でした。授業は代返有り、休講になると即雀荘、バイトはいろいろやりました。ガテン系がメインで建築現場の解体屋や建築資材の運送、魚市場の仲買でネコ引き(荷車のことです)、そのほかウエイターにバーテンなど。就活は大学4年の夏からで、紆余曲折があって株式会社大沢商会にお世話になることになります。この会社、私が大学3年の2月に負債総額史上第3位で倒産しております。しかし、人材と商材に見込み有りと思ったセゾングループ(当時は西武流通グループと呼んでいました)の堤清治氏が管財人となり会社再建の道をたどることになります。つまり、そこに魅力を感じたのです。つぶれた会社を再建して東証1部に再上場しウハウハな生活を送ってやろう、という魂胆です。当時で創業94年の会社でしたが、ベンチャー精神にも似た心持で入社を決めました。
(つづく)

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