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映画 戦場記者 kinocinema みなとみらい

内容に触れないように書くのがマナーというものなんだろうが、今回は気にしないで書く。内容が分かったところでどってことないくらい映像がリアルだからである。戦場記者の須賀川氏がパレスチナのガザ地区、アフガニスタンの「橋の下地獄」、ウクライナのチェルノブイリを訪れる。衝撃的な映像とともに荒れ果てた戦地に住み、争いの被害者となった住人にインタビューを試みていく。

アフガニスタンは米軍が撤収しタリバン政権となってから世界各国が経済制裁を行って「世界から見捨てられた国」と紹介している。そのアフガニスタンでさらに見捨てられた人たちが「橋の下」で生活している。
映像では普通「匂い」は伝わってこない。どんなにおいしそうな食べ物を見てもだ。しかし、この橋の下の映像からは見事に悪臭が伝わってくる。須賀川氏の表情、生活排水の流れ込んだ黒い川の水、薄汚れた衣服を身にまとい、麻薬漬けになって微動だにしない人々、死体か中毒者かの判別も出来ない世界。

だが、この映画の主役は戦場に住む人々ではない。須賀川氏である。
自らの仕事を偽善でないかと悩みを吐露する場面が印象的だ。戦場に行きたいのではなく、戦地で生活する人々に会いたいのだ、その声を届けていきたいと願っているが、自分は「仕事」が終われば住処であるロンドンで家族とともに平和な暮らしに戻っていく。そして、自分の仕事で戦争が終わったり彼らが苦しみから解放されるわけではないと自嘲気味に話す。自分の仕事は情報を発信することでしかなく、NGOなど現地で解決に向けて汗をかく人との橋渡しになれば、と話す場面がこの映画で伝えたいことことなのかと思った。

「助けてあげたい、でも自分では何もできない」戦地に赴く記者も又、被写体が強烈であるせいもあると思うが、自分と同じようなことを思っているのだなと感じた。


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