zwischen9860

哲学(実存主義)、クラシック音楽鑑賞(後期ロマン派以降)が好きな若輩社会人。日常的備忘…

zwischen9860

哲学(実存主義)、クラシック音楽鑑賞(後期ロマン派以降)が好きな若輩社会人。日常的備忘録。

最近の記事

家電量販店のような本屋

 近頃、本を売り物にしない本屋が増えている。無論これは主観的な感想であり、改めて統計を取った訳でもないから、私の妄言ということもある。ただ、売り場の半分以上が本以外を販売している状況を目にしたときには、流石に胸がざわついた。あぁ、紙媒体離れがここまで進んだのか、と。  しかし、考えてみれば本離れが進んだわけではなく、本屋離れが進んだわけであって、その責任は何も読者にある訳ではない。本屋と一括りにするのは暴論だが、大手の書店に関して言えば、ジャンルを網羅しきれていない弱点があ

    • 「~過ぎるとは何か」

      「凄過ぎる」    私はこの慣用表現がキライである。今はそうでも無いが、つい昨年までは、聞くと若干の怒りを覚えたほどである。    語弊を恐れずに言えば、知能指数の低い言葉に感じるのだ。それに人間に感受を超える意味での過剰はそもそも認識出来ないはずである(認知心理学の専門家ではないので、そう思い込んでいるが)。そして、この表現は使い捨ての単語であり、創出の観念がない。そこが気に食わないのである。     このフレーズが世の中に蔓延るようになってから、何年くらい経ったのだ

      • 温泉街の朝

         旅先の古旅館から一歩、アスファルトの側道へ足を進める。下駄の乾いた音色と冷えた空気が特別感を演出する。ビンテージ調に細工された小川の欄干も、自動販売機も全てが新鮮に感じ、創作意欲を掻き立てる。風呂桶を片手に上気な紳士も、通りすがりのつがいも全てが愛おしく見えてくる。それはこの土地にしがらみがないから、生じる感情だろう。  旅とは、その土地に縁がないからこそ、その非日常感が全ての感情を上回る。それは出張や帰省とは本質的に大きく異なる。そして、旅は同じ土地に2度目以降、訪れる

        • 「安眠枕とローカルマナー」

           実存主義や厭世主義という言葉が、一般受けしない時代になってから一体何年が経ったのだろうか。もっとも私は歴史の生き証人でもないし、肩書きのあるプロの評論家ではない。生と死の区別がつかない、自意識過剰な社会人一年生である。そして、世の中は「哲学」という言葉を、偉人の生きる「道」として有難く頂戴する思潮で充ち溢れている。もっとも「哲学」なぞ、必要なヒトにだけ効果のある処方箋としての役割が似合っているのかも知れない。私も所謂人生の転機を迎えるまでは、哲学に見向きもしなかったのだ、他

        家電量販店のような本屋

          いつか、とは悪なのか

          「いつか、とは悪なのか」  今般、とあるジャンルのアーティストが、SNS上で一ファンの「行けないけど、応援しています」とのリプにお気持ち表明して物議を醸した事案があった(アーティストのSNS活用方法については、色々と申したいことがあるが、ここでは置いておこう)。この件に限らず、SNS上でのファンと発信者の距離の近さには眺めていて、疑問を感じることが少なくない。もっとも誹謗中傷やストーカー行為は、犯罪行為なのでもってのほかであるが、或る意味で、無法地帯のプラットフォームである

          いつか、とは悪なのか

          三題噺「付き合う、ほんの一部、モアイ像」

           潮と埃が混じった午前7時の重く気だるげな空気。レース越しにウミネコが屋根上で朝のルーティーンをこなす。晴れの平日はいつだって開放的な始まりである。しかし、終わり良ければ全て良し、とは万事上手くいかないものである。  遅い夏の訪れと共に、人々も恋仲や交流的になるのは如何ともし難い、社会的動物の宿命であるのかもしれない。ティファールから湯気と電子音が産まれ、ティーカップに口づけると僕の朝は始動する。遅い春に身を焦がす予感があった。いつだって出来事は刹那であり突然だ。 「付き

          三題噺「付き合う、ほんの一部、モアイ像」

          神聖不可侵のもの

           「ねぇ、一緒に死なない?」  そんな台詞で始まった私達の関係は、お互いに居心地が良く、適度な干渉と刺激に富んだ日常を二人に提供していたと、思う。しかし、始まりの言葉を私は何処か冗談と思っていたのだ。まさか、彼が本当に首を括るとは考えてもみなかった。私自身が思春期に閉鎖病棟へと連れ込まれたその経験が悪く出たのだろうか。もっとも他人の一生に責任を持てるほど、厚顔無恥な人物ではないと自己評価している。しかし、この奇妙な浮遊感は何であろう。  カラカラに晴れた新天地の青空の下、夏

          神聖不可侵のもの

          春を生き急ぐ

          「春を生き急ぐ」  友人の死を知ってから早半年。辺境というには些か歓楽な街へと引っ越して早三ヶ月が経とうとしている。雪解けと共に精神的な蟠りも解消されるかと思ったが、つくづく自分は生きにくい人物らしい。もっともその肩身の狭さこそ、哲学的思考を生み出す母体であるのだ。  音楽鑑賞に明け暮れた大学生活を懐かしくも感じつつ、その習慣を手放したくないという小市民的な生き急ぎが自分の身体をむしばむ。そこまで生き急ぐ必要は何もないのだ。仕事に精を出す、といういかにも自分が有能と思い込

          春を生き急ぐ