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家電量販店のような本屋


 近頃、本を売り物にしない本屋が増えている。無論これは主観的な感想であり、改めて統計を取った訳でもないから、私の妄言ということもある。ただ、売り場の半分以上が本以外を販売している状況を目にしたときには、流石に胸がざわついた。あぁ、紙媒体離れがここまで進んだのか、と。


 しかし、考えてみれば本離れが進んだわけではなく、本屋離れが進んだわけであって、その責任は何も読者にある訳ではない。本屋と一括りにするのは暴論だが、大手の書店に関して言えば、ジャンルを網羅しきれていない弱点がある。どの分野に強みがあるのか、明瞭でないことも多かった。そして網羅することは必ずしも利益に直結しない。参考書、週刊誌などはどの書店にもあるだろうが、これこそ本屋離れの原因だと私は思う。


 翻って町の小さな本屋はどうか。行きつけだらけの喫茶のような書店になっているだろうか、はたまた骨董品専門の古本屋となっているのか。家電量販店のような本屋が果たして長生きできるのか、私は疑問に思う。


 本屋の本業忘れはヒトの人生に当てはめて考えることも出来る。自身のライフワークを明確にしているだろうか。あるいは、明確にしないことに意義を見出しているだろうか、仕事とライフワークを同一視する価値観も世の中の大勢である。


 しかし、一生は商売ではない。損得勘定で動くことを否定するワケではないが、自分の価値観を改めて、見直し続けながら生きて死にたい、と思った次第である。擬態は自身の精神的寿命を確実に縮めるのだ。

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