いつか、とは悪なのか

「いつか、とは悪なのか」

 今般、とあるジャンルのアーティストが、SNS上で一ファンの「行けないけど、応援しています」とのリプにお気持ち表明して物議を醸した事案があった(アーティストのSNS活用方法については、色々と申したいことがあるが、ここでは置いておこう)。この件に限らず、SNS上でのファンと発信者の距離の近さには眺めていて、疑問を感じることが少なくない。もっとも誹謗中傷やストーカー行為は、犯罪行為なのでもってのほかであるが、或る意味で、無法地帯のプラットフォームであるSNS上での理想的なリテラシーとは存在するのだろうか。
 
 先程の例を挙げれば、当の行けないファンのリプには、意地の悪い見方をすれば、「(席も埋められないし、お金も払わないけど)頑張って下さい」という括弧付きの文言が隠されている。これはプロの奏者に対し、あまりにも辛辣な応援の仕方であろう。この件に関しては、行けないけど応援する仕組み(例:有料制ファンサイトやクラウドファンディング等)を用意出来なかった奏者側(あるいは運営)に難があると言える。また、その仕組みがありながら、リプを送ったファンに対し周知が出来ていなかったという点においても改善の余地はあるだろう。ただ、これは別件だが、規模が大きくは無い当業界において、運営も積極的な販促活動は行っていないようにも見受ける(もっともその点に魅力を感じ、入り浸るファン層も一定数いる)。
 
 しかし、「いつか」行くという一素人の感想を一々目にしなければならないアーティストも気の毒である。「いつか行きたい」という言葉には「今は行きたくない」、あるいは「今は優先順位が高くない」という深層心理が見え隠れする。当のファンに悪気が無くとも、―より質が悪いが―、「行けたら行く」という悪名高いフレーズを、人生を賭けた芸術家に送っていることになる。無論、その感情自体は、全く正常なことであり、一愛好家としては当然の心情だとおもう。しかし、分別を弁えず、垣根を超えて当人に伝える行為は無思慮にも程がある、と言えるだろう。ただ、ファンとは熱狂的な信者の意であるから、元来厄介オタクを指す、と考えれば不思議はないのかもしれない。だが、そのフレーズを当人に悪気無くリプを飛ばす無思慮な人物が、陰ながらの形で応援しているとは考えにくいのだ。もっともヒトは意外性の塊であるから、自分の考えが穿ち過ぎということもあるが。

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