"障害者"の私
私は健常者かそうでないかと言われたら、そうでない方だ。
それに定型発達かと聞かれても、そうでない方だ。
(私の診断名が気になる方はこちら👉 https://note.com/zurs/n/n76d17cf9125f)
今まで「”障害者”としての私」については、怖くて文字や声に出せないでいた。考えることが、いやだったから。
だけど今日はふと、書き起こしてみたくなった。
良く「私ってたぶんADHDだから~」とかいう声を耳にする。
それはあまり気分が良くない。
なぜって、私は診断を受けている身だから、何となくバカにされている気分になるんだと思う。
私が思うに、障害者とそうでない人の区別って、日常生活に支障をきたしていると自分が感じるか否かだと思う。
私は大いに支障をきたしている方の人だ。
正直、『自分が「障害」をもっていなければ』『”ふつう”を経験してみたい』『夢が叶うなら健常者になりたい』そんなふうに思ったことは何度だってある。
ふと、支援員として働いていた時、担当の利用者さんのことを考えていて、「この人に障害がなければ、どんな風なんだろう」と思った。(良くないことかもしれないけれど)
でもその時に出た答えは『”このまま”じゃない利用者さんは、きっと”まったくの別人”だ。』と思った。
だからきっと、自分も障害がなくなったら、きっとまったくの別人になるんだろう。
今いる周りの家族との関係性だって、頼りにしている友人が誰かだって、今している仕事だって、きっと全部変わってくる。
ハリーポッターの『呪いの子』みたいに、今の私からしたら最悪な、『ヴォルデモートが猛威を振るう世界』になるかもしれない。
だったら私は、このままでも良い。
むしろそんな世界が来るのが怖い。
そう思える日はまだまだ短いけれど、これが「ずっと」になっていく未来を願って、日々必死に駆け抜けている。
いつの日か昔母に言われた。
『悪いところしかない人なんていない』
『良いところがない人間なんていないのだから』『貴方は人の良いところを見つけられる人になりなさい』
その通りだと思う。
私は今も、そうあろうと生きている。
ちなみに私は今はまだ服薬がなければ生きていくのが難しい。
でもそんなの、生理が重い人が生理痛の薬を飲んで普通に生活ができたり、うちの糖尿病のおばあちゃんが薬を飲んで普通に生活ができていることと何ら変わらないんじゃないか、と思うようにしている。
何が言いたいかって、
”障害者”だってみんなと、あなたと同じように、誰かと手を取り合って『生きて』いる。
あなたのとなりで『生きて』いる。
プロフィール
zurs(ざうるす)
セクシャルマイノリティ、発達障害(ASD/ADHD)、統合失調感情障害の当事者。
理系四年制大学を卒業後、就労移行支援・就労定着支援の支援員として従事。
現在は思春期精神科にて医療ソーシャルワーカーとしてカウンセリング業務などを行う傍らで、四年制大学に編入し心理学を学ぶ。
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セクマイカップル👭
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