植木湯水
【原稿用紙一枚】で完結する、さくっと読める話をまとめました。
キャンディの甘さは、一目惚れの味に似ている。 キャンディを口に含んだ瞬間、後頭部に向かってサーッと電撃が走り、ざらりとした舌触りに甘ずっぱさが口いっぱいに広がって、身体が喜んでいるのかそれとも拒絶しているのかなんだかわけがわからず悶々としているあの感じ。それから後頭部に走った電気で脳がショートしたのか、口のなかの穴という穴からじゅわわっと泡があふれてきて、その場にふらふらっと卒倒しそうなところで危うく壁にもたれて 「なんだったんだありゃ…」 と呼吸をととのえているうちに
これまでたくさんの約束をしてきたはずなのに、思い出そうとしてもひとつも思い出せない。相手の方も忘れているのか、期限が切れているのか、意識しなくてもいいくらい自然に守っているのか、そうか、もしかすると知らないうちに約束を破っていて小さな罰を受け続けているのかもしれない、針を一本ずつ飲んでいくような苦しみを、じわりじわりと。針千本をいっぺんに飲ますなんて、確かに誰も言ってない。 いつからか「約束」という言葉を聞かなくなった。言われなくてもわかってるな、という顔をされてなんとなくそ
話が合うんじゃなくて合わせてるんだよ、お互にね。でもそんな関係が十年も続いたら、合わせる気なんかなくても自然と寄っていくものらしい。曇り空が月を隠していく十五夜に、ぼくらは腹を空かせてドライブをしていた。 「まだ何も食べてないんだよね」 「あーおれも」 「じゃあ最初に通りかかった人間の生き血でもいただくか」 「ははっそりゃいいね」 「お金もかからないし」 「にしても人間が全然通らないね」 「避難命令が出てるんじゃないか」 「吸血鬼がうろついてるってか」 「生き血は諦めるか」
わざわざ心を開こうとしなくても、いつだって心からは何かが漏れ出している。5mmくらいの小さな穴が空いていて、そこからストローでちゅうちゅう吸われているみたいな、放心。中にあった水分がぜんぶ吸い尽くされて、ズズズズと軋むような音を立てている。本音を訊かれても、自分にもわかっていないんだから、申し訳ないんだけど、ただ、ズズズズが本音だったらいやだなとは思う。 たまにはきれいな水にひたして心をうるおわせてやりたいと、探し回ってみたが存外に見つからないものだ。身体をぱっくり割って、そ
口先ばっかりなんて言われちゃいるが、口を動かすだけでこれまで生きてこれたなら、たいしたものだ。くちを動かしてできることといったら、食事とおしゃべりとキスくらいなものだ。確かにそれらが満足にできれば口一つで生きていけないこともないな、っていうかものすごいQOLが高そうだ。 「口ばっかり言ってないで少しは手伝え」なんて叱られているようじゃまだまだ口先だけの人間にはほど遠い。余計な口を出してはいけない、やさしい言葉も時と場合によるのだと、口先人間は心得ている。口、口、口、と口を三つ
「おかわりあるよ」 おばあちゃん家(父の実家をそう呼んでいた)で食事をするたびに、おじいちゃんは、ご飯のおかわりを促した。他にも、酢の物だの、佃煮だの、バナナだの仰山あった。戦前の生まれで食べ物のなかった時代に青春を送っていたからか、腹いっぱい食わせたら喜んでくれると思っているのだろう。 「これ食いんさい」といちいち勧めてくるたびに、私はあああと叫びたくなった。いらん、というと悲しい顔をされるので、ご飯を片側に寄せて大盛りに見せかけたり、横を向いてバナナを食っている
アドバイスをされるのが苦手だった。 まだ挑戦をしてもいないうちから 「こうした方がいいよ」 と、注文をつけてくる自称経験者に、うんざりしていた。 自分で挑戦をしてみて、自分がこれだと思った方法を試して、自分で失敗がしたい。あなたの手柄にはしたくない。 抜けきらない自己中心性。アドバイスが苦であることの根っこある、不純なもの。 教員になりたての頃、先輩の先生から、アドバイスを貰った。 「教室のルールは決めておいた方がいいよ。私語禁止、とか」 ふん、ルー
一歩踏み出した先に、もっと大きな障害が待ち受けていて、そこで尻込み、挫ける、という経験を幾度も繰り返してきた。もう一歩が踏み出せない。障害は大きくなくともよい。ただ、なだらかな道を歩き続けることの難しさ。 「お前は文章の才能がある」 そう言ってくれた先輩がいる。嬉しくって、三年は無為に過ごせると思った。 三年が過ぎた。よし何か一つ、世間をあっと驚かせるようなことを書こう、そう思い立って、インターネットの世界を見渡した。すると、とんでもない量の人間がいて、これまた
手書きの文章と、キーボードで入力した文章とでは、筆の(あるいはキーの)運びが違ってくる。それはリズムであったり、呼吸の違いだったりする。人によっても違うだろうが、私の場合、キーボードで打つ方がペンで書くよりも圧倒的に速い。 思考の速度は、キーボードに適しているか、ペンに適しているか? これが問題である。 いったいなにを基準にしたらよいだろうか。ペンの感触、キーボードの手触り。また、書き手の言語観によっても、適切な入力装置は変わってくるだろう。つまり、思考を写し取
どうも、シンガーソングライターを目指しているずーみんです。ギターを始めてから一月が経過したので、振り返ってみたいと思います。 (私がなぜシンガーソングライターを志したかという経緯を知りたい方は、「自己紹介」をご覧ください。) 一週間目フォーク・クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」の練習から始めました。古い曲ですが、映画『この世界の片隅に』の主題歌にもなっています。明日がやって来るのか恐ろしかった退職前、この歌を念仏のように口ずさんでいました。 Cコード、Gコード、Fコ
どうも、ニート歴一ヶ月半のずーみんと申します。ニートをしていると、とかく自己評価が低くなりがちです。 現実から逃げてネットに走ると、「評価」からも逃れられるかというと、そうではありません。ネットこそ、厳しい評価に晒される場なのです。YouTubeの高評価、Twitterのいいね、noteのスキ。どこへ行っても比べられてしまいます。 私たちは、この「評価」とどのように付き合っていけばいいのでしょうか。意外と誰も教えてくれません。必修科目になってもおかしくないくらいですが、ま
昔、男ありけり。 『伊勢物語』の代名詞とも言える冒頭の一行。ある時、この一文を目にした俺は感動に打ち震え、泣いた。昔もこんな「男」がいたのか、と。こんな「男」が存在してもいいのか、と。 「ゆらのとをわたる舟人かぢをたえ行方も知らぬ恋の道かな」(百人一首)よろしく、恋の盲目にたゆたっていた俺は、この「男」に生涯の伴侶を見いだしたのである。「伴侶」というよりも千年来、いやもっともっと遠い昔から続く「男」の業(ごう)といった方がいいようなものを、俺の中に発見したのである。三
吾輩は、シンガーソングライターを目指している27歳ニートである。未来のシンガーソングライターとして、ライバルの曲を取り上げるのは大変心苦しいのだが、あまりにも素晴らしいので紹介したい。 とりあえず、聞いてみてほしい。とくに、暮れ方に聴くと最高だ。 (サビ) ほら もう君に会いたくて 恋しくてこのまま 走り始めたスタート地点に戻って 後ろ姿の君を見るだけでもいいのさ 愛してる人の後ろ姿に また恋するのさ ベイベー 俺は、この曲を聞くとこれまで好きだった女性の姿がよみがえっ
好きな動画を見たかったはずなのに、なんとなくおすすめされる動画を再生しているうちに、いつの間にかクソどうでもいい動画にかじりついていた。 な、なにを言ってるかわからねーと思うが、俺も何をされたかわからなかった・・・。だが、そんな片鱗を味わったことのある人は、俺だけじゃないはず。 結局、スマホを閉じたときに残るのは、 むなしさ これだけ。あとには何も残らない。 1.どうしてこうなってしまうのかすこし角度を変えて考えてみよう。 たとえば人気の動画を見ていると、おもしろ
吾輩はニートである。 ところで、人間は自分のことを誇らしく思いたい生き物である。 ニートも人間である。 ゆえにニートも自分のことを誇らしく思いたい。(ニート三段論法) そうなのだ、ニートだって誇りをもちたいのである。 だから今日は、ニートの存在理由について考える。 ニートの存在理由を考えるにあたって、ある童話を用意した。それは「蟻とキリギリス」を書き換えたものである。 題して、「蟻とキングオブキリギリス」 ***************************
追記 2022年9月10日 二年前は色々あってニートでした。今も似たようなものですが、週に数回ペースで、自宅で塾をしています(同じ団地の子が来ます)。 ギターはやめてしまいました。長続きしませんでした。 私はものを考えたり書いたりするのが好きです。それでも長い文章を書こうとするとものすごい時間と労力がかかってしまいます。 なので最近は、原稿用紙一枚(400字)におさまるように書くという縛りをもうけてペンを握っています。心が落ち着きますし、案外悪くない(?)ものができて、これ