見出し画像

1126杯目:パリ・オリンピック直前のニュースで『成人』について考えてみた

いよいよパリ・オリンピックが直前に迫ってきた。
そんな時に、未成年の日本女子体操選手の、喫煙や飲酒行為によりパリ・オリンピックの出場を辞退したというビックリなニュースが流れてきた。
その選手は19歳と未成年にも関わらず、喫煙や飲酒をしているという内部告発により発覚して、本人に確認したところ事実ということを認めたため今回の対応になったとのこと。

これに対して、処置が厳しいとか、違法行為をしたんだから当然だと意見が真っ二つに分かれている。
処置が厳しいという意見の理由の一つに、まだ19歳の将来ある若者なのだから…というものがある。

自分が子供の頃はというより最近まで『20歳になったら成人』だった。
自分が子供の頃に教えてもらった成人とは、身体も考え方も成長して一人前の人間になるのが20歳。
そこからが成人であり大人になるということだった。
だから20歳からは親の同意なしでクレジットカードが作れたり、10年有効なパスポートが取得できたり、社会人としての責任も重くなった。

しかし、2年前の4月からは成人の年齢が20歳から18歳に引き下げられた。
その時に自分が感じたのは、今の人って昔の人に比べて、身体の成長は早いけど精神年齢は幼いように感じていたので、社会的責任という意味で18歳に引き下げて大丈夫なの?だった。
これはあくまでも自分の勝手な私感でありますがそう思いましたf^_^;)
簡単に言っちゃうと、身体はクリアしているけど心はクリアしてないんじゃないの?

しかし、その変更は、成人年齢は20歳から18歳に下げられたけど、喫煙や飲酒に関して引き下げられることなく20歳のままだった。
この時点で、自分が子供の頃に教えられた、心も身体も成長したから成人(大人)になるということと矛盾が生じた、違和感を感じた。

子供の頃に教えられた定義で言うと、それなら成人(大人)は20歳のままで良いんじゃないの?ってことになる。
じゃなかったら、喫煙も飲酒も18歳から可。
そこが、大人の都合による変更の表れなのではないかと思った。

グーグル先生に『成人』とは?と聞いてみると、次のような一文がある。
18歳へ引き下げの背景は…
公職選挙法の選挙権年齢や、憲法改正国民投票の投票権年齢などが、18歳と定められたことがあります。

そう、自分達が子供の頃に習った成人の定義を無視した大人の都合での変更だったのです。
だから社会的責任は18歳に引き下げるけど、飲酒や喫煙は20歳のままという捩れを生んで、それだったら成人とはなんぞや?という疑問が生まれてきてしまうのです。

前述のニュースの意見も、以前なら20歳になっていないんだからダメだろう!が大半を占めるようなことでも、まだ19歳なんだから厳しすぎるんじゃないか?本人に反省文でも書いてもらって、出場させてあげても良いのではないか?という意見が出るのは、大人の都合によって決められた捩れが原因なのではないかと思ったりしています。

もちろん法律上ダメなんだからというのはあるけど、自分は何となくモヤモヤ感が残る今回のニュースでした。

昔から重く受け止められてきた『成人』というのが、現代は大人の都合により軽く扱われているように思うのは自分だけでしょうか?

#成人 #出場辞退 #オリンピック #喫煙 #飲酒 #18歳 #20歳 #大人 #矛盾 #違和感 #捩れ #コラム #エッセイ #日記 #note


貴重なお時間の中、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 駄文ながら一生懸命書かせていただいていますので、またいらしてください。