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離島に住むトランスジェンダーである俺の話。5分だけでもいいから読め。


この記事を見つけてくれてありがとう✨

改めて、あえて今、

LGBTQ当事者としての部分での俺の話を書こうと思う。


LGBTQとは何か、トランスジェンダーとは何か、🏳️‍🌈🏳️‍⚧️それはもう既に君の知識にあることを前提として書く。(さすがにこの令和という時代で意味すら分かってないのはヤバいよ?)

というのも、LGBTQ理解増進法。

性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進|政策統括官(政策調整担当) - 内閣府
性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進|政策統括官(政策調整担当) - 内閣府
が成立してから、ニュースとしてやたら公共トイレの利用問題などについて色々と取り沙汰されているようだが、てんで的を得ない議論ばかりを見る羽目になってることに、当事者として嫌気がさしてきたからだ。


ここ先に断っておくが俺はライターではない。文字書きのプロではないということは理解されたい。



結論として個人的にもっとも言いたいことは、当たり前だが俺自身は相手側がどのような性別であれ、身内以外の他人の前で自主的に服を脱ぐ事はないということと、友人知人であれ、一緒に同じトイレに同じタイミングで行く事はないということ。

俺は昔(学生時代)から、『一緒にトイレ行こう〜♪』という特に女子時代に経験した謎の連れション文化が嫌いだ。話したいならトイレじゃなくて良くないか?トイレでひっそりするような話になんか別に興味など無いと思っていた。

これは、トランスジェンダーではあるがノンホル、ノンオペであることを選んでる俺だからこそ、というとこかも知れない。が、当事者も、当事者でない方も双方が無駄に傷付かない為の配慮はしているつもりだし、そうするのが普通だと俺は思っていた。

改めて法律の中身、原文をみて考えるのは、日本語を35年以上は当然のように使っている俺でも
『結局、どういうこと?』と、まるで掴めない中身だということと、着目すべきは、あくまでここでいう不当な差別とは何かについて、明確には何も示されていないという事実だ。

これでは、差別になるとも知らずに差別発言をする人が後を絶たないわけだ。

当事者達においては、やはり自分達が生きていく上での大事な部分の話であるのだから、注意してニュースも見ていることだろう。

だが、当事者が頑張って理解しようと努力しても、理解に苦しむのに、どうやってマジョリティに伝わるというのだろうか。
理解増進とはなんぞや?と。

そもそも、こんな風に、漢字仮名交じり文の超メンドクサイ級の事案を、頑張って読み込もうとする勤勉な人は少ない。

しょせんは、ひとごと(他人事)のように思いたくなる。無理もない。

俺でも脳みそが拒絶しかけるのだからな。

もしも読んでる君がお役場関連だったり、企業トップだったり、人事担当だったり、人権啓発に関わることをしているのなら、一当事者の意見を読むのも仕事だと思って長文に付き合って頂きたい。

さて、本題だ。

なぜ、ここにきてトランスジェンダー当事者の公共トイレ等の利用方法についての正当な理由における問題と、故意な性犯罪目的で性別を偽る人がいるだとかいう問題のすり替え、論点ズレが起きたのだろう。
犯罪は犯罪であるし、それを犯すのであれば、そこはもうセクシュアリティやジェンダーアイデンティティとかいう枠組みの問題ではなく、人間としての問題だ。

これに対して、そう無駄に怯えている人達は、当事者本人達の純粋なそれぞれの意見を知らず、知る機会も無く、憶測や妄想でものをいっているのでは?と。また、そういった盲目的、排他的な意見を持つ者達の多さに呆れている。というのが正直な俺の意見だ。
反対に、当事者だから、だからなんなのだ?それは非当事者をわざわざ余計に困らす理由にはならない。と、常に己に問いかける必要もあるだろう。

双方、互いの心情に近付こうとするなれば、パッと見が男性にも関わらず女性用トイレに行くことは双方にメリットがないし、逆も然りであると理解出来るだろう。

ここまで読んでさらに知識として、俺の意見を垣間見ようとする人がもし居るならば、ぜひともその読解力を誇って欲しい。

人は自分の興味関心事でない限り、自主的にモノゴトを深ぼって考えようなどとはしない。
そういうものだと思う。無論、俺自身もそうだからだ。

だからこそ、この法律が出来たからといって、自分から自分をどういう人間だからこうして欲しいと伝える努力を、自分達がしていかなくては、伝わるものも伝わらないと強く思う。

俺は、俺をわかられたいからこそ、歩み寄ろうとしてくれる人を、先に分かろうと、先に話しかけていこうとしてきたつもりだ。

それゆえに今、改めてこんな長文を書き連ねてみてる。

これは、田舎だからどうだとか、住んでるとこが離島だからとか、都会だからどうだとかいう話でもない。

本当のとこは性別がどうだとかいう話でもない。

どんな人であれ、すこぶるメンドクサイけれど、共に考えていかなくてはならない、

これは日本の日本人としての人権課題なのだ。


きっとみんな知らないのである。
『トイレに行きたい』というたったそれだけのことに毎日悩み抜いてる人の心情など視えてないのである。それで慢性膀胱炎になったり、本当に悩みふさぎこんでしまうと、自分の命さえ投げてしまいそうな心理状態を産み出すなど、想像もついてないのである。

だからこそ、視野を大きく持つ心意気が大事になってくるのだ。

どっちのトイレに行けばいいのか?と悩むこと。
どういうことかというと、日常に生きていれば避けて通れない生理現象を前に、そこでのトイレが男女の2通りしかない場合、

パターン1  『そこでトイレに行かない』←膀胱炎事案
パターン2  『仕方ないから戸籍性の側に行く』←下手すると通報案件
パターン3  『移行しようとしてる性自認側に行く』←本人によるパス度の自信が要る

この3通りを選択しなくてはならないのだ。

むしろ環境下にあるトイレが男女共通の一つだけなら悩む必要はない。飲食店などがそのパターンだ。トイレが一つしかないことも、そういう意味では有り難いのだ。

では、ユニバーサルトイレがある場合。
堂々とそこに入っていくことも出来る。またそこ使って良いよと言ってやれることで、ストレス緩和に繋がるだろう。

俺自身はどう選んでいるのか?
鏡を見てパッと見がどっちに見えやすいのかで判断する。基本的には男性用の個室を使う。昨今、男も座りションが主流の人もいるから気にしなくなった。

ただ、月経時はユニバーサルを選ぶ。
男性用の個室には汚物入れが無いからだ。

それでもユニバーサルが無い場合は、見た目をボーイッシュガール風にして女性用に入る。そんな時もある。

あくまで俺の場合はそうしてもう悩まなくなった。自分の中でパターンが出来上がったからだ。それで何か問題が発生した事はない。

ここで当事者自身が、自分という人間を知ること、どう扱われたいのかを明確に伝えるという努力、要するに、対話(コミュニケーション)を怠らないことは、やはり大事だと思う。ただの無意味な口論(口喧嘩)と、建設的な議論との違いを知り、それを区別した上で、自分自身をプレゼン出来るくらいには自分に自信を持つこと。それさえ出来れば、性別とは別の人間力で悩まない生き方が出来るだろう。

また、当事者からカミングアウトを受けたり、知らされることがあれば、それは人として『あなたは言っても自分を傷付けない大丈夫な人』と思われているとし、『教えてくれてありがとう』と安心させるような言葉を与えて欲しい。

どんなことも、時が経てば、人は忘れる。
その時は理解した風で居ても、関心が無ければ人は忘れるのだ。

だからこそ、しつこい程に俺は、自身のセクシュアリティについて徹底して会う人会う人に話してきた。俺は、俺自身の近しい人間関係周りでは、無理解者など居ないし、俺自身も『俺なんて理解されない』といった妄想に囚われるのをやめた。わざわざ自分から悩みドツボにハマることはもう無くなった。

無知の知を知らしめたり、俺が人間関係相関図の中の1人として存在してることは、何かと勝手にセクシュアリティについて学ばせることになると思えたからだ。だからこそ、俺は堂々とこの小豆島で、この個性のまま幸せに生きてくことに決めている。

さて、長々とお付き合い頂きありがとう。
トイレ問題にしか言及してないが、この手の話は、話せばキリがないほどなので、この辺で締めておく。

要するに、

この法律以前に、セクシュアリティに関するQOLを向上させるには、想像力と勇気と自信、まだまだ当事者サイドの発信力、コミュニケーションが必須だと言いたかった。


ありがとう。
もし何か気付くものがあれば、君のこれからに活かして頂ければ幸いだ。


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