造字沼ブックス/文字の本を発掘して読みとく

文字の沼で見つけた本を読み臨書スタイルで読み解く書評ブログです。著者の行動の源泉と継続…

造字沼ブックス/文字の本を発掘して読みとく

文字の沼で見つけた本を読み臨書スタイルで読み解く書評ブログです。著者の行動の源泉と継続の心得を探ります。書体デザイン/現代の漢字改良/漢字簡略化/漢字へ美意識をゆるく読み解きます。 選書の基準①漢字書体②問題意識と解決策がある③斜め上行く解決法④独りで抱え込めない熱量。

最近の記事

目次と今後の掲載予定

漢字のアップデートしようと試行錯誤した人たちの本本ブログで取り扱う漢字改良とは、 漢字に起因する社会・生活の諸問題の解決のために、 通用している字体・字形に改変を加え、漢字を再設計する試みである。 今後の掲載予定白川初太郎「文字とことばをやさしくするために」(1980年) 岡竹山「漢字簡素化案」(1964年) 渡辺小弥太「日本国語漢文略式及英文式考案一覧表」(1964年) 白鳥鴻幹「新国字論」(1898年) 目次(公開中)前田黙鳳「東亜新字」(1904年) 竹内強

    • 番外編|舞台装置としての文字と漢字改良-弐瓶勉氏字体(前編)

      ご注意:弐瓶勉氏の作品に描かれる「文字」についての記事です。作品についての感想や考察はありません。くれぐれもご注意ください。 2020年12月、老舗の書体メーカー・イワタから「東亜重工」という書体が発売された。これは漫画家・弐瓶勉氏の作品に登場する特徴的な文字デザインを書体化したものだ。 漫画家 弐瓶勉氏の原案・監修のもと、「東亜重工有限責任事業組合」と「株式会社イワタ」が共同で開発し、国内外で多くのファンを魅了する同氏の世界観をフォント化。(株式会社イワタHPより)

      • 芸術と論理の間で1000年生きる書体をめざして…-『日本字デザイン』 佐藤敬之輔(1963年)

        先日、怖い文字の本を読んだ。 書体研究家・佐藤敬之輔氏による「文字のデザインシリーズ」全6巻である。全巻を通じて圧倒的な情報量なのだ。日本語書体をつくるために、ここまでの研究と分析、鋭い洞察力と知識が必要なものなのか。もし書体デザインを志して、最初にこの本と出会ってしまったら、その時点で挫けてしまうのではないかと思えるほどだ。 そんな佐藤氏の設計した書体の中でも、もっとも独創的でコンセプチュアルな作品「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」を今回取り上げたい。まずは提示された書体

        • 番外編|あなたの文字認識を拡張する。ドット世界の彫刻家たちー4社のドット書体を味わう。

          当連載では、漢字改良に挑んだひとりの人生をその著書を通じて書いてきたが、今回は文字自体に焦点をあてる。とりあげるのは前回に引き続きビットマップフォントだ。 前回の記事で明らかになったのは、次のような結論だ。 ビットマップフォントは何かを差し引くではなく、線を重ね合わせ、シェアすることでドットに複数の役割をもたせる。極限まで省略されているようで、実は何も省略していない。 世の中に明朝体と呼ばれる書体が複数ある。同じようにビットマップフォントもさまざまな企業からリリースされ

          アナログとデジタルの境界を越えるドット書体-林隆男「The TYPEBANK」(1985年)

          今回ご紹介するのは「書体を創るー林隆男タイプフェイス論集」(ジャストシステム、1996年)と「TheTYPEBANK」(朗文堂、1985年)だ。この書籍は、デザイナーによる書体デザインという概念を広めた林隆男氏の書体論をまとめたものだ。林氏が手掛けた書体は多いが、その中からビットマップフォントにのみ焦点あててゆく。 ★追記あり(2020.10.13)※目次のリンクをご覧ください。 当連載では、これまでに漢字改良の本ばかり紹介してきた。今回にご紹介する林隆男氏が、漢字改良を

          アナログとデジタルの境界を越えるドット書体-林隆男「The TYPEBANK」(1985年)

          正しいに抗え、 倍速で書ける漢字 - 『東亜新字』 前田黙鳳(1904年)

          明治時代は、みんなが「日本で漢字って本当に必要なのか?」という素朴な疑問に気付かされてしまった時代だ。 新しい技術や文化の襲来によって、漢字が厄介者扱いされていた時代があった。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わう連載です。今回6冊目。 およそ100年前の明治37年、「東亜新字」と名付けられた書籍が発行された。 この本は、新しい時代に必要な

          正しいに抗え、 倍速で書ける漢字 - 『東亜新字』 前田黙鳳(1904年)

          削ることで見えてきた漢字の表象 - 『簡略文字と新書体の提案展』 三宅康文(1965)

          2年前ぐらいにtwitterで「明朝体、横画がなくても読める説」が話題にあがった。約50年前、それを実際の書体として体系化しようと試みたデザイナーがいた。書体デザイナー三宅康文氏だ。(注:横画削減は簡略化エッセンスの一部です) テクノロジーの襲来によって漢字が厄介者扱いされていた時代があった。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わう連載です。今

          削ることで見えてきた漢字の表象 - 『簡略文字と新書体の提案展』 三宅康文(1965)

          漢字と化学の融合がもたらす明るい未来 - 『漢字の略字デザイン:漢字のサイエンス』 長谷川正義(1995)

          テクノロジーの襲来によって漢字が厄介者扱いされていた時代があった。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わう連載です。今回4冊目。 1995年、パソコンが一般家庭にまで普及する起爆剤となったWindows95(日本語版)が発売された年だ。日本語を書いたり、情報を扱う環境も進歩したことにより「漢字を電算機で扱えない問題」はテクノロジーによって表向き

          漢字と化学の融合がもたらす明るい未来 - 『漢字の略字デザイン:漢字のサイエンス』 長谷川正義(1995)

          漢字はもっと可愛く書ける! - 『コンピュータに使う漢字の簡略化の限界』 ミキイサム(1976?)

          現在では想像もつかないが、テクノロジーの襲来によって漢字が厄介者扱いされていた時代。未来の漢字の姿をどのようにすべきかを本気で考え、不可侵の領域である字体まで踏みこんだ人々がいた。そんな方々が残した書籍(以下、造字沼ブック)を読み、臨書し、その想いを味わうお話しです。 第三冊は、『コンピュータに使う漢字の簡略化の限界』から、ミキイサム氏のデザインした「COM書体」を紹介したい(書籍ではなく年鑑に掲載されたの2ページより引用する)。 ▲『日本タイポグラフィ年鑑 1976』P

          漢字はもっと可愛く書ける! - 『コンピュータに使う漢字の簡略化の限界』 ミキイサム(1976?)

          漢字の機械化-竹内強一郎(1958)

          相当文化が進んだ国家で、国字の変更の如きは容易ならぬ革命である 前回紹介した長野利平氏の『日本常用略字の体系』より遡ること25年。1958年に出版された1冊の書籍がある。『漢字の機械化』(1958年、竹内強一郎・著)と名付けられたこの本もまた、タイプライターに搭載するための漢字を提案したものだ。今回は造字沼本としてこの本を紹介したい。 とてもコンパクトにまとまった本である。61ページの中で、前半は課題を中心に著者の思いが語られ、35ページから終わりまでの30ページ弱で一気

          たった一人の漢字改革 - 『日本常用略字の体系』長野利平氏(1983)

          「読めないほどの汚い字には可能性がある。」 文字による情報伝達を根本から否定するようなこの言葉であるが、読める読めないの限界への挑戦と考えることもできる。「漢字のとめ・はね・はらい」を見本通りになぞっても発見できない可能性に辿り着くことができるかも知れない。歴史が示すように将来、漢字がいまと同じかたちであるとは限らない。 いまから40年以上前、将来の漢字のあるべき姿を探求したのが長野利平氏だ。今回はその著書である『日本常用略字の体系 - 21世紀の漢字』(1983年、海事プ

          たった一人の漢字改革 - 『日本常用略字の体系』長野利平氏(1983)

          はじめに

          モチベーションなんて不確かなものに頼るべきではない。 自分を機械だと思うのがいい。 明確な目標や計画があり、やるべきことが目の前にあっても、理由もなく手が進まないことはよくある。外的な要因があるわけでもなく、頭の中でタスクがぐるぐるめぐっている状態である。そんなときにこの言葉をかけられた。 彼は文字にかかわる人で、日本語のフォントをデザインしていた。 漢字をふくむ日本語フォントの作業量は膨大で、何千もの文字(ものによっては1万字以上)を用意してはじめて1つのプロダクトとし