髪の毛は少ないが欲も少ない。 こう書くと、ハゲのくせに善人ぶっていると思われるかもしれないが、欲が少ないのは善人でも何でもない。単に生命力が弱いだけだ。欲が少ないというのは、生物学的には欠点と言える。人生においても不利である。 金が欲しいとなりふり構わず努力できる人が金持ちになれる。金メダルが欲しいと常識を越えた練習に耐えられる人が金メダリストになれる。金玉をでかくするために日々鍛錬できる人がタヌキになれる。 まあ、こういう文章を書いていることから考えれば、少な
私は、便宜上、巨人ファンである。 昨夜の首位広島との一戦では、熱戦を制して、その差をひとつ縮めた。夜のニュースでそれを知り、私は、会社員であった頃の自分を思い出した。人付き合いに難のある私が、人に合わせようと懸命だった頃だ。 ある日、社長が「君は、野球はどこのファンや?」と訊いてきた。 すでに社会人として抜群のコミュニケーション能力を身につけていた(と思い込んでいた)私は、社長が巨人ファンであることも知っており、迷うことなく答えたのである。 「もちろん巨人ファ
私は、ガメラ派である。 ゴジラがシェーをすることも、空を飛ぶことも認めない。子供の頃に映画館で観て、その子供だましの演出に腹を立てたことを記憶している。 初代ゴジラの中で、「(戦死した)お父さんの所に行こうね」と死を覚悟した母子のあのリアルな演出はどこに行ったのだ。やはり、これからはガメラだな。ガメラ万歳。 だが、ガメラも次第に子供の味方というふざけた存在に落ちぶれ、私は怪獣映画から離れることとなった。 そんな私が「シン・ゴジラ」を観てきた。 実際に怪獣
昼にビーフカレーを食べた。 820円である。最近は節約生活が続いているから、なんかものすごい贅沢をしたような気分になった。肉も大きめで、安物レトルトカレーの肉のカスみたいな存在とはちがうのである。 うめーっ、と5分で平らげた。 こんな贅沢をすると、回りの目も気になるのである。 外に出た時、自販機の前に数人の兄ちゃんがたむろしていた。店から出た私をチラッと見たような気がする。ボソボソ会話しているようだが、あれは私のことを話しているのではないか。 「おっ、あの
朝から来客があった。 うーん、あのオッサンの仕事は面倒なのが多いから、クーラーは控えめでいいな。よし、30度に設定しておこう。外気温と比べれば、十分に涼しいだろう。 「ご無沙汰しております」 「やあ、相変わらず落としたコロッケも平気で食ってるのかね?」 ふと見ると、彼の手にはコンビニの袋があった。 お、スタバのシアトルラテを差し入れか。気が利くではないか。確か210円だったな。よーし、大サービスだ。28度に設定してやろう。 オッサンは1時間ほどして帰って
私は10年ほど前に腰を痛め、調子の悪い日には、ふだん素振りに使っている木刀を杖代わりにトイレまで行く男である。 たまに同じ階の別の事務所の人と出くわし、特に女性などは、ハッとして身をこわばらせ、私を凝視したりする。木刀を持ち、前屈みになって歩く爺さんが至近距離にいるのだ。仕方がないだろう。 私は面白がって、「ひと~つ、人の世の生き血をすすり」などと呟いてみせ、よけい気味悪がらせている次第である。 そんな私も、かつては通勤ランにいそしむアスリートであった。 朝
むかし読んだ本に、こんなセリフがあった。 「あの男は、強い。強すぎるほどだ。それがおのれの拠り所となっている。単に強いだけだと思えるようになればいいのだが」 強いと言うことは、もちろん素晴らしいことなのだが、それに囚われることで短所となってしまうのである。強いと言うことを意識しすぎて、自分を見失ってしまうのだ。 短所に振り回され、長所にも振り回される。人間というものは、なんともやっかいな生き物だ。 例えば、元プロ野球選手の清原和博である。 「自分は、単にボー
家の隣に公園がある。 今の季節は、セミがうるさい。特に大量発生しているクマゼミだ。子供の頃はアブラゼミが大半だったのに、今は、クマゼミがほとんどである。 もちろん、公園の隣という立地は、割れたスピーカーから「メチャンコメチャンコメッチヤンコ」などと脳天気な曲が流れる盆踊りもうるさいし、6時半になると「新しい朝がきた~」とラジオ体操の曲がかかるのもうるさい。そもそも「GANTZ」を見て以来、あの曲は不気味にしか聞こえないのである。 それでも、やっぱりクマゼミが一番
そろそろケータイを替えようかと思っている。 今度は、ミスしてはならんぞ、と私は自分に言い聞かせる。 以前、ケータイを変えたときのことだ。「機種変更代」というのが当時2,000円かかったのである。 よくわからないままに、私は、手続きを進めた。2,000円を払い込む。だが、あとになって気がついた。 変更って、SIMカードを入れ替えただけやないかいっ。しかも、ネットで買ったから、入れ替えたのは、わしじゃ。なんで、そこに機種変更代がかかるんじゃいっ。 お姉ちゃん
五十(ごと)払いという関西からはじまった商習慣がある。 5日や10日などの5の倍数の日に支払をすることで、例えば私の得意先では、月末〆の翌々5日払いとか10日払いが多い。一番金払いの良かった20日〆の翌20日払いの会社は、残念ながら倒産した。 景気のいい頃は、月に何回も入金があり、「うーむ、使っても使っても金が減らんな」などと通帳をながめたものである。「金が欲しくて仕事をしているわけではないんだがなあ」 なんと贅沢な時代であったか。 今は、まったく違う。
私は、ジジイだがパソコンは大好きだ。 たまに日本語をしゃべるのが面倒になって、「B4 01 CD 21 B4 4C CD 21」などと機械語をしゃべったりする。 8bitや16bitの昔のパソコンから比べると、今のパソコンはほとんど神に近い。今使っているパソコンは64bitであるが、使いながら私の気持ちは複雑である。パソコンに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 私よりはるかに頭がいいのに、ごめんなさい。引き算さえまともにできない人間に使われて、さぞやご無念で
父親は将棋が強かったらしい。 私も小学生の時に習ったのだが、何が面白いのかさっぱりわからなかった。親戚が集まったときに必死になって相手の王将を取ろうとする態度に「大人げない連中だな」と思ったものだ。 そう言えば、トランプもあまり好きではなかった。 「ババ抜き」というネーミングに、お婆さんが可哀想ではないかと心を痛めた。赤と黒の違いは分かるものの、クローバーとスペードの違いが分からず、「七並べ」で注意されてばかりいた。 そもそも「神経衰弱」というのが理解できなか
「私、今度、このあたりを担当させていただきますホンダワラ商会の高野と申します」 「君、一度訊きたいと思っていたんだが、なぜ君たち飛び込み営業の諸君は『このあたりを担当』と言うんだ? 君がこのあたりを担当しようが、パプアニューギニアを担当しようが、私には関係がない。無関係なことを言っても意味がないだろうが」 「あ……そうですね。申し訳ありません。あの……すみません……、お名刺をちょうだいできますか」 「あげない」 「え……」 「君が仕事の関係者なら渡す。だが、君は私に
タオルが血まみれだった。 その血を見て、高校時代の記憶が蘇った。当時の私は授業をまったく聞かない落ちこぼれで、たいていノートに漫画などを描いていた。 「肌に優しく、深剃りが効く……か。基本的なレトリックではあるが、うまいこと言うものだ」 当時、テレビでそんなCMが流れていたのだ。シェーバーのCMである。 「深剃りか……」 私は、インスピレーションを受けて、日本史のノートにペンを走らせた。 口の回りの肉が削ぎ落とされ、唇と頬の肉がなくなり、奥歯までむき出し
今週は、散々だった。 事務所のクーラーが故障し、続いてファクス付きの複合機も故障した。最近は、ファクスなどは使わず、テキストも画像もメールで送る。ほとんど必要ないのだが、なかには時代に取り残された得意先もあるのだ。 仕方がないのでヨドバシに買いに行った。 「写真がキレイにプリントできるのは、こちらです」 「写真をプリントだと!? 私がそんな助平に見えるのかねっ!? 失敬なっ。店長を呼べっ」 ずっと汗だくになってイライラしながら仕事をしていたせいか、非常に怒り
時々新幹線に乗る。 たまに隣のサラリーマンが靴を脱いで、ナイロン製なのかビニール製なのか知らないが、やたら薄くてスケスケの靴下を見せつけてきたりする。 私は、あれが嫌いだ。透けてていいのは、女の子のパンツに限ると、父親から教わらなかったのか。情けない。家庭教育の劣化が日本を滅ぼす。 「ここは、お前の家のリビングじゃないぞ!」と言いたいのだが、最近は、一見普通に見えて、実は異常者というケースも多い。変に文句を言うと、刺されてしまうのである。 そういう時は、逆転の