私がアスリートだった頃


 私は10年ほど前に腰を痛め、調子の悪い日には、ふだん素振りに使っている木刀を杖代わりにトイレまで行く男である。

 たまに同じ階の別の事務所の人と出くわし、特に女性などは、ハッとして身をこわばらせ、私を凝視したりする。木刀を持ち、前屈みになって歩く爺さんが至近距離にいるのだ。仕方がないだろう。

 私は面白がって、「ひと~つ、人の世の生き血をすすり」などと呟いてみせ、よけい気味悪がらせている次第である。

 そんな私も、かつては通勤ランにいそしむアスリートであった。

 朝はさすがに大変なので、帰りだけだったのだが、それでも20キロほどの距離を毎日走っていた。体脂肪率が一桁台になることもあり、回りの腹が出た同年代のオッサンたちを、鼻で笑っていたものである。

 基本的に私鉄沿いの道を走っていたのだが、列車の窓に見えるサラリーマンたちに対し、「まあ、君たちは電車に揺られて疲れた顔をして帰りたまえ。私は、走るよ」などと呟いていた。

 ぎっくり腰になったのは、そんなある日のことだ。

 クシャミをした瞬間、激痛が走り、その場にうずくまった。激痛は3日ほど続き、なんとか普通に歩けるようになったのは、一週間ほどたってからだった。それ以来、クシャミや咳をするのが恐怖である。激痛は走るものの、幸いぎっくり腰の時のように長引くことはない。

 通勤ランは、やめた。体重が増えて、体脂肪率も上がった。

 帰りの通勤列車の窓から、たまに通勤ランをしている人の姿を見つけることがある。陽は沈んだとは言え、まだまだ暑い季節だ。アスファルトからの熱気は、衰えてはいないだろう。

 車内は冷房が効き、快適だ。2時間かかった通勤が、30分で終わる。列車の中では本が読めるし、お姉ちゃんの姿も楽しめる。私は、窓から見える、省エネ走法でヒョコヒョコ走る通勤ランナーに向かって、「この暑い最中に、バッカじゃねえの」と呟く。

 その言葉に嫉妬が含まれていることを、私は否定しない。


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