深剃りしすぎた男
タオルが血まみれだった。
その血を見て、高校時代の記憶が蘇った。当時の私は授業をまったく聞かない落ちこぼれで、たいていノートに漫画などを描いていた。
「肌に優しく、深剃りが効く……か。基本的なレトリックではあるが、うまいこと言うものだ」
当時、テレビでそんなCMが流れていたのだ。シェーバーのCMである。
「深剃りか……」
私は、インスピレーションを受けて、日本史のノートにペンを走らせた。
口の回りの肉が削ぎ落とされ、唇と頬の肉がなくなり、奥歯までむき出しになった男の漫画を描いた。
手にはシェーバーを持たせ、「深剃り、効き過ぎ~」というセリフを吹き出しに入れた。赤で筋肉の繊維を描き込むと、自分でも「ほお」と感心するほどシュールな出来栄えとなった。
これは、誰かに見せねば。
昼休みに隣の席の女の子に見せると、彼女は瞬時に口に入れたご飯と卵焼きを吹き出した。鼻の穴からもごはん粒が飛び出した。前に座ったクラスメートの背中に、卵焼きが貼り付く。
私は、今は筋金入りのフェミニストである。
例え女の子がしたオナラであっても、「ご無礼、私である」とかばうことのできる男だ。
万一、彼女のスカートの中からころんとウンコが転がり出ても「ご無礼、これは間違いなく私のものだ」と何事もなかったようにうんこを拾って絹のハンカチに包み、静かにポケットに入れることのできる男である。
高校生の頃の私は、まだフェミニストの卵だった。
なんとかしなければと思ったのだが、とっさにセリフが出てこない。回りの連中が何事かとこちらを注視している。ようやく私は、ひと言、口にした。
「き、君は、伝説の『鼻からごはん女』だったのか」
彼女は、その事件以降「鼻からごはん女」になった。私を恨む女性がいるとすれば、おそらく彼女がその第一号である。懐かしくも悲しい思い出だ。
あごをタオルで押さえながら、私は鏡を見た。いくつか傷があり、全体的に赤くなっている。
電気シェーバーを見ると、金属の網の部分が破れていた。刃の部分が直接肌に当たっていたわけで、血が出るのも納得である。
私は、にじむ血をタオルで押さえながら、「鼻からごはん女」の顔を思い浮かべていた。自分がご飯と卵焼きを吹き出したことに呆然とする顔である。人の顔はすぐに忘れるのだが、彼女の顔は、まだはっきりと覚えている。
「深剃り、効き過ぎ~」と私は鏡に写る自分に向かってつぶやいた。
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