老人とグミ


 若い人には、分かるまい。加齢とは怖ろしいものだ。

 私も二十歳の頃はスラッと背が高く、顔も舘ひろしそっくりだったのに、今では身長も縮んで猫ひろしそっくりになってしまった。にゃー。冗談ではない。身長が縮むのだよ。せっかく何十年もかけて伸びてきたのに、何ということか。意味が分からん。

 頭の回転も小学生の頃は、ものすごく速かった。一分間で82回転くらい平気だった。今では、たったの3回転でちぎれて首が落ちる。私の身体能力も落ちたものだ。

 知能的には、ようやく精神年齢に実年齢が追いついたといった感じである。頭が良すぎるのも大変で、今は、ちょうどいい感覚だ。新聞を読んでいても、以前ほど腹を立てることがなくなった。これは、精神衛生上、結構なことである。

 ただ、最近は、ちょっと脳力が落ちすぎじゃないか、という事案も起きている。これも加齢のせいだ。

 この間も近所の商店街を歩いていて、一人の婆さんに声をかけられた。だが、誰だかわからない。

「お元気?」

「ええ、まあ」などとしばらく話していたのだが、随分と私のことを知っている婆さんだ。「この間のステーキ、美味しかった?」などと訊いてくる。しばらくして、ようやく自分の母親であることに気が付いた。加齢による認知力の低下は、実に興味深い。

 歳をとると、嚥下障害も起こる。

 飲み込む力が弱くなり、喉に詰まったりむせたりする。私は、グミとモチが好きなので、死因はこのどちらかになるのではないか。モチで死ぬのはありふれているので、「認知症の老人、グミとゴムを間違えて食べてしまい、喉に詰まらせて死亡。家族、泣き笑い」あたりを狙いたい。

 実生活で一番困るのは、視力のおとろえだ。

 若い頃は、女性の服さえ透視できたほど視力がよかったのに、今は、眼鏡をかけていても、目の前に立つ裸の女性にも気が付かない。嘘だと思うなら、裸になって私の目の前に立ってみなさい。まったく見えません。

 疲れ目がひどいのは前からだが、今では、飛蚊症もひどい。目の前に虫だかホコリだかが飛んでいるように見える現象である。

 最初は、何か得体の知れない生き物が目の前を飛んでいると思って、左右のこぶしを振りまくった。散歩中にも、なんとか正体不明の生き物を捕まえてやろうとブンブン手を振っていると、「やあ、シャドーボクシングですか。精が出ますな」と言われた。馬鹿じゃないのか。

 さすがにこれはいかんな、と眼科に行くと、変なテストを受けさせられた。

 顕微鏡みたいなものを覗く。すると視界のあちらこちらに点が次々とあらわれ、それが見えればボタンを押す。ほお、おもしろいじゃないか。反射神経なら任せておけ、と手に汗をかくほど全力で頑張った。

「このあたりが、見えてないんですよね」

 訳のわからないことを言う医者だ。

「反射速度のテストではなかったのか」と訊くと「いや、死角のテストです」と笑われた。

 私に死角があるだと!?

 全方位360度、私に死角なし! どこからでもかかってきなさい。私は、強いよ。一瞬、マス大山が乗り移り、目の前の医者を殴りそうになる。牛をも殺す一撃だ。あやうく人殺しになるところだった。

 結構高い診察料を払い、キレイなお姉ちゃんから点眼薬をもらった。ビルのトイレに入って、さっそく点眼する。視界が一気に広がったような気がした。

「見える、私には見えるぞ!」と赤い彗星のシャーの物真似をしながら歩き出す。ええと、家はあっちだったかな、いや、こっちだこっちだと自問自答しながら、私は家路についた。





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