セミの受難
家の隣に公園がある。
今の季節は、セミがうるさい。特に大量発生しているクマゼミだ。子供の頃はアブラゼミが大半だったのに、今は、クマゼミがほとんどである。
もちろん、公園の隣という立地は、割れたスピーカーから「メチャンコメチャンコメッチヤンコ」などと脳天気な曲が流れる盆踊りもうるさいし、6時半になると「新しい朝がきた~」とラジオ体操の曲がかかるのもうるさい。そもそも「GANTZ」を見て以来、あの曲は不気味にしか聞こえないのである。
それでも、やっぱりクマゼミが一番うるさい。
あれは、雑音以外のなにものでもない。なぜ、美しい声で鳴かないのか不思議だ。生存競争的に、あの悪声は短所であり、回りの生き物を不快にして自分の命を縮めているとしか思えないのだ。
素直に進化していれば、今頃、ホーホケキョとかリーンリーンとか鳴いているはずなのだ。もしそうなっていれば、セミは人間たちに大切に飼われ、悠々自適の人生を送れているはずなのだ。
セミたち、特にクマゼミやアブラゼミは進化論に逆らっているのである。セミの明るい未来は、ヒグラシとツクツクボウシにかかっているといっても過言ではない。
今日もそれを裏付ける現象を見た。
道を歩いていると、例によってクマゼミの鳴き声がした。しかも、ものすごい勢いで鳴いていた。うるさいことこの上ない。
私は、舌打ちしながらそちらを見た。
そしたらあなた、黒猫がクマゼミをくわえて歩いていたのである。さすがにその時は、気の毒に思えた。食うつもりなのかどうかは知らないが、猫とすれば格好のオモチャなのだろう。
セミの断末魔は、猫の姿が消えてからもしばらく続いた。
それから1時間ほどして、またクマゼミの鳴き声がした。今回もものすごい鳴き声である。また、猫かと思ってそちらを見たら、違った。
今度は、カラスである。
カラスが道に落ちていた死にかけのクマゼミを捕獲したのだろう。大きなくちばしにくわえながら、地面をピョンピョンはねているのだ。
幼虫として長い年月を地中で過ごし、ようやく地上に出て、さあ大空だ甘い樹液だセックスだと人生を謳歌しようとしているのに、猫やらカラスに食われてしまうとは、さすがに気の毒としか言えない。
嫌なものを見たな。
そんなことを思ったのだが、すぐに忘れた。いちいちクマゼミの受難に心を痛めていては、この世の中、生きていけないのだ。
その夜、セミのことを思い出したきっかけは、やはりセミの鳴き声だった。隣の公園から、騒がしいセミの声が聞こえる。何だ、最近のセミは夜中にも鳴くのか?
書斎の窓からのぞいてみると、人影が見えた。
水銀灯の青白い光の中に小さな人の姿が浮かびあがっている。女の子か。おかっぱの髪に白いパジャマを着ているようだ。こんな時間に小さな女の子を外に出すとは、親はいったい何をしている。
腹立たしさを感じながら、私は、窓の外を見続けた。
ふと、クマゼミの狂ったような鳴き声は、その女の子のいる辺りから聞こえてくることに私は気がついた。ジャージャージャーとそれこそ狂ったような鳴き声である。
一瞬、女の子の口元が動いた。何かが潰れるような乾いた音が聞こえ、それと同時に、鳴き声がぴたりと消えた。公園が静かさに包まれた。セミの鳴き声も虫の声も、何の音も聞こえない。
私は、何も見なかったことにして静かに窓を閉めた。急に気温が下がったような気がする。
「お暑うございます」と私は誰に言うともなく呟いた。
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