見出し画像

生き方に理由なんて|『二十億光年の孤独』

谷川俊太郎『二十億光年の孤独』1952

残念ながら生まれてこの方、詩というものをほとんど読んだことがなかった。意図せず目にした詩と呼ばれるものは、ある種の絵画のようになんともいえない感じを与えた。詩というものがどんな言葉の集まりなのか、まるで掴めなかった。

この本は近所の古本屋で偶然みつけた。谷川俊太郎という名前を見て、よく知らないなりに大詩人だろうと思って手に取った。しばらく寝かせてしまったけれど、こないだ代々木公園にリラックスしに行くことになったとき、ふと手にとった。

すぐに、この本が谷川俊太郎が中学生から高校生の頃に書いた詩を集めた詩集であると知る。そこにある言葉はそんな子どもが書いたものとはとても思えない。かと思えば、悩みとか決意とかそういう心は子どもらしさをどこかに含んだものに感じられた。不思議な感覚だった。宇宙という巨大な世界の中に自己を置くことで、現実世界での孤独を紛らわそうとすることで希望を見出そうとした少年の気配が感じられる気がした。

でも今回の読書感想では詩ではなく、谷川俊太郎の人生に焦点を当てようと思う。今の自分には詩について読むに値するようなことを書ける気がしないというのもあるけれど、なにより谷川俊太郎が詩人になった経緯が意味深く感じられたのだ。

生きる道が決まるとき

谷川俊太郎は詩人になりたくてなったわけではないと言う。詩を始めたのは中学生のとき。友人の影響で面白半分に詩をノートに書き溜めるようになったらしい。たぶん年に対して聡明すぎたことが関係していると思うが、学校にはなかなか馴染めず高校は夜間クラスに変更してなんとか卒業したという。その後の大学進学は自らの意思で止めた。するとさすがに父親がその後どうするつもりなのかと聞いてきたらしい。そのとき谷川さんは咄嗟になんとなく書き溜めたノートを渡した。すると哲学者だった父親は興奮し、友人の詩人に息子の詩を送る。詩を受け取った友人も興奮してやって来、すぐに詩を発表することになった。谷川さんが気づいたときには、新たに詩を書いて飯を食わなければいけない生活になっていた。

NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』に出てくる方々もそうだが、自分がその仕事をしている理由を問われたときに他者が納得するような綺麗な論理は意外と出てこない。極める人は、気づいたらその道を進み続けていて、気づいたら周りからプロと呼ばれている。そんなものみたいだ。

シューカツのせいかは知らないが、ビジネスマンにはそうした理由を意気揚々と語る人が多い。その理由の綺麗さはまるで、自分を論理の枠にはめ込み、良い子になろうともがいてきた痕にも見える。

使命感

20世紀の精神科医、神谷美恵子は主著『生きがいについて』で使命感という概念を重要視していた。生きがいを持って幸福に生きている人は、自分の行いに対してある種の使命感を持っていることを発見したのだ。実際、『プロフェッショナル仕事の流儀』でも使命感を表す言葉はよく耳にする。

使命感というと、どこか強制させられたような、受動的な態度を連想する。でも谷川俊太郎はじめプロフェッショナルの方々は、能動的かつ創造的で、受動的という言葉とはとても遠い存在にみえる。では、どこに使命感をもたらす受動性があるのだろう。

その答えが、谷川俊太郎の詩人への経緯に表れているのではないか。つまり、使命感を感じ幸福に生きる人々は、自分がいましている仕事などの行いが自分の意思だけによらない言うなれば運命のようなものによっているのを感じている。そのために受動性も内包し、使命感を得るに至る。

計画ではなく縁

使命感が受動と切り離せないものだとしたら、ビジネスマンに流行りのキャリアパスなどというアイデアには問題があるかもしれない。キャリアパスという観念を重んじる方々は、t年後には〇〇のポジションについて、t+3年後にはMBAを取得して、t+5年後には〇〇社に就職する、みたいな階段を緻密に設計する。そして、その階段を1段1段昇るための努力に今を費やす。優秀で勤勉な方々は、そうして自ら決めた階段を着実に昇っていく。実はそれが自分で決めたことではないという話をするとここには収まり切らないので諦める。

問題は、そのように未来の選択をガチガチに固めてしまうことで、偶然がもたらす機会を逸することだ。もし、偶然の幸運に気づけてもサンクコストを振り払うのは難しい。偶然がもたらす機会を逸するということは、使命感をもたらすような、過去の自分が想像できなかった自分になるチャンスを失うということだ。

MIT Media LabのJoiは、テクノロジーの進歩によって変化のスピードが加速度的に高まっている現代においては計画は無駄もっと言えば害であると主張する。これは正しいのだろう。けれど、プロフェッショナルと不可分な使命感を得るという視点からは、時代に関係なく計画は最善でない。計画より縁なるものが大事なのではないか。少なくとも計画は柔軟で変更可能でなければならない。それを計画と呼べるのかはおいておいて。

戦後を過ごした中高生の古き若き言葉を読むことは、こんな風に人生について考えさせられ発見させられる旅だった。

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし、キルルし、ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

この記事が参加している募集

読書感想文

これ頂けたときはいつもiMacの前に座ったまま心の中でパーリーピーポーの方々みたいに踊って喜んでます。基本的に書籍の購入費に充てさせて頂きます。